第9話 宿月

「スターマインってあんなに派手だった?」


車内のエアコンが効き始めた頃に、瑠璃が小さくそう零した。


雨と台風で順延になっていた花火大会の話題を役所で聞きつけて、今からでも間に合うのではと開催日時を調べて出て来た検索結果を見た瞬間に、瑠璃を誘うことを決めた。


人込みが苦手な彼女は町民の大半が押し寄せる地元の花火大会に顔を出すことはない。


西園寺のほうも、地元開催のイベントは顔役として動くほうが多いので瑠璃を連れてのんびりとデートというわけにもいかない。


瑠璃さえ良ければ、喜んで公の場に連れて回って婚約者ですと触れ回りたいところだが、瑠璃の中であの口約束の婚約はすでに破棄されており、二人の関係は終わったことになっている。


西園寺はそれを一ミリも承諾していないし、納得もしていない。


なんなら今だって瑞嶋公認で夜に瑠璃を連れだしているくらいだから、そのまま連れ帰ってしまってもなんら問題は無いのだ。


瑠璃の気持ち以外は。


だから今の西園寺は、彼女の内側に残っている愛情に縋って、結婚をせがむよりほかにない。


瑠璃がどれだけ無理だと突っぱねても。


今日だって先に瑞嶋に一方入れておかなくては上手く言い逃れされそうで、自分の立場の弱さにげんなりした。


昔の彼女だったなら、西園寺の誘いに二つ返事で頷いて大喜びしてくれただろうに。


今日の瑠璃は、西園寺が助手席のドアを開けて乗って、とお願いしても最後まで迷う仕草を見せた。


見かねた白井が助け舟を出して、せっかくだから行ってきなさいよと瑠璃の背中を押してくれなかったら、アートギャラリーでしばらく押し問答が続いたはずだ。


花火大会に向かう車の中で、今日は完全にプライベートで向こうで知り合いを見つけても絶対に挨拶はしないし、喜んで避けて通ると説明して、やっと彼女は助手席のシートに腰を落ち着けてくれた。


瑠璃はあの日からずっと自分と西園寺が連れ立ってどこかに出かけることを避けている。


万一誰かに見られたら、あらぬ噂を立てられて、西園寺に迷惑が掛かると思っているからだ。


その噂を本気で西園寺が望んでいるとも知らずに。


花火大会のフィナーレを締めくくるスターマインは、数百発の速射連発で光の花が夜空を埋め尽くした。


規模としては大きめの花火大会だったが、所詮地方レベルの話だ。


地方都市のあちこちの花火大会に協賛している西園寺グループなので、西園寺自身としてはさして真新しいこともなかったのだが、瑠璃は違っていたらしい。


目を輝かせて夜空を見上げる瑠璃の表情は高揚感に包まれていて、連れ出して良かったと心から思えた。


花火が上がり始めてから終わる瞬間まで、一瞬もこちらを見てくれなかったことは残念だったけれど。


その分、西園寺はずっと暗がりに映し出される瑠璃の綺麗な横顔を眺めることが出来た。


「地元のんよりはちょっと大きめやったなぁ・・・・・・そない言うたら瑠璃、花火大会行くんどれくらいぶり?」


「え・・・・・・ちゃんと見に行ったのは・・・・・・・・・10年・・・近く前かも・・・」


横目に確かめた彼女の表情は明らかに陰っていて、振る話題を間違えたなと今更ながら後悔した。


10年前と言えば、深見の経済状態が傾き始めた頃だ。


思春期真っ只中の瑠璃は、家と家族に翻弄されて落ち着かない日々を過ごしていたことだろう。


「そらそんだけ時間経っとったら花火も進化しとるよ」


わざと明るい声を出せば、瑠璃がうん、と小さく頷いた。


「・・・・・・それもそうね・・・・・・・・・あのね、緒巳」


「ん?あ、膝掛け後ろにあるで。足元冷やさんほうがええやろ?」


「ありがとう・・・・・・昔、緒巳が贈ってくれた浴衣ね・・・・・・」


急に浴衣の話題になって、一瞬何の事だろうと疑問符が浮かんだ。


たしかにこれまでも彼女にはなにかにつけて上手く言い訳をして贈り物をしてきたが、ここ最近浴衣を贈ったことはなかったはずだ、と首を傾げそうになって、いや待てよと思い出す。


「ん?浴衣?・・・・・・・・・ああ、瑠璃が中学生の時のやつ?うん」


当時の西園寺は大学生で、当然瑠璃との婚約に口約束以上の感情なんて持っていなかった。


なんせ相手は6歳も年下なのである。


子供の自分が思い付きで指さした女の子が二十歳過ぎても婚約者であり続けるわけがないと本気で思っていた。


それでも、毎年西園寺を訪れる深見と瑠璃の手前、ぞんざいな態度を取るわけにもいかず、最低限の礼節を持って接していた。


瑠璃に浴衣を贈ったのはそんな時期だったので、実際のところ大した思い入れもなく、伊坂呉服の親族でもある友人の伊坂知晃いさかちあきに見立てを頼んで、10代の女の子が喜びそうなデザインの可愛いやつ、というなんとも大雑把な依頼を投げたのだ。


その少し前に深見の家から贈り物が届いたところで、返礼を考えていた母親が、定期的に着物を仕立てている伊坂呉服を自宅に招いた際に、ついでのように瑠璃に浴衣を贈っては?と言ってきて深く考えもせずに頷いただけだった。


だから、瑠璃が次の言葉を紡いだ瞬間氷を飲み込んだように胃の奥が一気に冷えた。


「あれね、深見の家に置いて出て来たの・・・・・・・・・ごめんなさい」


瑠璃があの頃の自分をどれくらい好いていてくれたのかが伝わってくる声音だった。


西園寺は、用意された浴衣が瑠璃色だったことしか覚えていないというのに。


本当にどこまでもボタンを掛け違えて来たんだなと思い知らされる。


「いや、そんなんかまへんよ。昔のことやし、あの浴衣いまの瑠璃には似合わへんやろし」


「あの浴衣を着て、友達と花火大会に行ったの。すごく楽しくて、嬉しかった」


遠いあの頃に記憶を馳せる横顔が眩しくて、悔しい。


堪らずハンドルから外した片手を彼女へと伸ばした。


捕まえた指先は夏なのにひんやりしていて、エアコンの設定温度を上げなくてはと思う。


が、触れた指先をほどけない。


「・・・・・・・・・そっか・・・・・・・・・今日は?」


「・・・え?」


「乗り気やなかったみたいやけど、花火大会、楽しかった?」


すぐに振りほどかれるかと思った指先は、いつまでもそのままで、瑠璃がそっと目を伏せる。


「・・・・・・・・・・・・うん」


これで期待をするなというほうが無理だ。


彼女の心の奥底に眠っているあの頃の気持ちがほんの僅かしか残っていないとしても、無理やりにでもそれを捕まえて浮上させたくなる。


ほかにもう誰も選べないのだから。

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