第48話 Yellow Orange-2

いざ自分から芹沢との距離を詰めようと思ったら、やり方がさっぱり分からずに、とりあえずトップシークレットであるスケッチブックを隣で広げることから始めたのだが、案の定、芹沢の隣ではまともなアイデアが浮かばずに、ページは真っ白なままだった。


それでも、翠にとっては死ぬほど勇気がいることだったのだけれど。


「私も・・・楽だし、気に入ってる」


「じゃあさ、それを俺らの正解ってことにして、やってくのはどう?この先何かを変えたくなったら、その時はちゃんと話しよう。とりあえず、俺は現状維持で満足ってことだけは覚えといて?」


分かりやすく肌を重ねれば満たされるけれど、それは物凄く刹那的で、持続してはくれない。


隣り合うことで、安心や安堵を受け取っている翠の気持ちを少しでも分かって欲しくて、試行錯誤しているが、なかなかどうにも上手くいかない。


そんな翠の困惑を全部見透かした言葉に、思わず綺麗な青空を見上げた。


「・・・・・・うわ・・・惚れ直した」


自分と違う人と出会うということは、自分とは違う価値観を知るということだ。


さっきと同じ空のはずが、心なしか高く見える。


芹沢のことが好きだな、と漠然と思った。


「良かった。吸う?」


目を細めて相好を崩した芹沢が、指先に挟んだ煙草を、翠に向かって軽く揺らした。


「ちょうだい」


彼から差し出されない限り、翠が緑のマルボロを吸う事はきっと一生無いだろう。


あまり好きではないメンソールが、ほんの少し美味しいと感じられるのは、そこに愛情があるからだ。


軽く吸って、目の覚めるようなメンソールにきゅっと目を閉じれば。


「口直し、いる?」


瞼の上を唇が優しくなぞる。


いらないと言ってもキスが落ちて来る予感があった。


それでもちゃんと言葉にして伝える。


「ちょうだい」


「んじゃあ、あげる」


唇の上で囁いて、渇いたそれが優しいキスを落とした。


軽く触れて離れたささやかなキスに、すぐに目を開ける。


目の前にあったのは挑むような、楽しそうな双眸。


「俺に何を許してくれて、何を望んでくれるのか、翠さんがちゃんと全部言葉にしてよ」


「・・・なんなの、今日は注文が多いね」


こんな風にお願いされたら、何から言えばいいのか分からなくなる。


これまでどれだけ言わずに見過ごして、飲み込んできたんだろう。


置いてけぼりにして来た感情や言葉を拾い集めて掘り起こす作業はかなり骨が折れそうだ。


けれど、待っていてくれる人がいるのなら、やり遂げたい、伝えたいと思える。


「私、他の人からメンソールの煙草はきっと貰わない。それに、合鍵も受け取らない」


「・・・うん。ずっとそうしてよ」


「私のなかで明確な線引きがあって、それは多分死ぬまで無くならないけど・・・曖昧な部分があってもいいのかなって、そこを、上手く共有出来たら嬉しいなって、そう・・・思ってる」


混ざり合えない溶け合えない二人だから、同じにはなれないけれど、二人の境界線がぼやけた場所ではずっとこれからも繋がっていたいのだ。


「うん。違うって言っていいから、それでも俺のことは弾かないで」


「・・・・・・弾いて・・・たねぇ」


自分の全部で弾いていた。


人種が違う、だなんて、身勝手な言い訳だ。


同じ言葉を持って同じ世界で生きているのに。


「ごめん。もう二度と弾かないよ」


手を取ったのは自分だから。


選んだのは自分だから。


きっぱり宣言した翠を眩しそうに一瞥して、芹沢が煙草を咥えた。


穏やかな寝起きの緩んだ表情を、後何千回見られるんだろう、とそんなことを漠然と思った。


目を伏せた芹沢が後ろ手を伸ばして来る。


「うん・・・あのさ、この道は絶対行き止まりじゃないって言い切れないけど、俺がいるなら大丈夫っていう確信くらいは、あげたいなと・・・思ってるから」


その手を迷わず掴んだら、するりと指が絡まった。


緑と藍色と青。


ほかにももっと好きな色がこれから増えて行くだろう。


それを、一番最初に彼に伝えたい。


他の誰かじゃなくて、目の前の彼に。


そう、思った。


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魔女カノ ~超安全圏SE男子と魔女系デザイナーのやんごとなき社内恋愛~ 宇月朋花 @tomokauduki

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