第44話 Tan-2

元彼と同じものを芹沢に求められても困るし、それを返せる自信なんて皆無だ。


彼女がデザイン製作に取り掛かってしまえば、芹沢は完全に外野に追い出されてしまう。


むしろその先は、悔しいが富樫のほうが良き理解者になれるだろう。


「じゃあしなくていいから、一緒に寝てよ。それも駄目なの?」


「全然駄目じゃなくて・・・むしろ・・・」


「え。なに?期待していいの?」


「ちがっ・・・最近常にピンクだから、よく分かんないのよ・・・だ、から、したいのか、そうじゃないのか・・・こっちにも準備とか心積もりがあるわけで・・・」


それはまああるだろう。


準備を多少怠っていてもさしてなにも変わらない、と言ったら大目玉だろうから賢明に黙っておく。


雑賀翠に関しては目の前にいるだけで美味しそう、であることに何ら変わりは無いのだが。


最初の時誘って貰えたのは、彼女のなかの感情のバロメーターが振り切れていたからだ。


まあまずあんなことはそうそう起こり得ない。


常にピンクについては視えないこちらとしてはなんとも言いようがないわけで。


どうしたもんかなと言うべき言葉に迷う。


したいかしたくないかと言われれば、したいに決まっているけれど、それがどう色に現れるのはよく分かんない。


翠に適当に上手くあしらって、と言えたらどんなに良いか知れないが、絶対に無理だと断言できる。


「・・・俺は、付き合ってからこっち出来るだけ一緒に居たいな、と常々思ってる。翠さんにその気があっても、無くても・・・どう?これで答えになってる?」


「・・・うん」


隣にしゃがみ込んで、ふわりと香ったウォームコットンの香りを吸い込んだ。


あの日閉店間際の百貨店に彼女を連れて行って、どれか好きな香りを選んで、とお願いしたのは言うまでもなく、富樫対策のためだ。


本音を言えば彼女の好みに関わらず、仕事用のエゴイストを振りまくってマーキングしてやりたいが、この匂いは移り香として彼女に残るからいいのだと思い改めた。


それなら、彼女が好きな香りで彼女自身を守って貰おうという考えに思い至った。


富樫が知らない翠の香りを最初に選びたくて、香水には興味ないと渋る彼女を見るだけでいいから、と半ば無理やり連れて行ったのだが。


まさかあの場に富樫が居合わせるなんて夢にも思わなかった。


盛大な意趣返しのつもりで、翠の頬にキスを落として距離感の変化を見せつけてやった後、もう一度振り向いたら彼女の姿は既に消えていた。


富樫の翠に対する興味が、これでどれくらい薄れたのかは分からないが、当然油断なんて出来るわけがない。


毎日つけてと押し付けた香水に、ぱちぱちと目を瞬かせた彼女はそれでも翌日から毎日ウォームコットンを纏っている。


首筋に鼻先を擦りつけて軽く寄りかかれば、ぎょっとなった彼女が手に持っていたパンフレットの束をこちらに押し付けて来た。


「ちょ・・・こ、これ持って先に出て」


声を潜めて眉根を寄せる翠の余裕のない表情にほくそ笑んで、するりと背中を撫でおろす。


期待してくれたら嬉しいなと思いながら、口調だけはどうにかしおらしく保った。


「え、ごめん。手ぇ塞がってるから今は無理だわ」


「な、にが」


ぎろりとこちらをねめつける両の目を覗き込む。


暗がりの中でじいっと見つめ合うこと、5秒。


やっぱり今日も翠が先に折れた。


「1時間も早く来たんだから優しくしてよ」


もう一押しかと横髪を掬い上げて耳たぶに噛り付く。


やらしい声を上げさせるわけにはいかないので耳たぶを軽く啄んでからすぐに離れた。


火が付いたら困るのはこちらのほうだ。


「た、煙草、行こうね、煙草」


もう駄目だと悟ったらしい彼女がパンフレットの束を抱えて立ち上がる。


夕暮れ時の密室で二人きりというのは、なかなか美味しいシチュエーションだが、いつ邪魔されるか分からないので長居は禁物だ。


「煙草の前に今日の約束」


しょうがないなと立ち上がって、翠の手からパンフレットの束を抜き取る。


「え、あ、うん。一旦帰ってから、行く」


「・・・・・・・・・え、なにそれ、期待するんですけど」


それは期待通りの下拵え的な意味で受け取って良いのか、はたしてそれともと視線を下ろせば。


ほんの一瞬だけこちらを上目遣いで見上げた彼女が、ぱっと視線を逸らした。


「・・・期待、してて、いいよ」


真っ赤になった耳たぶを好き勝手に嬲りたい衝動を抑え込むのに、30秒はかかった。

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