第45話 Light Brown-1
「あの、ほんとに、お構いなく・・・!」
「あはははーいえいえーこちらこそお構いなくですー!さーどうぞー!」
「え、あの、でも、ここ・・・」
「ご安心ください。無問題!フロアの巡回は15分後、サーバールームの奥のPC保管庫は、監視カメラついてないので!」
「いえ、あの、ゴスロリさん!そうじゃなくて、差し入れだけ受け取って貰えればっ」
今朝コンビニで調達して、さっきまでデザイン室の冷蔵庫で冷やしておいたアセロラジュースのパックを差し出して、どうかそれでご勘弁をと目の前のたっぷりのパニエで膨らませた黒白のタータンチェックのフリルワンピースに必死に訴えれば。
赤、黄、緑を纏った彼女がにたあと口角を持ち上げて、なんとも触り心地のよさそうなふわふわの腕伸ばして、入り口のセキュリティをカードで手早く解除すると、翠の背中をドアの内側へと押しやった。
「芹沢さん、いま物凄くお疲れモードで、こりゃ非常食要るなぁって思ってたところだったんです!いやー神様って見てるんですねぇ、ちゃんと!!どうかよろしくお願いしまっす!」
「え、あの、いや、お願いされても・・・」
今日は夜間対応で朝まで掛かりそう、とメッセージを受け取ったのは15時時過ぎのこと。
恐らく目を覚ましたタイミングでメッセージを送ってくれたのだろう。
連絡の頻度でいえば、明らかに7対3で芹沢のほうが多い。
芹沢のシフト勤務がランダムで発生するせいもあるが、翠がスマホを手に取る回数が芹沢の半分程度のせいもあって、芹沢からメッセージが届くことがほとんどだ。
今週に入ってから3回目の夜間対応で、そろそろ疲れもピークに達しているだろうと踏んで、また体調を崩す前にビタミンCを摂って貰おうと、アセロラジュースを買っておいた。
20時過ぎにデザイン室の戸締りをして、帰り際に芹沢の様子をちょっと覗いてジュースを手渡してすぐに帰ろうと思っていたのだ。
ところが、システム室のフロアにやって来たところで、見覚えのある派手なゴスロリの芹沢の後輩に捕まってしまった。
一人で残っているならちょっと中を覗こうと思っていたが、他の人間がいるのなら話は別だ。
仕事の邪魔をするわけにはいかないし、ジュースだけ渡してちゃっちゃとお暇しようと声を掛けてくれた後輩の間宮に、これを芹沢に、と切り出した途端こちらへどうぞ~!と廊下の片隅へと案内された。
柔らかい腕には不似合いな圧でグイグイ極寒のサーバールームに押し込められて、途方に暮れて振り返るも廊下は二人以外に誰もいない。
そのうえ、間宮が奥に向かって
「芹沢さーん!非常食!持って来た!」
なんて叫んだものだから、翠は顔色を失くして倒れそうになった。
いや、だからジュースだけ、と食い下がろうとした矢先、奥のドアが開いて、芹沢がこちらに顔を出した。
「間宮うるさ・・・」
「じゃ!」
真顔になった芹沢に向かって片手を上げた間宮が素早くサーバールームから飛び出していく。
重たい鉄の扉が背中で閉まって、ピッという施錠音が虚しく響いた。
「え・・・あ・・・の・・・も、しかして・・・・閉じ込められた・・・?」
彼女が物凄く気を利かせて翠をここまで連れて来たことは分かる、が、まさか閉じ込められるだなんて。
恐る恐る尋ねた翠に、芹沢がハッと我に返って手招きして来た。
「いや、俺も鍵持ってるから平気。そっち寒いから。こっち来て」
「え、あの、でも、いいの?」
「入室制限掛かってるけど、SEと一緒なら平気。足元のコードだけ気を付けて。まだいたんだ」
言われた通り壁際に張っている複数のコードを避けながら、身震いしそうな冷却空間から奥の小部屋へと逃げ込む。
翠が部屋に飛び込むと、芹沢がすぐにドアを閉めた。
ようやく温かい部屋に入れて身体の強張りがほどけていく。
5畳ほどの小さな部屋には壁一面にキャビネットが並んでおり、ディスプレイやラップトップがずらりと並べられていた。
窓際の抽斗タイプのキャビネットの上に、芹沢のものらしいラップトップが開いたまま置かれている。
なにやら作業中だったようだ。
「もう帰ろうと思ったんだけど・・・その前に、ジュースを・・・っ」
命綱のように握りしめていたアセロラジュースを差し出した手は空を掻いて、代わりに伸びて来た腕で抱きすくめられる。
一拍遅れてふわりと広がった馴染みのあるエゴイストの香りに反射的に目を閉じてしまった。
首筋にぐりぐりと頬ずりした芹沢が、翠のウォームコットンの香りを吸い込んでゆっくりと息を吐く。
相容れない2つの香りが微妙な距離感で混ざり合う様は、抱き合う夜を思い出させて落ち着かなくなった。
手隙時間を作ってデザイン室に尋ねて来た芹沢が、冗談半分で仕掛けるような手加減ありの抱擁では無かった。
休日の夜、家に帰ろうとする翠を引き留めるために腕を伸ばして閉じ込めて来る時のような、必死さがそこにはあった。
これは相当疲れているようだ。
何かしてあげられることがあれば良いが、彼らの仕事はさっぱり分からないし、話を聞いてもちんぷんかんぷんだ。
恐らくそんなことは芹沢も求めてはいないだろうけれど。
気休めになればと空の手で彼の背中を優しく撫でれば、ますます背中を抱きしめる腕の力が強くなっていく。
「うん。ジュース・・・貰う・・・貰うけど、先に非常食」
間宮と芹沢が口にした非常食の意味が分からず、ありもしないポケットを探してしまいそうになった。
間食よりは一服のほうがリフレッシュ出来るはずの芹沢も、夜間帯は何か食べたくなるのだろうか。
「いや、ほかには何も、持って・・・」
ない、と言おうとした唇を伸びて来た人差し指が軽く引っ掻いた。
え?と彼を見上げた途端、降りて来た唇にそこを塞がれて息が止まる。
噛みつくように啄んだ後、上下の唇を交互に食んで優しく吸う。
その間も翠を掻き抱く腕の力は緩まないので、必死に仰のいてキスに応える羽目になった。
どうにか体勢を変えようと目の前の胸を突っぱねれば、腕が下に下がって、次の瞬間踵が浮いた。
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