第36話 Magenta-2
いつもはそれ以上下がってはこない手のひらがお尻の膨らみを撫でて、腰のラインを確かめていく。
こちらの反応を伺っているのか、それとももうそのつもりなのか。
目の前の綺麗なバランスが崩れて赤とピンクが広がっていく。
蒼や藍色が鳴りを潜めて暖色に包み込まれれば、それはもう感情の波に覆いつくされたも同然だ。
このタイミングが早いとか遅いとか、いまが何時だとか、持って来たお土産がそのままだとか、色んな事が頭を巡っては消えて行く。
「キスが駄目じゃなくて気持ちいいことももう分かってる、でしょ?」
舌を絡め取られた時の反応と、翠が零したあえかな声を芹沢は正しく理解している。
どうすれば翠が震えて、どうすれば翠が声を漏らして、どうすれば翠が肩に縋って来るのか、このひと月半で綺麗に暴かれてしまった。
黒しか纏わない自分の全身が、違う色に飲み込まれてしまったと、この数分で悟った。
頬撫でて包み込んだ芹沢が、柔らかい瞳に確かな情欲を灯してこちらを見つめて来る。
「理性的な俺は襲わないから、翠さんから誘って」
「・・・・・・根に持ってるの」
それは純粋な表現で、評価では無かったのに。
「理性的な俺が好きなんでしょ?」
「・・・理性的なところ・・・も」
なにがとか、どこが、なんてもう上手くは言えない。
芹沢の存在に安心しているし、惹かれてもいる。
彼が自分に見せていない一面がまだまだあるのだとしても、彼が持っている根底のあの綺麗なバランスは絶対になくならないと、確信が持てるのだ。
誰が何と言っても、この恋が幻ではないと思えるくらいには。
色恋事に猪突猛進になるのは、ほのかだけではなかったらしい。
もしもいま、富樫からしつこくアプローチをかけられたら全力できっぱりとお断りするだろうし、芹沢を狙う誰かが出て来たら、魔女の実力を見せつける勢いで呪いの言葉を吐く自信がある。
いまはまだ、唇と手のひらしか知らなくても。
視線を合わせたまま、芹沢が唇を啄んできた。
離れたそれがすぐに恋しくなって、爪先立ちになって追いかけてしまう。
ああ、足りない、全然足りないのだ。
唇と手のひらだけじゃ、全部だなんて言えない。
胸の奥から込み上げて来る熱情と勢いに追い立てられるように彼の唇を捕まえる。
いつも履いている数センチのヒールがないだけでこんなに唇が遠いのか。
すぐに足が震えて踵を下ろした翠が、遠慮なし芹沢のシャツの襟をつかんで引き寄せた。
「・・・屈んでよ・・・・・・私が・・・誘うから」
埋まらない隙間をどうにかしたくて挑むように見上げれば。
腰に回されたままの腕に力が込められて、引き寄せる芹沢の力で踵が浮いた。
顔を傾けた芹沢の唇を受け入れるべく素直に開けば、僅かに躱した彼が頬にキスを落とした。
そのまま唇を滑らせてこめかみと耳たぶにも唇が触れる。
くすぐったくて身を捩ればお望み通り屈んだ彼が顎先にキスをして、首筋にキスを落とした。
ぞくりと粟立った肌に息を飲んで、芹沢の背中に縋りつく。
味見するように皮膚の上を彷徨う舌がボートネックの隙間から鎖骨を舐めた。
硬い髪が首筋を擽って、彼の纏う香水の香りが強くなる。
バニラとアンバーの甘い香りに混ざってサンダルウッドがほのかに広がる。
興味本位で調べたそれのトップノートはマンダリンと、コリアンダー、ミドルノートはローズと、シナモンだった。
今吸い込んだそれは、ラストノート。
翠はまだ、これを付ける瞬間の彼を知らない。
違っても、寄り添えなくても、知りたいと思う気持ちは無くならない。
どうして触れたいと思わずにいられたのか分からない。
強くなっていく腕の力と、早くなっていく胸の鼓動に、いよいよ思考がたわみ始める。
震える吐息を掬うように彼が唇にキスを落として、もどかしいくらいの優しさでそこを撫でて離れた。
「どうする?・・・・・・ベッド行く?」
半ば決定打のようなうわべだけの質問に、唇を引き結んで頷いた。
もう一秒も、迷わなかった。
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