第35話 Magenta-1 

「なんか・・・物が増えてない・・・?」


お邪魔します、といつものように書斎を覗けば、本棚と芹沢が使っている仰々しい大型モニターのパソコンしかなかった6畳のシンプルモダンな部屋が、グリーンと青を基調としたナチュラルモダンな部屋に生まれ変わっていた。


最初にこの部屋を訪れた時に、芹沢がリビングのソファから持ってきてくれたものより一回りほど大きなクッションは、ダークグリーンのクッションカバーがかけられており、翠がいつも抱えているクッションは、色違いのアイアンブルーのクッションカバーがかけられている。


明らかに翠用だと思われる大判のブランケットはアイボリーと藍色のチェック柄で、物凄く心当たりのある色に、芹沢を振り返れば、定番の三色に柔らかいピンクを加えた芹沢が、どう?と視線で尋ねて来た。


「気に入った?翠さんの好きな色にしてみたけど」


「あああ・・・う・・・うん」


「緑と藍色と青・・・なんかどっかで聞いたことある色なんだけど・・・え、何で俺の顔見て赤くなるの?」


「いや、もう忘れて欲しいんだけど、それ!」


「好きな色なにって聞いて、緑と藍色と青って言ったことのどこらへんが恥ずかしいの?感性以外の言葉で、俺にも分かるように説明してよ」


「・・・・・・私にもっかい告白しろって言うわけ?」


「え、なに?いまのが告白になんの?・・・・・・さっぱり分からん」


考えるように天井を仰いだ彼が、いや、無理だと首を横に振る。


「つか、俺告白されたっけ?」


「そ、それを言うなら私付き合ってって言われてない」


「ああ、うん。言ってないな。好きです。付き合ってください」


「え!?いま!?」


平然と告げられた告白に目を白黒させる翠に向かって、芹沢が楽しそうに手を伸ばす。


真新しいクッションを踏みつけたくなくて、それを言い訳に動けずにいたらするりと背中に腕が回された。


「たまには飛び込んできてよ」


つむじにキスを落とした彼が、遠慮なしの力でぐりぐりと首筋に頬ずりする。


広がったエゴイストの香りを吸い込んだら、腕の力が強くなった。


手のひらが背中を撫で上げて、項を擽られる。


首を竦めれば、耳たぶを甘噛みされて、悲鳴を上げる直前に唇が重なった。


優しく触れ合わせて、体温を確かめるように撫でた後で軽く啄まれる。


渇いた唇が塗りたてのグロスをはぎ取る勢いで吸いついては離れてを繰り返す。


エレベーターの中で大慌てで塗ったことがばれたのかもしれない。


艶の残る滑らかな表面を舌先がすうっと撫でて、堪らず唇を開けば、そうっと芹沢が舌先を忍び込ませて来た。


理性的か、と言われればちょっと違うのかもしれないけれど、紳士的だとは思う。


強引なキスは絶対にして来ないし、翠が息苦しくなるようなキスも仕掛けてはこない。


優しく絡ませてじわじわと心を解くような甘やかなキスは、気持ち良くてほんの少しだけ物足りない。


物足りないと思うのは、その先を知っているからだ。


情熱的に唇を重ねた後の、途方に暮れそうなほど強烈な刺激と、ときめきを。


元彼との少ない行為でも十分すぎるほど身もだえていたのに、あの時よりも熟れた身体でそれを知ってしまえばとんでもないことが起こるんじゃないかと気が気ではない。


その一方で、芹沢がくれる刺激を心待ちにもしてしまうのだから、乙女心は本当に身勝手だ。


「ねえ、返事は?」


一番気持ちいいところでキスを止めた芹沢が、唇の表面を触れ合わせたままで尋ねてきた。


「へ・・・んじ」


彼は何を待っているんだっけと回らない頭で復唱すれば、閉じたまぶたを優しく撫でて彼が静かに囁いた。


「付き合ってくれるの?、くれないの?」


「も・・・う、付き合ってる」


付き合っているからキスをしているわけで、付き合っているからお宅訪問できているわけで。


ほかにも何かあっただろうかと言葉を探す翠の唇を軽やかに啄んで、芹沢が頷いた。


「付き合ってるなら、合鍵持って帰ってよ」


「~~~っ」


「あとは何が足りない?時間と身体の相性くらいしか思いつかないんだけど」


付き合ってひと月半。


未だに翠の家に彼を招いたことはないが(招くほどの何かがあるわけではないので)芹沢の部屋にはほぼ毎週のように入り浸っている。


彼の兄が置いて出て行ったという本棚の中身は多岐にわたっていて、まったく統一性がなくて、逆にそれが面白かった。


本棚を見ればその人となりが分かるというが、この本棚の中には何人もの人間が存在している。


実際、芹沢の兄の本だけでは無くて、昔の彼女が置いて行ったものも沢山あるらしく、本や写真集を見る限りかなり様々なタイプの女性と恋愛を楽しんでいたようだ。


俺の元カノの私物は一切ない、と最初に宣言されているし、信用もしている。


芹沢の性格からして、次の恋が始まった今、昔の荷物をそのままにしておくタイプには思えなかったから。


背中を撫でた手のひらが背骨を伝って腰まで降りて来た。


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