第30話 Gray-2
いや、平良あたりなら喜んで飲み会のネタにしそうだけど。
明らかに下がり眉になった彼女の表情の何処にも焦りがないことにホッとする。
世は多様性の時代だし、実はちょっと惹かれてましたと言われたら本気で部署異動してくれと懇願してしまいそうだ。
「俺もあんまり突っ込みたくはないけど、間違いなくそうだから。男もイケるのかもしらんけど
・・・どっちにしてもあの人にとって翠さんはアリなんだよ」
「・・・まじか」
ええーとかううーとか難しい唸り声を上げた彼女が額を押さえた。
彼女の雰囲気とか、これまでの反応から察するにそういうコトに疎いのだろうな、と思っていたけれどやっぱりそうだった。
男性女性関係なしに、相手からの好意的な視線自体に疎い、というかわざとステルス機能でそれらから逃げている気がする。
独特の感覚で生きている人はそうなのかもしれない。
交友関係も広くないし、他者交流を極力避けて自分の内側の世界とひたすら向き合って来たタイプの女性は初めてなので、よくわからない。
だから面白いのだけれど。
これまで付き合って来たどの女性とも違う、雑賀翠は、明らかに異質で異色なのだ。
パステルカラーでぼんやりしていた世界にいきなり鮮烈な赤やオレンジの光が差し込んできたような感覚。
こういう人は、たぶん同じ感覚を持っている人に惹かれやすい。
そして、それは自分では無くてきっと彼女だ。
芹沢が足掻いてももがいても触れられない翠の世界に入るフリーパスを、恐らく彼女は持っているのだろう。
口にして確かめたくなどないが、何となくそれを確信してしまう。
そんな自分がやっぱり悔しい。
ああそうか、これが惚れた弱みというやつなのか。
これまでだって真っ当で誠実な恋愛をしてきたつもりで、こういう痛みは何度も感じて来たはずなのに、今回のコレは明らかにこれまでのそれとは違っていて。
平良や宗方があたふたしたり悩んだりしていた姿がぼんやりと思い浮かんだ。
みんなそれを乗り越えて、二人の絆を強くしていくのだ。
「素敵な人でも惹かれないでね。アナタいま俺の彼女なんだから」
頼みますよ、と念を押すように付け加えれば。
「・・・っわ、わわわかってますので・・・ご心配なく・・・」
物凄く固い表情で固い返事が返って来た。
ガチガチなくせに耳まで赤くしてくれるから、胸のわだかまりがじわりと溶け始めた。
「あの、でも、ほんとに素敵な人だから、そこは認めてくれてありがとう。尊敬もしてるし、憧れてもいる」
なんだろうこの温度感。
もう彼女のこの感覚が癖になっているのかもしれない。
こんな風に憧れて貰えるあの人が、心底羨ましくなってしまった。
芹沢が踏み込めないデザイン室での翠を見守り導いて来たのは間違いなく恋敵である彼女なのだ。
富樫がデザイン室にいなければ、きっといまの雑賀翠は存在していない。
この人の個性を認めて育てて守って・・・庇護の手を差し伸べてくれるだけなら良かったのに。
ああ本気で翠がそっちじゃなくて良かった。
「どんな素敵な人でも心変わりなんてさせないけど」
「うぐっ・・・」
自分でも結構カッコイイこと言ったつもりだったのに、返って来た反応は真顔プラス唸り声。
何ともまあ翠らしい返事である。
ここで嬉しい!なんて可愛い反応を貰えるなんて、思ってなかったけど。
たぶん、これまでの彼女たちだったらば、間違いなくそういう返事と満面の笑みが返って来ただろうし、それを期待もしていただろうから、自分自身も翠との付き合いで耐性がついて、変化を遂げているわけだ。
彼女と付き合っていくためのバージョンアップというところか。
「いまのは自分への鼓舞だから。せめて期待はしててよ」
チラッと顔色を伺うように微笑めば。
「ん、じゃあ・・・まあ・・・期待・・・してる」
「ありがとう。ついでに期待値の分だけ俺に愛情表現してみてよ」
「え、なにどうやってよ?」
明らかに怪訝な表情になった翠に向かって満面の笑みを近づける。
トンと自分の唇に人差し指を触れさせた。
「分かりやすく言えばキス?」
「ばか。分かりやす過ぎるわ。メッセージのハートマークとかにして」
困り顔の彼女がテーブルを指でトントン叩いてふざんけんなと訴えてくる。
「それ低すぎだから」
吐息で笑って、大人しく椅子に腰かけると見せかけて、ひょいと彼女の顎を掬った。
煙草を咥える薄い唇をぼんやり眺めながら、どんな感触何だろうとふやけた頭で考えたのはいつだったか。
勢いでも何でも関係なしに出来ればいいのに。
それをさせない何かが彼女にはある。
容易く飛び越えられない何かが。
瞬きをする翠の瞼が下りて行くタイミングで、軽く頬に唇を触れさせる。
ばっと勢いよく目を開けた彼女が、何とも言えない表情になった。
今日のところは、このへんで。
そう自分に言い聞かせた。
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