第18話 Violet-2

そもそも病院に運ばれたところで処置のしようがないのだ。


せいぜい貧血を疑われて点滴を入れられる程度である。


「私、気を失っちゃったから、側に居た人が」


「側にって!?」


日中はほぼ一緒に行動しているはずの奏でがほのかを残して先に帰宅したこと自体がどうもおかしい。


わざとほのかを残して帰ったのだとしたら、そこには必ず理由があるはずだ。


翠の元を離れてからはより一層好奇心旺盛になって、知り合いも一気に増えたほのかである。


ちょっとしたことで具合を悪くするのは相変わらずのようだが、それでも周りからは身体が弱い普通の女の子として扱って貰っていると嬉しそうに語っていた。


翠としては、嬉しいような複雑なような何とも言えない気分だった。


翠はほのかのように、相互理解を理想に掲げて誰かと繋がっていく人生は選べそうにない。


デザイン室と自分の部屋で世界は十分過ぎるくらい満たされているからだ。


誰かと生産性のある会話をするより、貴石いしを見て、顧客を見て、自分のなかでイメージを膨らませていくことのほうがずっと楽しいのだ。


人として面白みに欠けている事は百も承知だけれど、こればかりは性分なので仕方ない。


一体だれがほのかを救急車に乗せたのかと苛立ちを露わにする緑の耳に、控えめなノックの音が聞こえて来た。


てっきり芹沢かと思いきや、別の男の声がほのかを呼んで、緑はその瞬間、自分が知らなかった現実を目の当たりにした。


すでに妹は完全に自分の手元を離れていたのだ。


「ほのかちゃん、開けてもいいかな?」


「あ、はい!どうぞ、有栖川さん!」


とたんいつもよりキーの高い声でほのかが返事を返した。あからさま過ぎである。


険しい視線を入り口に向ける翠の前で横開きのドアが開いて、有栖川と呼ばれた男と、その後ろから不安そうな表情の芹沢が入って来る。


どう見てもチンピラかヤクザとしか見えない鋭い目つきと光沢のある派手なスーツを身に着けた背の高い男がベッドの上のほのかと、その隣で自分を睨みつけて来る翠を見止めて、おや、という表情になる。


「ええっと・・・こちらは・・・さっき話してたお姉さん・・・?」


手にしていた紙パックのジュースをどうしようか迷う有栖川の前まで足早に歩み寄って、真正面から男を睨みつけた。


見えた色は、赤、黄色、銀、そして青。


まあ大丈夫そうだと判断して、眼差しを少しだけ和らげて、声色はいつも通りの低温で通すことにした。


姉としては色々と応援できそうにない風貌である。


「この度は妹がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。姉の翠です。お名前を伺っても

?」


「ご挨拶が遅れて申し訳ない。有栖川永季ありすがわときと言います」


紙パックのジュースを片手に持ち替えて、有栖川が内ポケットから名刺入れを取り出した。


どこの金貸しの名刺が出て来るのかと思いきや、差し出されたそれには県警の肩書が入っていた。


それを横から覗き込んだ芹沢が翠と同じように唖然としている。


これで刑事だなんて、潜入捜査でもしているとしか言い訳のしようがないいでたちだ。


共感覚シナスタジアが無かったらはなから怪しい男だと決めつけてしまっていたに違いない。


「警察・・・の、方ですか」


「はい。巡回警備の一環で何度か妹さんの働く雑貨屋に寄せて貰ったことがありまして・・・顔見知りになったんです。今日は、偶然具合が悪くなったところに遭遇しまして」


「有栖川さんのおかげで助かりました!」


「身体が弱いことは以前から聞いていたんですが・・・もっと気にかけるべきでした」


至らずに申し訳ない、とまるで自分のことのように頭を下げる有栖川の態度は誠実そのもので、どこか欠点を探してやろうと息巻いていた翠は肩透かしを食らった気分になる。


そのうえチラッとほのかに向ける眼差しは温厚そのもので、それを受け止めたほのかもへにゃりと眦を緩めるからたまったもんじゃない。


人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られる例のアレである。


「そうですか・・・」


渇いた声でどうにか返して、これだけは言っておかなくてはと有栖川に向き直る。


「あの、妹は確かに丈夫ではありませんが、倒れるたび病院に運ぶようなことはしないでください」


「いや、でも・・・」


「体質的なことなので、何かあればまずは私に連絡を頂けると助かります。ほのか、私のID有栖川さんにお伝えしておいて」


「はーい。ほんとに、あの、軽い貧血みたいなものなので気にしないで下さいね」


安心させるように微笑んだほのかが、有栖川が買ってきた紙パックのジュースを受け取って嬉しそうにお礼を口にした。


「ほのか、自分で帰れる?私が一緒に部屋まで行こうか?」


「あ、それはあの・・・良ければ俺の車で・・・」


翠の顔色を伺いながら有栖川が小さく進言してくる。


翠としてはそれはさせたくないが、それもほのかにとっては余計なお世話なのだろう。


さっき届いたメッセージも、緊急搬送されたから念の為連絡しとくね、という報告だけで、病院に来てとは一言も書いてなかった。


「お願いできますか?お姉ちゃん、来てくれてありがとう。もう大丈夫だから」


「病院の手続きとかは?」


「そっちもうちのほうで引き受けたので、ご心配なく」


「え?警察のほうでですか?」


何かの事件扱いにされるとそれはそれで面倒だ。


気色ばんだ声を上げた翠に向かって、有栖川がここは知り合いの病院なので融通が利くんですとさらりと答えた。


改めてじっくり彼を確かめても、放つ色に変化はない。


彼の肩書には、警察以外の何かがあるのだろうが、恐らくそれは探らせては貰えないだろう。


翠としても、望むものは妹の平穏無事な生活だけなので、面倒事に巻き込まれないのならとやかくいうつもりはない。今のところ、だが。


「あの、有栖川さん・・・妹のこと、お願いして大丈夫なんでしょうか?」


一瞬でも視線を逸らされたら、タクシーに押し込んで連れて帰ろうと思っていたが、有栖川が真っすぐに翠を見つめ返して、お任せください、とはっきり答えた。


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