第12話 Green-2
身体のラインに沿った飾り気のない真っ黒のワンピース姿の彼女は、まさにデザイン室の魔女。
始まった上層部たちの紹介にもにこりともせず軽く頷くのみで、その三倍同席したデザイン室室長が喋りまくっていた。
この時まで芹沢にとってデザイン室の魔女は、デザイン室の片隅でひっそりと息を潜めている地味な女性だった。
コンペでの優勝経験もなく、自分のデザインが広告塔になったことも無ければ、ファッション雑誌の表紙を人気モデルと共に飾ったことも無い。
特別注文対応デザイナーとしてのみ居場所を得られている彼女は、宗方ほどの情熱も統率力もなく、平良ほどの実力も人気もない自分と、何となく似ているな、と思っていた。
けれど、それは違ったのだ。
『神宮寺建設の奥様がね、きみがデザインした桔梗のチョーカーを大層気に入っておられた。少しデザインを変えたものを二人のお嬢様に贈りたいと仰っておいででね、
『海棠建機の社長がその話を聞いて、ぜひ真珠婚式に合わせて奥様のイメージに合うものを作って欲しいという話もあったよ』
『以前、花器に合わせてデザインを起こしたこともあっただろう?あれも好評でね、ほかのデザイナーに頼んだそうだが、やっぱり雑賀さんの独特のセンスには敵わないそうだ。いやあ、我々も鼻が高いよ』
次々と飛び出て来る顧客の名前にリモート会議に出席している外商部門の統括部長の眼の色が変わるのがはっきりと見えた。
テレビCMで見た事のある大手企業や、地元の有名メーカーの名前に、畑違いの人間でもおおよそ動く額が計算できる。
デザイン室の魔女は、自分の実力で自分だけの居場所をきちんと獲得していたのだ。
勝手に抱いていたイメージを完全に払拭して、デザイン室の魔女に畏敬の念を抱いた。
公の場に立たずとも、彼女の存在価値はこんなにも膨れ上がっている。
はい、ありがとうございます、と調子一辺倒な返事ばかり繰り返していた彼女に異変が起こったのは、上層部からのお褒めの言葉が終盤に差し掛かった頃だった。
会議室に入って来た時から、橘美青並みに青白い顔をしていた彼女の頬が紙のように白くなって、会議室のハイバックチェアから崩れ落ちたのだ。
会議室の片隅で、万一不具合が発生した時のために待機していた芹沢は、モノクロと極彩色の対照的な二人を意図せずぼんやりと眺めていた。
翠が一言返せば彼女の発言を補うようにすかさず派手な上司が口を開いて、これでもかと身振り手振りで話を盛り上げる。
赤や黄色や蛍光ピンクのシフォン素材の軽やかな袖がその度ひらひら揺れて視界を過るので、なんとなくそれを目で追っていたら、途端、翠の身体がぐらりと傾いたのだ。
橘美青の体調不良に慣れていた芹沢は、咄嗟に倒れる彼女の身体へと腕を伸ばしていた。
床への落下をどうにか防ぎ、隣にしゃがみ込んで彼女の身体を支えたまま、真横で舞台女優並みの悲鳴を上げるデザイン室室長を一瞥して、こりゃ駄目だと判断して、具合が悪いようなのでと会議の出席者たちに進言する。
リモート会議の向こう側が一気に騒がしくなって、主役がそれなら仕方ないと表彰式の終了が告げられた。
また貧血なの!?どうしましょう!?と狼狽えるデザイン室室長に、安静にしていれば大丈夫ですよと声を掛けて、後はこちらでと引き受けて使えない上司は早々に退場願う。
念のため間宮を呼び出した後、貧血だろうなと顔色を伺うと、色のない唇が僅かに動いて、意味不明の言葉の羅列を並べた。
「赤・・・オレンジ・・・赤・・・・黄色・・・うぇっぷ」
デザイナー独特の感性から出る言葉なのかと、深く考えずに翠に呼びかける。
「あの・・・雑賀さん・・・大丈夫ですか?」
眩い何かから逃れるようにぎゅっと目を閉じていた彼女が、重たそうに瞼を持ち上げて自分を支えている人間をぼんやりと見上げて来た。
「・・・緑・・・藍色・・・・・・・・・それと青」
ホッとしたように呟いた彼女が大丈夫です、と呟いて再び目を閉じた。
恐らく、この時の彼女は芹沢の顔も誰の顔を見ていなかったのだろう。
けれど、芹沢ははっきり見ていた。
だから、デザイン室の魔女、
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