第13話 Sky Blue-1 

人には見えない色彩感覚について、面倒だなと思ったことがないわけではないが、大人になるにつれて唯一の個性だと思えるようになったら、自然と未来は決まったし、道も拓けた。


このちょっと変な体質は、一部のデザイン仕事には物凄く役に立ったからだ。


大衆受けするデザインは描けなくても、たった一人の持つイメージに沿った絵を起こすことは出来る。


個々の持つ色合いに寄り添ったデザインを思い描いて、そこに一番強く見える色や不足している色をひと匙加えれば、それは唯一無二のその人だけのジュエリーになる。


”そうよ、こういうデザインが欲しかったの!どうしてわかるの!?”


何人ものデザイナーに依頼しても、上手く希望を伝えられなかったのよ。と嘆く上流階級のご婦人が、差し出したデザイン画にうっとりと魅入る姿は、デザイナーとしての翠の立場を確立させて守ってくれた。


そのおかげで無冠の魔女はデザイン室に根城を作る事が出来た。


この色彩感覚が無ければ、恐らくこの世界にも、この職業にも就いていないだろう。


デザイナーは翠にとっての天職で、デザイン室は最高のパラダイスである。


だから、どれだけ面倒でも顧客との打ち合わせをさぼることは出来ない。


外商担当が同行するような上お得意様以外の顧客との打ち合わせは、大抵店舗の応接で行われるのでさほど緊張することも無いし、気が楽だ。


外商担当と出向くような場所は、ほとんどが山の手の高級住宅街で、移動に時間がかかる上に行き帰りの車内の会話が死ぬほど気まずいのだ。


外商担当は、店舗販売員とはまた違った圧があって、それも翠が苦手とする一因だ。


外商部門の売り上げを担っているという誇りと自負で眩しいばかりの華やかな彼らの纏う色は赤と紫とオレンジに溢れていて、ぐったりする。


だから、一人で店舗に向かう今日のような日は、肩の力を抜く事が出来るのだ。


今日もいつものように人の少ないルートを選んで移動するべく早めにデザイン室を出たら、エレベーターホールの前の椅子からひらひらと手を振って来る男が見えた。


「・・・げ」


「げ、ってなんスか。お疲れ様です。これから店舗移動でしょ?」


声が聞こえる距離ではないはずのなのに、あからさますぎる表情と口の動きで翠の発した言葉が伝わってしまったらしい。


「・・・そういう芹沢くんはどちらまで?」


同僚と呼ぶにはほんの少しだけ近い距離感の彼との関係に、名前なんてものはない。


芹沢が一方的にこちらに興味を抱いているようだが、それも恐らく興味の延長と傷の舐め合いから来る一時的なものの、はず。


上っ面の関係、大いに結構と思っていたのに、数日前の上っ面じゃない、発言で、翠の心には少しだけさざ波が起こった。


自分とどこも似ていない、相容れないはずの芹沢佑せりざわたすくが、一体何を見てこちらに近づいて来るのはさっぱりわからない。


しかも、緑と藍色と青がバランスよく配置されていた彼の色に、ほんの少しだけ淡いピンクが混ざって来ているから困る。


言葉や態度ではない部分で人を判断することが多い翠にとっては、その色の変化は真っ正面から告白されるのと同じくらいの威力があるのだ。


感覚が全てといっても過言ではない翠と、ロジカルな思考を好むエンジニアの芹沢は、きっと合わない、というか違いすぎる。


だから、その興味が膨らんでいつかピンクの割合が増えたってきっと上手く行きっこない。


「パソコンの不調で呼ばれたから、ご一緒しましょうか」


「え、狙ってた?」


「そんな都合よくパソコン壊れないから。車移動だと翠さん楽でしょ」


そう言ってキーをぶらぶらさせる彼が、エレベーターのボタンを押す。


これはもう店舗まで同行が決まってしまっているようだ。


芹沢の言う通り、車移動は楽だし実際物凄く助かる。


不特定多数の人の色に酔う心配もないし、ぼんやりしていても目的地に必ず辿り着けるからだ。


「私、時間読めないから・・・待たせるの悪いし・・・あ、いや」


本当に考えなしに、芹沢が翠の仕事が終わるまで待ってくれるかのような物言いをしてしまったことに気づいて、すっかりその気になっている自分に愕然として慌てて口を閉ざせば。


「俺のほうが時間掛かるかもしれないし」


「終わったら自力で帰」


「今からだと帰宅ラッシュに差し掛かるけど?」


打ち合わせは16時からの予定なので、早くても1時間はかかるはずだ。


17時過ぎればどのルートを辿っても、込み合うことは確実。


ぐうっと眉根を寄せた翠とは対称的に、芹沢がにやっと楽しそうに笑った。


「待たせたらごめん、ってことで、おあいこにしましょ」


システム室の出世株である実力主義の宗方に弾かれて、人気があって女受けもいいが軽い平良に疲れた女子は、芹沢に落ちる。


デザイン室の同僚達が、システム室のメンバーをそんな風に語っていたことを思い出す。


するする人の懐に入り込むくせに、ちゃんと線引きはしていて触れられたくない場所には絶対に手を出さない、安全圏の男。


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