第6話 Orange-2

「狙ってもすぐに出来るとは限らないからさあ。そりゃあ、幸せ家族計画の為には俺も努力を惜しまないよねぇ」


子供が産まれた方がより確実に囲い込めるとその顔に書いてある。


薄利多売で愛嬌と愛情を振りまいていた男がいざ一途になると末恐ろしい。


生真面目な性格の新妻は、喜んで我が子と家庭を守るだろうが。


「俺は、今井さんがお前の腹黒さに死ぬまで気づかない事を心底祈るよ」


「はいはいはい!同じく!」


「お前らが余計なこと言わなかったらうちは一生夫婦円満だよ。あ、もしもし、祥香ぁ?紅茶両方買いなよ。大して荷物にならないでしょ?いっぱい買い物したなら、欲しい茶葉俺が帰りに寄って買って帰るよ」


砂糖菓子のような甘ったるい声でスマホの向こうに話しかけながら、煙草を掴んだ平良が立ち上がる。


仕事中は、芹沢と同じ銘柄を好んで吸う彼が、帰宅前に吸う煙草は、甘ったるいバニラの香り。


仕事モードから完全にプライベートモードに切り替える作用があるらしいが、今、平良が掴んだ煙草は、プライベート仕様のものだった。


「平良、煙草!緑じゃないぞ」


慌てて声を掛けた芹沢に、平良が振り返って手元を確かめて、苦笑いをして、マルボロを掴んだ。


片手を上げてフロアから消える同僚を見送って数秒、間宮がしみじみと首を振った。


「このフォロー力を以てしても落ちない女性・・・デザイン室の魔女恐るべしですね!」


「いや、あの人が求めてるものはフォロー力じゃないから」


それは、この数か月でひしひしと感じている。


多分、彼女が欲しいのは同士であって、サポート役ではない。


だから傷心を引きずっている間は側に居させてくれたけれど、立ち直った芹沢と自分の間に明確な境界線を引こうとする。


そうやって遠ざけられても、少しもこちらの距離感は変わっていないのに。


「じゃあ、魔女は何を求めているんでしょう?」


「さあ・・・俺には持ってない物なんじゃない?」


だからと言って諦められるわけもないけれど。


明確にこの瞬間、ここに惹かれた、という答えがあればいいのに、ただただ漠然と胸の中に降って湧いて染みついた感情なので、始末に負えない。


あんたは違うよ、と言われても、納得なんて出来る筈もない。


「宗方兄さんは胃袋を掴んで、平良さんは弱った心に付け込んで、見事伴侶をゲットしたわけですが、このどっちものパターンを使えそうにはない、と」


「・・・ないね」


何度か流れで飲みに行ったが、気になる装飾を見つければすぐにクリエイターモードに入ってしまう彼女は、放っておくとろくに食べずに目の前のグラスをばかすか空けて行く。


偏食というわけではないようだが、食べる事に執着が無いようだった。


そして、今の所彼女の世界は自分一人で完結しているので、他者が介入して引っ掻き回して傷つく可能性も皆無。


ほらこの通り、取り付く島もない。


「ふうーむ。新たな強敵が生まれましたな!これぞラスボス!」


「こら、面白がるなって言ってるだろ」


この後輩の恐ろしいところは、無茶苦茶でハチャメチャなわりに、人の心にすいすい入り込んで絆して来るところだ。


言うつもりの無かった事まで零した事に気づいても後の祭り。


苦い顔になった芹沢の背中をべしんと叩いて、間宮が朗らかに笑う。


「大まかに分類すると、美青姉さんと同じタイプですよねぇ。ああいう人は、ほんとにちゃんと一途だから、今度は幸せになれますよう」


「今度は、は余計だ」


「いやん!後輩の気遣いなのにぃ」


同僚達の幸せモードに影響されて、そろそろ結婚をと意識した途端、彼女の不貞が露わになった芹沢は、ほぼ丸二日灰のようになって過ごした。


その間フォローに回ったのは、言わずもがな宗方と平良、そして間宮である。


彼らにとっても青天の霹靂だった芹沢の破局は、その後しばらくフロアでもタブーとされ、傷が癒えた頃、居た堪れないから普通にして、と芹沢が泣きを入れて、今ではネタの一つになっている。


彼女が纏う真っ黒の防護服と、ピンクのコントラストは、不思議な位芹沢にはしっくり来ていた。


煙草を吸う瞬間の無防備な横顔を独り占めしたくて、だからあの場所については、喫煙者である平良にも教えていない。


穏やかに、静かに、けれど、確かに降り積もって行く、恋だった。

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