第4話 Red Orange-2

「愚かすぎない・・・?」


「どこが?」


「人間の人生なんて限りがあるんだから、ちゃんと生産性のある相手を選びなさいよ。私はあんたの気まぐれにも火遊びにも付き合うつもりはないから。もう傷は癒えたでしょ?」


「おかげさまで」


「だったら尚更・・っ」


握っていた手を放した彼が、灰の落ちそうな翠の煙草を奪い取る。


あ、と思った時には唇が触れていた。


目を瞑る暇もなかった。


もしあったとしても、目を閉じるわけにはいかなかっただろうけれど。


軽く啄んで離れた唇が目の前で弧を描く。


「デザイン室の、魅惑の魔女、ですっけ?新しい異名は、どーです?」


「さいってい!」


勝手につけられた異名に愛着なんて湧く筈もない。


二つの意味を織り込んで全力で言い返せば、芹沢が目を丸くしてケラケラと笑い出した。


「俺、初めて翠さんに怒鳴られた」


「・・・とにかく、傷が癒えたなら、夢から醒めて、他所行って」


「そうやって突き放されると燃えるんですけど」


「嘘ね」


「そうやって突き放されると傷つくんですけど」


「それも嘘」


「そうやって突き放されても、俺変わりませんよ」


「・・・・」


それは彼の本音だと分かったから、返す言葉に詰まった。


何を好き好んで三十路の大台に乗った魔女を口説いて来るのか。


彼の真意がさっぱりわからない。


「元カノに手酷く振られた腹いせに、真逆のタイプに走ったわけ?」


彼の癒えたばかりの傷を抉る事を承知で鋭く刺せば。


「俺もよく分かんないです」


「あのねぇ、うっかり私がその気になったらあんたどうすんのよ。アラサー口説いた責任取れる訳?」


「一番翠さんから縁遠い言葉でしょ、それ」


誰かに自分を預けようとは思わないし、誰かを預かろうとも思わない。


一生責任とは無縁で生きて行きたいし、これ以上何も抱えてはいけない。


同じタイプのクリエイター気質な彼が夢に向かって羽ばたいて、翠の元を去ってから、色恋とは無縁の生活を送って来た。


付き合っていた頃から、結婚なんて単語は僅かも頭を過らなかったし、彼も口にしようとはしなかった。


あれは恋愛というよりも、同族意識で一緒に居たのだと今なら解る。


お互いにしか理解できない感覚がある事が嬉しかったし、身内以外で初めて出来た味方は、翠の世界を優しく彩ってくれた。


けれど、恋人という言葉は最後までしっくりこなかった。


一人になった後も寂しくはあったけれど、すぐに慣れた。


だから、自分には無いものを綺麗に抱えて、慈しんで、幸せそうに笑う真逆の存在に惹かれた時に、ああ、これが恋なんだと初めて自覚したのだ。


絶対に手に入らない相手への恋慕は、翠の性には合っていた。


自分の中で生まれた感情をデザインにぶつける事で、お荷物呼ばわりを脱却する事が出来たし、自分の力の使い道も覚えた。


それで充分なのだ。


「そこまで分かってんなら、それこそ別の子にしなさいよ。私とじゃ実りが無い」


「そこは俺に委ねてみてもいいんじゃ?」


「馬鹿ね。そういう期待は20代のうちに捨てたのよ」


理解、尊重、共感、共有。


ないものねだりに疲れた心は、平穏な日常だけを求めた。


そして作り上げた現実を、精一杯手抜きせずに生きている。


「またそうやって世捨て人みたいな事を言う」


「失礼ね。まだ捨ててない。ねえ、いま何時?」


「今日もスマホ持ち歩いてないんですか?」


「カバンの中には入ってる」


「・・・ほんと適当だな。翠さんの体内時計どうなってんの?・・・14時50分」


「ん、ありがと。もう行くわ。それ、後始末よろしく」


今日はマリンピアホテル内の店舗で、ジュエリーリフォームの打ち合わせがあるのだ。


通常は地下鉄とJR移動だが、電車の密室で雑多の色に塗れる事が苦手な翠は、極力人の少ない遠回りのルートを選ぶので、選択ルートは私鉄と徒歩になる。


そろそろ出ないと間に合わない。


「今日はマリンピアですっけ?あそこは目立つから、迷子の心配ないな」


「・・・」


余計なお世話よ、と言いかけて止めたのは、彼の顔と言葉のどこにも揶揄いの色が見えなかったからだ。


不意打ちの優しさは、練りに練った極上の台詞よりも、真っすぐに心を射貫く。


何と返そうか迷って、どうして自分のスケジュールが綺麗に把握されているのかと首を傾げれば。


「俺システムエンジニアですよ?社員のスケジュール確認なんて訳ないから」


しれっと返されて、なるほどと頷いてしまう。


「ああ・・・そっか」


部署ごとにスケジュール管理の方法は異なるが、基本的にはイントラのスケジュールサイトに予定を入力して管理している。


が、すべてのスケジュールをオープンしている社員は稀で、個人的な予定を入力する者も多いため、詳細までは分からない。


翠も例に漏れず、自分以外の人間には予定ありとしか見えないように設定しているのだが。


「って私のプライバシーどこよ!?」


「悪用してないでしょ、まだ」


全く悪びれない返事が返って来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る