最終話
「おかえり。」
カランカランとドアベルを鳴らし店に入るとゲンが出迎えた。
「ただいまゲンさん。」
草介は疲れたといわんばかりにカウンターの椅子に座って前のめりに倒れる。そしてひとつ大きくため息をついた。
「遅くまでお疲れ様、大変だったみたいだな。コーヒーでいいか。」
ゲンはカウンターでお湯を沸かし始めた。私は鏡が入った紙袋をゲンの前に置いた。
「これがご所望の品だ。残念ながら鏡の部分は割れてしまってね。商品にはならないかな。」
「構わないさ。鏡は取り換えればいいんだから。」
ゲンは鏡を袋から取り出し、枠をさすりながら満足そうに笑った。鏡を譲り受けると約束して十五年、ゲンは店長の元で修行をした。骨董品の価値を見出せるまでにはまだまだ修行が足りないと本人はいうが、骨董品にすっかり魅入られていた。
「ゲンさん、お湯沸いてるよ。」
「おっと、いけない。」
手放すのを惜しむように鏡を置きガスを切る。すでにフィルターがセットされたドリッパーに少量のお湯をゆっくり注ぐと湯気に交じりコーヒーの香りがたつ。十五年前ならインスタントコーヒーだっただろう。無償で淹れられるほどこの店が年月を経て収入が安定しているのだと神子岡は独りで笑った。
「はい。どうぞ。」
口を付けると良い香りが鼻腔をくすぐる。漸く人心地がついたというようにため息が零れた。草介がこれまでのことを説明した。
「成りすましなんて普通考えられないよ。それも誰にも気づかれなかったなんて僕はまだ信じられないな。」
ゲンは冷蔵庫から野菜や卵などあらゆる食材を取り出している。薄くスライスされたパンにバターを塗りトースターに放り込んだ。
「他人のことなんて気にかける余裕がなかったからじゃないか。誰かの為って言ってても結局自分のことしか考えていないもんだよ。」
「そういえば先生もそう言ってましたよね。」
水木の「たらればなんて意味がない」と言うとそこまでだが、「もしも」と考えてしまう。もし吉野文也が誠実な人間であれば、もし北村知佳が気を回せる人間であれば、もし久慈誠二が、彼女の異変に気付いて疑問に思ってくれれば、もし彼女が成りすましを断ってくれていたなら、もし藤岡陽子が正直に子供のことを話してくれていたなら、もし彼らが、その場で自首をしていてくれたなら…とてもじゃないがキリがない。
「でもそれって珍しいことじゃないと俺は思うね。誰かのためになるからというのはあくまでも名目さ。誰かのために何かをすることは、結局は自分に都合の良いように返ってきている。」
草介は納得がいかないと頭を抱えた。ゲンは笑いながら調理を続ける。温めたフライパンにバターを落とし程よく溶けたところに溶き卵を入れ菜箸で手早くかき混ぜる。あっという間にオムレツが完成した。トースターから香ばしくなったパンを取り出してからしマヨネーズを塗る。
「例えば今作っているサンドイッチ、疲れたおまえたちのために頑張って作ってる俺に凄く感謝するだろう?でもこのパン、賞味期限が今日までなんだ。この量のパンを明日の朝ごはんにするには俺には苦痛だ。だからこのパンを有効活用して消費するために作っているといえば俺のためになるだろう?」
「なんだよそれ。」
草介はくすくすと笑いながら続けた。
「そんなこと言いながら、僕たちのことを考えてしてくれてるのわかってるんだから。このコーヒーだってノンカフェインだもんね。僕たちのことを労わってくれてるって伝わってるよ、ね、先生?」
「一本取られたな、ゲン。」
ゲンは肩をすくめながら「子供の成長は早い」とぼやいた。
鏡の館~神子岡透への依頼~ 桝克人 @katsuto_masu
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