第13話
時計の秒針がカチカチとなる。淡々と話す田中は穏やかな目をしている。神子岡は冷静を装っていたが、その目を離せずにいた。何かを言わねばと思えば思うほど喉に何かが引っかかっているようで声一つ出せずにいた。再び喉の渇きを癒そうとカップに目を落とすが、すでに空である。
「じゃあ、かほるさんは…」
その様子を知ってか知らずか草介が口を開いた。
「お嬢様はもうこの世にはいません。恐らく。あの後遺体が発見された知らせもなく。今後はわかりませんが。」
己の責任から逃れようとしているのではないのは判っているが、遺体が発見されないという事実を淡々と話し他人事のように答える田中に神子岡はまた苛立った。
「では彼女はいったい誰なんですか。」
草介はずっと知りたかった答えを求めるように食い入るように訊ねる。それは神子岡も水木も同じように気になっていた。
「かほるさん、いえ名前は違うんでしょうけど、孤児院の写真はあなたで間違いないですか。」
かほるは顔をあげて神子岡をじっと見た。これまでも度々縋るように神子岡の顔を見ては不安げにしていた彼女は落ち着いていた。
「はい。幼少期に両親が亡くなってずっとあの孤児院でお世話になっていました。」
「本物のかほるさんは、本当に一度も孤児院を行ったことがなかったんですか。」
「ええ。お嬢様は旦那様のなさることに一向に興味など持ちませんでしたので。孤児院は旦那様のご厚意でなさってたボランティアですが、当然お嬢様が足を運んだことは一度もありません。」
それまではかほるに不満に思っても何一つ反論せずに全てを受け入れてきた田中はここぞとばかり不満をぶちまけるように言い捨てた。
「園長先生には口止めをなさっていたのですね。」
「ええ。」
「かほるさんの代役を立てたのは、殺人を隠すためだったんですよね。」
「それもありますが、それは…」
これまで淡々と説明していた田中が言い淀んだ。唇をきゅっと結んでいる。ちゃぶ台に隠れた手はこぶしを握っているのだろうか。声と共に腕が震えている。今まで感情を表にだしてこなかった彼からは炎のように『憎悪』の文字が燃え盛っていた。
「彼女には申し訳ないことをしました。謝ればいいという問題ではありませんが、大事な二年を私の我儘で藤岡家に縛ってしまったこと、此処でお詫びします。」
田中は座り直して深々と頭を下げた。背中が小さく震えていた。
「そんな、頭をあげてください。私も自分で決めて協力したんです。田中さんが謝ることなんてひとつもありません。」
「自ら決めたんですか?」
「おかしいですか?」
神子岡は気になることがあった。子供が好きだった宗一郎が、こんな危ない橋を渡らせることが不思議で仕方がなかった。それを彼女に金銭面的な援助をする見返りと言われた方がまだ納得はいくが、彼女が自ら協力する理由が解らなかった。
「どんなに取り繕っても殺人の隠蔽です。それに加担するなんて…」
「私には何にも変えられない人だった!」
聞いたことのない荒げた声で神子岡の言葉を遮った。ひゅっと喉で息を吸う音がした。涙こそ出ていないが真っ赤な目をした彼女は何度も浅い息をする。気持ちを落ち着かせようと胸を押さえて大きく息を吸い込み吐き出した。その様子はあまりにも痛々しく見ている神子岡たちの胸をぎゅっと締め付けた。
「田中さん、彼女はかほるさんとは顔は似ていても、性格はあまり似ていないのですか?」
「ええ、そうですが…でもどうして…」
「貴女は感情表現が豊かなんでしょう。ぐっと堪えて押し隠しているようですが、これまでも感情的になることが多々ありました。初めに違和感を覚えたのは彼女の部屋を伺った時です。かほるさんの部屋にある鏡に触った時には感情が溢れるどころかなにひとつ感じなかったんです。随分対照的な性格が同一人物とは思えなかったんですよ。」
「お嬢様の感情を感じなかったですって?」
田中は納得がいかなかった。かほるは喜怒哀楽が豊かな方ではなかったが、今までも怒りを露わにすることは少なくなかったからである。
お金には恵まれ何不自由ない生活だったとしても彼女は果たして幸せであったかは幼少期を思うと決してそうではないだろう。父親の過剰ともいえる愛情、反対に手を伸ばしても手にできない母親のぬくもり。勿論それらが全てとは言えないが感情のバランスが取れなかった原因のひとつであると神子岡は考えた。
どうしてかほるがDNA鑑定に至ったかはわからない。どこかで宗一郎が父親でないことを知ったのかもしれない。もしくは本能で父親は別にいると感じていたのかもしれない。なんにせよ、DNA鑑定を宗一郎に見せたのはかほるの必死の甘えだと神子岡は推測した。「あなたは私の父親なんかじゃない!それでもあなたは私を愛しているのか?」そう問い詰めたかったのではないかと。
現実は残酷である。父親に突きつけた真実は自分の命を奪うトリガーになってしまった。しかしそれ以前に、DNA鑑定をしたことで宗一郎よりも先に自分が彼の子供でないと知ったのである。宗一郎に見せる前に既にかほるは自身でトリガーを引いていたと考えた。引いてしまったトリガーは戻すことが出来ず、命を失前にかほるはすでに感情を失ってしまったのだ。
これはあくまでも神子岡の仮説である。だからこそかほるに同情はすれど擁護するつもりはなければ、それを田中につきつけるつもりもない。
「彼らの願いとは言え、どうして手を貸したのかを話してもらえませんか。」
彼女はもう一度大きく息を吸って意識的にゆっくりと吐き出す。そして空を仰いだ。それまではどこか取り繕った喋り方をしていた彼女は声のトーンが変わった。
「孤児院にいると憐憫の視線にどうしても晒されるんです。色んな子供たちがいます。両親が死んだ子、金銭的な事情で育てられなくて預けられた子、親にすら疎ましく思われ棄てられた子、様々な事情を抱えた子供ばかり。でも私が知る限りではあの孤児院の生活は恵まれていたと思います。少なくとも私にとっては過去なんてどうでもいいと思えるくらいには幸せだった。そしてきっと私だけでなく孤児院の子供たちにとって藤岡さんはお父さんみたいな存在だった。私は本当の父親以上に慕っていたんです。そんな家族みたいな人から頼まれたら断る理由なんてないでしょう?」
当然ともいわんばかりで彼女の淀みない目が恐ろしく、神子岡は首筋に流れた汗の冷たさに体が震えた。
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