第11話

 詳しい歴史などは判らないが古くは江戸時代、少なくとも宗一郎や紘市が生まれた頃、島は農業や漁業が盛んで、島民は少ないとはいえその賑やかさは決して本州には劣らないほど栄えていたと思われる。それでも都会とは違う喧噪はなく穏やかな暮らしを営んでいたのは、代々続く藤岡家があってこそだった。宗一郎の代になってもそれは変らなかった。子供が多い時代には島で職にあぶれた者もおり、藤岡家で男女問わず職業訓練のようなことをしていたという。藤岡家当主になった宗一郎は本人の豪胆さと人情を重んじていたのでとても人望が厚く、屋敷には島の住民もよく出入りしていた。

藤岡家で唯一心配されていたのは、宗一郎が三十を過ぎても結婚をしなかったことである。勿論良い話は毎日お見合いをしても余るほどに寄せられていたが、宗一郎は頑なに首を縦に振らなかった。先代が急死してからは、口を酸っぱくして世話するものもいなくなり、婚期はどんどん遅れていった。そんなある日、会社の祝賀会が行われた際に訪れた陽子と運命の出会いを果たす。陽子は本州の出身で、宗一郎が経営する会社に入社していた。若く美しい陽子は会社でも高嶺の花と称されていた。歳離れた二人だったが瞬く間に二人は恋仲となり結婚をした。誰もが祝福をし幸せは絶頂だった。

陽子はその容姿が人々の目や興味を引き、周囲には常に人が群がっていた。陽子の朗らかで明るい性格や人懐っこさも相まっていたのであろう。宗一郎はそんな陽子を心から愛しており、誰の目にも仲睦まじい夫婦に見えていた。

二人の仲の良さは形として現れた、結婚から二年後にはかほる授かったのである。三十九歳で儲けた一人娘のかほるを宗一郎は大層溺愛し、どこへ行くにも連れて回ったという。またかほるも母親に似て幼い頃は愛想がよく皆に可愛がられて育った。また宗一郎はかほるに使うお金を惜しむことはなく、かほるはお金持ちのお嬢様として随分甘やかされて育った。そのため我儘に育ってしまったが、そんなところも可愛いと言わんばかりに宗一郎は溺愛していた。

反面陽子の本来持つ明るさに影を落とし始めたのはこの頃からである。陽子が持ち受けていた仕事を徐々に放棄するようになった。初めこそ産後の疲れからくる体調不良と言われていた。部屋に篭る日が一日、二日であったのが、徐々に週単位、月単位と増えていく。誰にも会わない日が続くだけでなく、次第に宗一郎との部屋を共にするのも拒むようになる。時には暴れることもあった。宗一郎は原因がわからず悲しみを押し殺し苦悩していたが、とにかく陽子の気持ちが楽になることを念頭に置いていた。

「離れを作るですって?」

「頼む紘市、それが陽子のためになると思うんだ。」

「旦那様、今の奥様の状態で夫婦の部屋を別々にするというのは危ういですよ。一度ご実家に帰されてはいかがですか。気分転換にもなるでしょうし、今は距離をとられた方が旦那様のためにもなります。」

「それは無理だ!無理なんだ…私には陽子が必要なんだ…!」

宗一郎は決して陽子を手放そうとしなかった。執心振りは狂気を感じる程であった。結局押し切られて、まだ十歳になったばかりのかほるに衰弱していく姿を見せないようにするために「療養所」と称して離れが建てられることとなる。かほるはまだ母親を恋しがる年頃だったので暫くは「おかあさまは?」と問いかけることが多かったが、次第に察知したかのように母親を求めることはなくなっていった。

同じ家に住んでいるとはいえ、物理的に距離をとることで陽子はおとなしくなった。しかし宗一郎の心に安息は訪れることはなかった。かほるの思春期に入ったのである。大きな問題を起こすような子供ではなかったが家では我儘が増えていった。我儘といっても幼い頃から変わらない程度で偏食だったり、欲しいものをせがんだりするくらいである。そんな二人を見てしんぱいしたのは田中であった。田中は宗一郎に社会勉強をさせるべきだと寮のある高校への進学を薦めた。初めは宗一郎も渋っていたが、かほるの為になるのであればと入学させることを決意する。

高校卒業後は、かほるの家に帰りたいとの希望もあって、進学も就職も選ばず家に居ついた。宗一郎から貰っていたお小遣いで遊びに出かけることはあったが、家には必ず帰ってきていたので宗一郎は特に咎めることはしなかった。そんなある日かほるにお見合い話が持ち上がった。

「かほる、ちょっといいか?」

 リビングのソファーに座り雑誌を読んで寛いでいるかほるは、話しかけられても顔をあげなかった。そんなかほるにため息をつきながら隣に座った。

「付き合いのある会社なんだが、息子さんがかほると同い年なんだ。良かったら会ってみないか。」

大きくて重みのある冊子を開いた。全身と上半身の写真が二枚貼りつけてあるだけだが仰々しい造りなのはお見合い写真だからである。かほるはつい写真の方をみると、良く見せようと笑顔を浮かべた、いかにも人の良さそうな青年と目が合った。しかしかほるにはその笑顔がわざとらしく見えて気味が悪かった。

「今時お見合い?冗談でしょ。絶対いやよ!」

「会うだけでもどうだ?一年前に息子さんと話したこともあるが、働き者だし礼儀正しい好青年だったよ。かほるもきっと気に入る。」

「私は結婚なんてまだするつもりはないわ。」

「だったらこれからどうするつもりなんだ。高校を卒業してから進学もせず就職もせずに、いつまでも遊んでいるわけにはいかないだろう。」

 家にいてくれることは嬉しかったがこのままではいけないと焦っていた。どんなに願っても自分が先に置いて死ぬ。もしその時もかほるが一人だったらと考えると心配がつきなかった。

「あなたには関係ないわ!放っておいて!」

写真の上に読んでいた雑誌を叩きつけてリビングを出て行った。宗一郎は頭を抱え深くため息をついた。

「駄目でしたか。」

「取り付く島もないよ。」

「まあ、まだ二十歳になったばかりですし、お見合いは早いのではありませんか。」

「そうはいっても、私ももう六十手前だ。早く身を固めて安心してほしいんだよ。」

「仰りたいことはわかりますが、お嬢様のお気持ちもお考え下さい。」

「かほるの気持ちか…昔はよく懐いてくれていたが、年を重ねるごとに解らなくなっていく。」

「旦那様は子離れをする方がよろしいかと思いますがね。お嬢様も色々悩みお考えなのです。そっとして差し上げるのも愛ですよ。」

「しかし…もしかほるがどこの馬とも知れない男のところに嫁いだら…」

かほるを置いては死ねないというのは本心ではあったが、添い遂げる相手が誰でもいいとは思えなかった。殊の外宗一郎は恐れていたのは妻の陽子の心が離れ、同じように愛娘も自分から離れてしまうことである。だからこそ知り合いの息子と結婚させて目の届くところに置いておきたい気持ちが強く出たのである。

「旦那様、一度お嬢様と気分転換に旅行でもなさったらどうですか。お嬢様には私から話をして説得しますよ。」

篭っているより家を離れれた方が少し気持ちも変わって落ち着いて話せるだろうと田中は安易に考えていた。それが地獄の道だと誰も知る由もなかった。

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