第4話
本州から島に渡る船に十五分程揺られ島にたどり着いた。休憩がてらに港町の食堂に入るとお昼過前だが賑わっていた。本島からの客はみかける機会があまりないのか、島民は見覚えのない神子岡たちをちらちらと横目で見る。
「いらっしゃい。あれま珍しい。外からのお客さんだわ。円ちゃんのお客さん?」
奥から三角巾をかぶった中年の女性、女将さんが出迎えてくれる。食事をする客と同じように島民でないことがすぐに判ったようだ。水木は藤岡家に遣えた時から度々来店しているようで顔なじみであった。水木が漁業町ならではの新鮮な魚介類をふんだんに使った海鮮丼が安くて美味しいと熱心に話すのでそれを三つ注文した。女性は奥の厨房に向かって「海鮮丼三つ!」と大きな声で投げかけると、負け時と更に大きな男性の声で「へい!」と返って来た。
「こちら本州からいらした神子岡透さんと北条草介さん。藤岡家の旦那様にお線香をあげに来てくださったんです。」
「ああ、そうなの…まさかあんないい人がねえ…」
島は二百人ほどの人々が暮らしている。多くは漁業を営んでおり島民同士の結束が強い。その島を数百年単位で治めていたのが藤岡家であった。島に藤岡家が保有する土地がいくつもあり、それらを貸すことで財を成していた。以前に名刺を貰った時に知ったが事業を手広く執り行ってるようだった。店の女将さんが言うには宗一郎は数年前に会社も多数売り払い、多額の財産を持ちながら悠々自適に暮らしていたそうだ。
「あの藤岡さんがあんな死に方するなんてな。オレもこの島の生まれで藤岡さんのこともずっと知っているけど、そういう人ではなかったよ。」
待っている間に客足が落ち着いた。海鮮丼を持って奥から店主と思われる中年男性が出てきた。筋肉質の体格のよい男である。
「藤岡さんとは親しかったんですか。」
「この通り小さな島だ。知らない人なんかいない。特に年の近い者同士は仲が良いんだ。バカみたいな話もするし悩みごとなんかも打ち明けていたよ。この年になったら孫の話なんかも良く出るよ。」
代々続く藤岡家の名前の力もるが、宗一郎自身も島民からの評判も良く、事あるごとに彼に相談を持ち掛けることもあったという。
「かほるさんの話もよくされていましたか?」
「そりゃあね。藤岡さんは子供ができたのも遅かったこともあってか、物凄く可愛がっていたよ。それこそ目の中にいれても痛くないとでもいわんばかりだった。でも…」
店主が言いよどんだのを、その場にいた誰もが見逃さず視線が向く。
「あ、いや、大したことじゃないんだよ。ただこの四、五年位はあまり話さなかったというだけさ。二年前には店に来ることもなくなったしなあ。」
飲み仲間はは酒豪も多いが、宗一郎はそうでもなかったので酒の量が増えていたことが心配だったと話す。その様子を始めこそ気にしていたものの訊ねても答えない宗一郎にそれ以上踏み込むことはなかった。その頃にはすでに気を病んでいたのだろうか。
「おっと、すまない。お客さんにこんな話をしてしまって。ささ、たんと食べてくれや。」
店主は醤油を差し出し店の奥に引っ込んだ。草介は即座に手を合わせて山盛りの海鮮丼にとびつく。神子岡も同じように目の前の誘惑に抗うことなく割りばしをぱきっと割り手を合わせた。
「お客さん面白い人だねえ。手袋を外すの忘れてるよ。」
傍から見ると行儀が悪いことこの上ないだろう。触るものから感情が流れてくるのを防ぐ為にしている革製の手袋を外すことが出来なかった。
「すみません。昔負ったやけどの跡が酷くて。見苦しいでしょうがどうか…」
無論嘘であるが、大体の人は手袋の下にあるはずのない傷を想像して触れるのを避けてくれる。申し訳なさそうに謝られるのが心苦しくもあるが、能力を不気味がられるよりずっとマシである。背に腹は変えられない。
「そうだったんですね。全然気にしなくていいですよ!その手袋もお洒落で格好いいですし。」
水木の一言はまたもや神子岡の心をくすぐった。それだけでなく不穏になりかけた空気がらっと変えた。女将の決まりが悪くなった顔にも笑顔が戻る。
「ありがとうございます。これも藤岡さんからいただいた手袋なんですよ。」
宗一郎たちに能力を打ち明けた後、「効果があるかはわからないが」と前置きし私の手のサイズを事細かに測って帰った。一か月後、このモスグリーンの革手袋が届いたのである。直接物を触る機会を減らすことで日々の苦労が癒えることをとメッセージが添えられていた。宗一郎の見込みは見事、神子岡の生活を一変させた。買い物ひとつできなくなっていた神子岡に日常を取り戻させてくれたのである。その様子を見た店長とゲンは、こんな単純なこと思いつかなかったのが不思議だと三人で大笑いした。
食堂でおなかを満たしてから車に乗り込んだ。水木はここからが大変と気合を入れるように首を回したり腕を伸ばしたりしてから乗り込んだ。それを見て草介は一抹の不安を覚えた。不安は大当たりする。塗装されていない狭くて曲がりくねった道が増え、がたがたと言わせながら走った。持ち手を掴んでいないと落ち着いて乗っていられないような乗り心地であった。しかしそんな険しい道をするすると慣れた手つきで登ってゆく。水木の運転技術は見事であったが、それとは裏腹に草介の顔は青ざめていくばかりだった。暫くすると少し広めの道に出る。
「左手に見えるのが藤岡家の屋敷です。」
車窓越しに高い塀と邸の屋根が見えた。長く続く塀を見る限り広い敷地なのだと判る。
あの荘厳ながらもぽつんと建つ洋館で最期の時を決め自死した藤岡家の当主は何を考えていたのだろうか。そして命の危険を感じている一人娘のかほるは、今この瞬間も一人おびえているのだろう。
「さて、あともうひと踏ん張りですよ。北条さん、頑張ってくださいね。」
バックミラー越しにすっかり青白くなった草介の顔をみて思いっきりアクセルを踏み込んだ。
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