第3話
できる限り早めに伺おうと翌日には速達で訪問の意思を伝えると、二日も待たないうちに返事が届いた。更に二日後の今日が約束の日である。迎えの車をよこすと書いてあったので、マンションの前で待っていた。
「今時、メールどころか電話でもなく手紙でのやり取りなんて古風と言いますか、不便ですね。結局三日もかかりましたし。」
草介はスマートフォンを片手に約束の時間を確認しながら言った。確かに時間が無駄にかかったと言える。返事をする際にメールアドレスを書いたが返事は手紙で届いた。そこには連絡先が書いていなかった。書き忘れたのかあえて書かなかったのかは判らない。
「お父さんの宗一郎さんも手紙が好きな方だったからな、それに倣っているのかもしれないね。」
「ふぅん…それにしてもお抱えの運転士なんて本物のお嬢様なんですね。」
手紙の件は時間がかかるという以外に不満はなかったようで、それ以上興味をしめさなかった。彼の興味は専らまだ来ない迎えの車である。想像がつかないと言わんばかりの草介はそわそわしていた。どんな車でくるのだろうか。普段乗ることのない黒光りした高級車で、白い手袋をした運転手が乗っている、など勝手なお嬢様像を思い浮かべていた。
そうしている間に一台の白い車がマンションの前に停まった。しかしすぐにそれが迎えの車と気づくことはなかった。どうみても四人家族を想定とした一般的な家族が乗るような自動車で、しかも降りてきたのは想像よりもずっと若い女性だったからである。先程まで妄想していた『お嬢様がお抱えの運転士を遣いにやった』という想像のお金持ち像からだいぶ離れていたのである。
女性は神子岡たちを見て花を開かせたような笑顔を向けた。
「えっと、神子岡さん?神子岡透さんと北条草介さんでしょうか?」
「そうですが。あなたは?」
「失礼しました!藤岡かほるの遣いで来ました水木円です!よろしくお願いします!」
頭を思いっきり下げると黒髪のストレートヘアを綺麗にまとめたポニーテールが綺麗に弧を描く。すぐさま頭をあげて、そそくさと荷物を受け取り、後部座席のドアをあけて乗車を促した。荷物を積み込み運転席へ戻るとすぐに発進した。
「お嬢様から旦那様のご友人と訊いていたのでもっと年を召された方なのかと思っていましたが、お若くて驚きましたよ!」
どうやらお互いにイメージが異なっていたようだ。亡き藤岡家の当主は数えで六十二だ。神子岡やゲンとは二十以上離れた年齢である。しかしそれに誰よりも驚いたのは草介だった。
「先生、今更なんですがどういうご関係で知り合ったんですか?お仕事?」
「昔店に来たお客さんで、私がお世話になった人だよ。」
店の客というと、それ以上に興味を示さなかった。へぇ…とわかったような気で頷く。
「先生って、神子岡さんは教師なんですか?」
十代の草介と居ればそう言われるのも無理はない。年下が先生というのであれば、大体の人が真っ先に想像するのが師弟関係である。
「いえ、物書きです。頭に売れてないがつきますが。」
出会う人に作家だというと必ずと言っていいほど毎回驚かれるので常套句として、こう答えている。
「作家の先生!?すごーい!そういう人に初めて会いましたよ!あとでサインいただけますか!?あ、でも私あまり本読まないから失礼にあたっちゃいますよね。」
水木は藤岡家の遣いということに慣れていないのか、フランクな言葉遣いをする。草介はお嬢様のお抱え運転士のイメージがどんどん崩れて少々残念そうに肩を落とした。
「私のサインに価値があるかはわかりませんが、よろしければサイン本を後日お送りしますよ。」
「本当ですか!嬉しいです!頑張って読みます!」
飾り気のない純粋な言葉は心を柔らかくする力でもあるのだろうか。水木の言葉は心をくすぐり少し気恥ずかしくなった。
「ところで、かほるさんからは今回のことどのくらいお話を聴いていらっしゃるんですか。」
これまで溌剌と話していた水木の声は、先程とは打って変わって曇らした。
「私にもよくわからないのですが、お嬢様は『殺されるかもしれない』とだけ。」
「随分物騒ですね。心当たりがあるのでしょうか。」
「ごめんなさい。私にはなにも。」
「水木さんはどう思われましたか?ここまで足を運んでくださったのです。その言葉に偽りはない、と。」
「正直なところ判断はつきかねました。お嬢様は誰に狙われているとか、具体的なことはお話下さらなかったので。」
「因みに水木さんから見てかほるさんはどのような方ですか。」
「物静かな方かな。あまりお喋りは好きではないのかなって思います。ご挨拶くらいはしてくださるのですが、話しかけてもはぐらかされちゃうんですよね。お嬢様とは年も近いし仲良くしたいんだけどな。」
意外である。手紙には『信用のおける相手』として書かれていた。しかし水木自身はかほるから信頼されていると感じていないという。水木は藤岡家に勤めてまだ半年しか経っていない。そんな短いつきあいで、ましてや親しくもない相手に託したことに違和感を覚えるのも確かだ。それに水木こそ脅迫状の差出人と考えてもおかしくはない。敢えて犯人候補から外したということは、かほるには犯人の心当たりがあるのだろうか。神子岡は左手で右ひじを支えるようにし、右手であごを触る。親指であごをトントンとリズムを取るように叩くのが考えるときの癖である。
「そういえば貴女がお勤めになられる前の運転士って田中さんですよね。」
「はい田中紘市さんです。半年前にお辞めになるとのことで、お声がけいただいたんです。それまで旦那様の会社…今は経営者が違うけど、その会社で契約社員として働いていたんですが、契約が切れるころに、運転手を探してると話が舞い込んできたんです。運転するのも大好きだし、お給料も破格だったし、私ラッキーだなって!」
どうにも信じがたかった。十五年前に逢った時、宗一郎から田中は幼馴染で付き合いが長いと聞いたことを思い出す。唯一無二の親友であり、彼になら仕事でもプライベートでもなんでも話せると宗一郎が嬉しそうに話し笑っていた。当時四十代で、恥ずかしそうにすることなく子供の様に素直な言葉を使うことが印象に残っていた。
「田中さんは今どうされているんですか。」
「辞められたあとは島を出て本州の田舎でのんびり暮らすとか言っていましたよ。旦那様が亡くなってお葬式に参列するまで、連絡も、遊びにいらっしゃることもなかったな。私は藤岡家みたいな『良いところ』のお屋敷で働くのは初めてで、田中さんに色々相談したいから連絡先教えてくださいって言ったんですけど、引退するから仕事のことは忘れたいって仰って教えてもらえなかったんです。田中さん、家のことを取り仕切っていたのに急に辞めるから、皆困っている様子でしたよ。特に久慈さん。」
久慈さんというのは藤岡家の料理全般を任された人だそうだ。田中に次いで二番目に勤務歴が長いということもあって白羽の矢が立ったらしい。
「今まで料理しかしてこなかったのに困る。って渋い顔に渋い声で悩んでいましたよ。」
わざとらしい口真似をしてみせた。恐らく久慈の真似だと思われるが似ているかは定かでない。
「あ、港が見えてきました。お疲れ様です。島までもう少しですよ」
車窓からは海に定期便と思われる中型の船が数隻停まっているのが見えた。更に向こう側に陸地が少し見え隠れしている。恐らくあれが今から向かう藤岡家の屋敷が建つ島であろう。草介は普段見ることのない海に興奮しながらスマートフォンで何枚も写真を撮っていた。
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