第30話 写真を撮りつつ、ひたすら前へ

 レモン畑を横目に、私はさらに、4週間前に戻った道、32年前に来た道を、ひたすら現場に向かいました。

 角を曲がるたびに、その行く先の道を撮影。

 撮影しては、また前進。

 そんなこんなを繰り返しつつ10分もすれば、現場近くに到着。

 ああ、これ、これ!

 確かにあの三差路の向こう側に、あの看板があった。

 無論今は撤去されたのか朽ち果てたのか、ともあれ、もうないですけどね。

 でもあの頃は、確かに、ありました。


 そして、三差路へ。

 そこから、かつて風の子学園と銘打たれた施設、当時はまだ登校拒否と言われていた、今で言うならそれこそ不登校生のための「フリースクール」ともいうべき施設のあった場所に、やってきました。


 改めて、先ほど三原市立図書館で複写申請をしてコピーを取ったかつての新聞記事に出ている写真を確認しながら、改めて状況を把握。

 前回来たときはあいまいだった記憶も、確かに、戻ってきました。


 以前乗馬場と称する施設のあった場所は、既に草生しており、今さら入っていく気も起こらないほどの草生し具合。私の背丈より下手すれば高いほどの草草草。

 カッターなど海洋訓練の用具を置いていた場所も、完全撤去されています。

 そして何より、ついこの6月下旬まであった国鉄コンテナも、すでに解体・撤去されていることは言うまでもありません。それに先立ち、かつての事務所なども既に、というかコンテナ解体を前にして撤去されています。


 ちょっと、昔自分が撮影した写真と今の状況を検証してみることに。

 あの頃確かに山の中腹に見えた建物ですが、既に草木が生い茂っており、その姿すら見えません。

 かつてはきちんと刈り取られて整備されていた山はというと、もはや荒れ放題とまでは言わないにしても、草木が生い茂っている手前上、かつての面影はあまり感じようがないほどであります。こんなところも、少子高齢化の影響が如実に表れていると言っても、あながち大げさな表現でもないでしょうね。


 さて、問題のコンテナがあったと言われるその場所を特定できましたので、その地に向います。

 以前、写経された紙が置かれていたという動画を見ておりましたが、前回来た折には、それを確認できませんでした。

 しかし今回は、明らかに、その写経された紙が置かれているところを確認できました。それどころではありません。そこにはろうそくを掲げる燭台やら、明らかに故人を弔う用具が確認できました。

 ともあれ、その地に足を向けると、確かに、それは毛筆で写経をされた紙のまとまりでありました。それらの紙は、ビニール袋でまとめられておりました。

 その写経された紙を見ると、確かに、お経が書かれています。

 それだけではありません。

 令和・年何月何日という日付とともに、写経した方の氏名と住所がこれまた毛筆で示されていました。

 明らかに、かの事件で犠牲となった少年の親族の方であるということが確認できました。おそらくは母親にあたる方であろうということもわかりました。


 私にはもはや、持っていた未開封の紅茶のペットボトルを捧げ、手を合わせるより他、なすべきことはありませんでした。その少年は、私の下の異父妹と同学年になるはず。となれば、その両親は私の父母と同じか少し若いくらいの方です。その程度のことなら、容易に推察つくこと。一歩間違えていれば、このような目に自分の親族があっていたかもしれないと思うと、とても他人事(ひとごと)、ましてや他人事(タニンゴト)などで済まされない。


 しばし手を合わせた後、私は、ペットボトルの紅茶を鞄に戻し(置いておくとまた後々ゴミを出すことになるため)、その地に一礼をしてその場を離れようとしたその時、人間も含めた他の生物に、この島に来て初めて出会いました。

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