第22話 重機の跡と、三原市の見晴らし

 全話の終りに、重機が入った跡が確認できた旨述べました。

 それだけではなく、幾分の草木も刈り取られていました。

 まあその、残置物完全撤去のために必要な程度のところだとは思われますが、過去の負の遺産とともに、うっそうと生い茂っていたであろう草木も、それなりに切り取られ、海辺まですんなり歩いていけるだけの状態になっていました。


 さて、どのあたりにあのコンテナや建物があったかな?


 この日は以前撮影した写真も持ってきておらず、ネット環境にもつながらない状態なので、確認のしようがないのは仕方ないところ。

 何もない状態になってしまうと、かえって、過去の記憶をよみがえらせたりはできないものです。もっとも私は風の子学園関係者との接触は全くと言っていい程ないまま今日に至っておりますので、そこは仕方ないと言えばその通りです。


 実はこの半月ほど前、三蟠鉄道廃線跡をたどった折に、帰りの駄賃で岡山県立図書館に立寄って当時の新聞記事の複写を申請しておりました。園長の逮捕記事の前に、夕刊で速報的に出ていた記事も複写申請しておりまして、それを自宅に戻って再確認したところ、道沿いにコンテナとかの事務室を兼ねた建物が存在していたことが判明しました。

 幸い、そちらの方向に向けての写真も撮影していました。

 かつては海洋訓練用のカッターが置かれていた場所、今はもう、何も残されておりません。あちらの方にはブランコもあったはずですが、現認できませんでした。遅くともコンテナ解体後には、完全に撤去・廃棄されているはずです。


 ともあれ、折角なので今回は海岸まで足を踏み入れました。

 ビジネスシューズで来ておりましたので、海に入るわけにもいきません。

 大体、そんなことをしてはしゃぎに来たわけではないですからね。

 そこから見える本土の三原市内の光景、当時とは実際はかなりのところで変わっているはずですが、遠目に見る限り、あの頃とまったく変わらない雰囲気です。

 こういう景色は、昔も今もそう変わるものではないですね。

 そして、問題は島内の周囲の光景。

 かつてはそれなりに手入れされていたはずの島の中ですが、今や、人がいないためかほとんど手を入れられておらず、当時撮影したはずの建物なども一切見えませんでした。現に、この地だけに限らず、島内全体を見ても空き家や放置された自家用車などが所々に見受けられたほどですから。


 しばし撮影を終え、海の方向に向かって手を合わせ、三差路を来た道の反対側となる、前回来た道を今度こそ歩くことになりました。この島のこの場所から港までの道をこの方向で歩くのは、実に32年ぶり。正確には31年と11カ月ということになりましょうけど、それはまあ、誤差の範囲ということで。


 先ほど来た下り道から、今度は、上り道となります。もっとも、ここからは来た方向ほどもきつい坂ではありません。

 その坂道を登りつつ、かの現場の方角の写真を何枚か撮影しました。

 32年前に新聞や週刊誌などで報道されていた方角の現地写真も撮影しました。それはなぜか、覚えています。草木は生え放題となり、かの問題となった建物等はすべて撤去されましたが、それを除けば昔と変わらぬ光景と言えましょう。


 まだ、船までの時間は幾分ある。時刻にして、12時50分頃。

 船の時間に間に合わせるべく、歩いて港へと急ぎます。

 途中の海沿いでは、ボートを降りて海につかって何やらされている年配の男性を見かけましたが、特に声はかけませんでした。

 そういえば、今日この島に来てから、誰とも話してないや。

                            (つづく)

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