第21話 さすがに、人には聞けないよ。

 さて、あの場所に行くのは、どっち側から行ったらよかったかな?


 そんなことを、考えてみました。

 しかしさすがに、それを人に聞こうにも、もう人はいない。

 近くの家で聞けばよかったかもしれんが、さすがにそれははばかられる。

「風の子学園の跡は、どちらから行けばよろしいでしょうか?」

 なんて聞いたあかつきには、どう思われるやら。


 ひょっと、32年前には、島民の方か誰かに聞いたかもしれないが、そこは全く覚えていません。ただ、迷うことなく現地にたどり着けたことは覚えています。


 しかしこの島、さして大きくない。30分もあれば1周くらいできます。

 だったら、とにかく歩くのみ! 前進あるのみ!


 というわけで、西側に向って歩き始めました。

 目の前には、地元用の灯台もあります。

 実はこの他、明治時代に建設された灯台もあるのですが、そちらはまた別の場所にあるのです。港周辺には元造船所の看板のある家もあるし、どうやら、人気(ひとけ)がある模様。しかし、それも程なく途絶え、山中へと進みます。

 とはいっても、そんなにきつい坂道ではない。

 途中には、軽バンの廃車体もあります。ゆっくり走ろうなんてステッカーは残っているものの、ナンバープレートは取り外されていたり。あとは、たまに空家もぽつぽつと。かつては100人以上島民がいたこともあるらしいからね。

 左手の海の向こうは、佐木島。こちらよりいささか大きな島。

 それとも分かれ、山の中をしばらく行くと、またも程なく、海。

 今度は、本土が見えます。海の向こうは、三原市内ね。


 少し坂を下りていくと、三叉路に。

 海水浴場なんかになってもおかしくないような場所があります。かつては実際海水浴場だった場所です。

 そう。こここそが、かつて「風の子学園」のあった場所なのです。


 ついに、32年ぶりの再訪が叶いました。スマホの時計は、12時40分頃。ここまで来るのに、約20分少々かかって計算になるかな。

 帰りの船は、13時13分。

 数分程度の時間があれば、ざっと見ておけると判断。


 そこで、砂浜までとその周辺の写真撮影を開始。

 あの時はこのあたりに何があってとすいすいと記憶がよみがえったかというと、さにあらず。

 確かに、この地にあったことは間違いない。

 だが、どこに何があったかなんて、思い出せない。

 少し、間があきましたね。


 ただ、全体的に何だか人が入ってきていたような跡が、確実にありました。

 そう、先日報道されていた「重機の痕跡」。重機の入った跡がしっかり残っていました。スマホとタブレットでしっかり写真を撮りましたが、くっきりと残っているのがわかります。

                     (つづく)

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