第6話 「自然」や「人間」を、やたら銘打つ者たち
この風の子学園という場所もそうでしたが、「自然」というものに触れようとか何とか、そういうことをやたらに述べる人は、結構多いですな、昔も今も。
もちろん、それを一概に否定するつもりはありません。
そういえば、私がいた養護施設が郊外の丘の上に移転するときも、当時の職員らはこんなことを言っていましたな。
「国道の前の交通量の多い場所から、郊外の丘の上の、自然豊かな地に移って、自然の中でのびのびと過ごせるように・・・」
細かい表現までいちいち覚えていませんが、おおむね、こんな趣旨だったね。
豊かな自然に囲まれて、情緒豊かに、ってか?
で、その「自然豊かな地」とやらは、どんなところか?
目の前の行動を、いずれ路線バスが走るようになる予定もあって・・・。
~ 今になっても実現しておりません。
実は、野良犬やらが敷地内に入ってくるような場所で、マムシも出るし・・・。
~ しょうがないから、後に、侵入できないように有刺鉄線も加えた高めのフェンスを作りました。実はその山の中で、ここでは述べられないような事件も起きましてね(そこは詳しくはお話しません)。
その丘の下あたりには、S住宅という会社が宅地造成をしていて・・・。
~ それは確かにそうだが、反対側は、さして開発もされておりません。
もうええわ。そんなことを述べておった職員らの、もう一つ好きな言葉。
「人間」
この言葉ってね、この手の仕事をしている者には、免罪符に多用しやすいのね。
「人間としてよければ・・・」
これが、免罪符なのよ。
これで、テメエらの無能や無為無策を隠そうとするわけや。
ま、無能の浅知恵に過ぎんのだけどな。
風の子学園の園長とやらも、その手合いだった。
手元に資料が残っていないが、何やらのパンフレットか何かをある媒体で紹介してくれていた人がいました。
そこには、地蔵さんの絵とともに、最後に、こんなことを書いておられた。
・・・を大切に、・・・を大切に、・・・を大切に。 合掌
だってよ。
なんだか、仏様かなんかにでもなって、下界の人間どもを見下ろしているかのような言い草では、あるな。
さて、丘の上から「下界」を見下ろす光景というのは、よくよく思いを巡らせてみれば、この手の養護施設の原風景のような、そんな気さえ起ってくるのよ。
これは後に児童らを自らの経営するパン屋で「強制労働」させたということで問題になった岡山県北部の某養護施設ですけど、ここを取材に行かれた東京の養護施設出身者の方が、そのパン屋の軽バンや建物だけでなく、なんと、その丘の下の景色を見下ろす写真を撮られていました。
それをその方のパソコンから見たとき、私は思わず、声をあげました。
「あ! これこそが、養護施設から外部を見るときの「原風景」ですな!」
私のいた施設も、その施設も、それまで平地にあったのを、丘の上に移転したという共通点がありましてね。
翻って、風の子学園。
こちらは、丘の上なんてかわいいものじゃなかったね。
陸続きの本土から海を隔てて「隔離」された地。
これじゃあ、逃げるに逃げられない。
現に、元園生たち、脱走すべく来る船を待っているときに、坂井園長につかまったこともあるというではないか。
どうしてこう、この手合いというのは、「自然」や「人間」という言葉をやたらめったら使いたがるのだろうか、ねぇ・・・。
それだけじゃない。
その「自然」とやらをテメエらの都合のええように使い、「人間」という言葉を免罪符にして、テメエらの都合のええように人を支配しようという、まあ、ろくでもない思想としか、言いようがないぜ。
こういう連中には、こうでも言っておかないと応えねえよ。
「田舎はいいよ、空気がうまい・・・」
などとほざいて、テメエの都合のエエ縁談をわしに押し付けようとしてきた遠縁の身内に、わしは、ビシッと言っておいてやったわ。
「空気がうまい? クソの値打ちもねえな。大体、東京程度の空気にも耐えられんなら、わし、人間辞退したるわ!」
ま、このくらい言わんと、こたえやしねえよ。この手合いは。
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