第4話

 そういうわけで歩美の浮気疑惑は晴れた。


 ホテルで見つけた白骨死体は匿名の通報という事で処理され、ちょっとしたニュースになった。


 歩佳ちゃんからのまた聞きだが、警察は一応、星野を容疑者の一人と見て捜査するつもりらしい。


 なんだか妙な話になってしまったが、これにてこの話は一件落着……。


 とはまだならない。


 歩佳ちゃんに憑いている幽霊が成仏したのか分からないので、お祓いを受ける事になったのだが、ついでだからと俺達も一緒に誘われた。


 あんな事があった後だ。


 俺だって知らない誰かの霊に憑かれて浮気されたらたまったもんじゃない。


 費用は歩佳ちゃんが出してくれるという事なので、遠慮なく甘える事にした。


 心霊スポット巡りなんかしているからか、お祓いを受けるのは初めてではないらしく、良いお寺があるんだよと胡散臭すぎる台詞でおすすめの寺を紹介してくれた。


「……またあんたかい」


 隣町にあるそのお寺は、一見すればどこにでもある普通の寺だった。


 でも、出てきたのはお坊さんじゃなくてスウェット姿のニートっぽい女の人だ。


 二十代の半ばくらいで、黒髪ロングの綺麗系。でも、寝ぐせ頭とスウェットが全てを台無しにしている。


 御子川玉子みこがわ たまこという名前らしい。


「こちら、お寺生まれのTさんです」


 それなりに仲がいいのか、冗談めかして歩佳ちゃんが紹介した。


「おい、変な紹介の仕方をするんじゃあない」

「だってお玉さん、名前で呼ばれるの嫌がるじゃないですか」

「普通に苗字で呼びゃいいだろ!?」

「お玉さんのお家の人もいるのに苗字で呼んだらなんか変じゃないですかぁ」


 ああいえばこういうという感じでお玉さんが舌打ちを鳴らす。


「で、今度はなにをやらかしたんだい。なかなかヤバいのに憑かれてるようだけど」


 歩佳ちゃんの背後にいるなにかを睨むようにしてお玉さんが言う。


 実際、この人にはそのなにかが見えているのだろう。


 事情を説明すると、お玉さんは呆れた顔で寝ぐせ頭を掻いた。


「おまえはなぁ。だから危ない遊びはやめておけと忠告しておいただろうが」

「そうだよ歩佳! お玉さん、もっと言ってやって下さい!」

「本当だぜ歩佳ちゃん」

「だって好きなんだもん! 趣味で生き甲斐でライフワークなんだもん!」


 自己紹介を済ませると早速お祓いをして貰う事になった。


 案内されたのは裏手にある離れの小屋だ。背後には大きな御神木が生えていて、小屋の周りは紙垂の下がった注連縄でぐるりと囲まれていた。


「こういうのって神社のやり方じゃないのか?」


 聞きかじりの知識だが、不安になって歩佳ちゃんに耳打ちした。


 お玉さんはお坊さんには見えないし、除霊でお金を取っているというのはちょっと胡散臭い。おまけにお寺で注連縄じゃ不安にもなる。


「素人が余計な口挟むな。効果があればなんだっていいんだよ」


 聞こえていたらしく、ぶっきら棒にお玉さんが言う。


「腕は確かだから」


 歩佳ちゃんが苦笑いを浮かべた。


 中は質素なお堂のような作りだった。


 奥には顔の部分に穴が開いたマリア像とも仏像ともとれる像が置かれており、部屋の真ん中は五角形の囲炉裏になっている。囲炉裏の中央には見た事のない文字の刻まれた四角い石の柱が突き出していた。小屋の空気は葬式のような臭いがした。


「まずはこれを飲んでこいつを舐めろ」


 渡されたのはショットグラスに入ったテキーラと小皿に入った塩だった。


「未成年なのでお酒はちょっと……」


 困り顔で歩美が言う。


「必要だから言ってんだ」


 そう言われたら仕方ない。


 覚悟を決めて飲み干すと、強烈なアルコールの味が口いっぱいに広がって、喉を焼きながら胃に落ちた。あまりの不味さに身ぶるいしながら、小皿の塩を指で舐め、今度は塩辛さに震える。


「まっず!? なんで大人はこんなの飲むの!?」

「同感だ……」

「でも、酔っぱらうと気持ちいいんだよ?」


 楽し気に笑う歩佳ちゃんに、既に崩れ落ちていた優等生のイメージが粉みじんの砂になって吹き飛んだ。


 程なくして全身がホカホカして、頭が溶けかけたようにふわふわしてきた。


 確かに、酒はマズいが酔いは悪くない。


 その間にお玉さんは薪に火をつけており、石柱を炙るように炎が踊った。


 座布団に正座させられ、頭を空っぽにして炎を見つめるように言われた。


 部屋の隅には宙づりになった板の上に沢山のメトロノームが乗せられた奇妙な装置が置かれていた。


 お玉さんが一つずつメトロノームを動かす。


 カッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ。


 バラバラに動く無数のメトロノームが土砂降りの雨音のようにノイズを刻む。


「なーーーらいーーーがんーーーーくるーーーーるくーーーにゃんーーーーーがーらいらいーーーじんーーーーとぅるるるるるるるるあーーーーーーなむーーーーーさんーーーーぇーーるむぅーーーーーふぐーーーーーたんーーーーー」


 お経とは思えない謎の呪文を気だるそうに唱えつつ、お玉さんがばさばさと祓棒を振る。


 酔いは加速し、脳ミソが心臓に変わったみたいにドクドクした。


 目の前で燃える炎が熱い。


 風通しが悪いのか息が苦しかった。


 なんの木を燃やしているのか、女の子の蒸れた体臭のような匂いがムッと香った。


 何故だか妙にムラムラして、そんな気もないのに強烈に勃起した。


 足が痺れてきた。


 なのに身体を動かせない。


 動かす気になれない。


 炎から目が離せない。


 何も考えられない。


 そんな自分を後ろから俯瞰しているような気分になった。


 気が付けばバラバラだったメトロノームの音が完全に一つに重なっていた。


「ぁ……ぁああ……ぁああ……あああああああああああああああ!?」


 歩佳ちゃんが悲鳴をあげた。


 綺麗な姿勢で正座したまま、内側でなにかが暴れているみたいに震えている。


 お玉さんが歩佳ちゃんの前に立ち、頭のすれすれでブンブンと祓棒を振り回した。


「ろく。に、はち。よん、きゅう、ろく。はち、いち、に、はち。さん、さん、ご、ご、ぜろ、さん、さん、ろく。はち、ご、はち、きゅう、はち、ろく、きゅう、ぜろ、ご、ろく。いち、さん、なな、よん、さん、はち、ろく、きゅう――」


 謎の数字を唱えると、不意に歩佳ちゃんの身体の震えが止まった。


「憎い……憎い……憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!?」


 バサッ!


 祓棒を額に置く。


「なぜ憎む」

「殺された。犯された。騙された。痛かった。隠された。許せない。殺してやる」

「だが死んだ。もう死んだのだ。お前は死んだ。お前はもはやお前ではない。出て行け。消えろ。立ち去れ。帰れ」

「嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。この恨み、晴らさでおくか。この恨み、忘れてたまるか。あの男を殺すまで、死んでも死にきれない。私は私の仇を討つのだ」

「ならば刻め。その娘に託せ。それが無理ならお前を消す。二つに一つ。それ以上の慈悲はない。さぁ、さぁ、さぁさぁさぁさぁ!」


 歩佳ちゃんの中のナニカが獣のように吠えた。


 ガクガクと震えるが、樹脂の中に閉じ込められたように動けずにいる。


 一時間、一週間、一ヵ月、一年、一生、そんな事を続けていた。


 そう思える程時間が間延びし、メトロノームの音が止まって聞こえた。


「感謝する」


 そう言って、歩佳ちゃんは糸が切れたように倒れた。


「こちらこそ」


 呟くと、お玉さんはドッと息を吐き、倒れるようにその場に座り込んだ。


「除霊完了だ」


 途端に魔法が解けたみたいに身体が自由になった。


 呼吸を忘れていた身体が息を求める。


 猛烈な吐き気が込み上げて、俺と歩美は同時にゲロをぶちまけた。



「うぇぇ……頭痛いよぉ……」

「これが噂の二日酔いか……」


 動ける程度に回復すると、俺と歩美は雑巾でゲロの始末をやっていた。


 歩佳ちゃんは小屋の隅に寝かされている。


 何度か寝ゲロを吐いたが、そちらは歩美が掃除した。


 お玉さんは奥から引っ張り出してきた人をダメにするソファーにどっかり沈み込んで、「あ~しんど~……」と駄菓子をつまみに残ったテキーラをグイグイやっている。


 掃除が終わって暫くすると歩佳ちゃんが目を覚ました。


「う、うぇえ……ぎぼぢわるうう……」

「歩佳! 大丈夫?」

「だいじょばない……。レイプされて殺される夢見て辛い……。魂の純潔を穢された気分……」

「自業自得だ。反省しろ」

「ぁい……」


 どうやら幽霊は殺された時の記憶を歩佳ちゃんに植え付けたらしい。


 可哀想だが、仕方のない事なのだろう。


「でも、これで星野が犯人だってはっきりするんじゃない?」


 嫌悪感を露にして歩美が言う。


「う~ん。それがちょっと予想外の事態と言うか……」


 洗面器を抱えながら、歩佳ちゃんが苦い顔を浮かべた。


「その夢に出てきたの、全然知らない人だったの」

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