少年時代

「ああ…今日からここを通うのか」

 僕は独り言をつぶやきながら校庭を歩いていた。

 私立雲雀沢ひばりざわ高校。県の偏差値ランキング1位の高校に、僕はギリギリの成績で合格した。ていうか、高橋たかはしさんが推薦入試で受かったんで、僕は必死になって一般入試に挑んだのが功を奏した。

 今思えば、恐らく僕は高橋アンジェのことが羨ましかったのだ。恋心もあったかもしれないし、それとは別の感情も大きかった。

 高橋さんとは中学三年間にわたってクラスメイトだった。学力テストのクラス1位は、いつも高橋さんか僕だった。思えば僕は高橋さんに対してライバル心を激しく燃やしていたかもしれない。その証拠に、僕は何度もくだらない論争を仕掛けて、高橋さんを論破しようとしていたことがあった。まあ、情けないことに僕は一度も成功しなかった。よっぽど悔しかったのだろうか、今でもあいつのことを思い出す度に涙が出そうだ。

 それも相俟って、なぜかあいつの言葉には妙に説得力があるように聞こえる時期があった。きっと高橋さんは正しいんだと、だから論破できないんだと、そういう風に僕は自分で納得してしまったと思う。

 故に前述の「別の感情」とは、信頼感のことである。

「あたしは雲高ひばこうに行く。ミニ大学っていう二つ名の学校よ。通えば自由が手に入る」

 高橋アンジェはかく語れり。

 僕もまた、雲高を受けようと決意した。あいつの言葉一つで決意できるほど、僕は高橋さんのことを信頼していたのだ。


 入学式。

 先生先輩方の式辞に興味がなかったので、当然思い出せない。

 しかし、僕の人生を濃いいろあざやかに彩ったものは、確かに存在した。それは、となりの席に座っていた女子のことだ。退屈しのぎか、彼女は僕に話かけた。

「ねえ、この学校のこと、どう?」

 僕は、返事しなかった。

 確かに、僕は質問されるのが苦手だった。しかし、何事にも「ただし」がつく。例えば、可愛い女の子に話かけられたりする場合、その内容は質問かどうかにかかわらず、僕は興奮する。特にとびきり可愛い娘、例えば、この空色の長い髪の毛が際立った、メリハリボディーの持ち主に話かけられた場合、きっと僕はただただ見とれてしまって、何か言おうともしなかっただろう。なぜなら、「見とれる」ってのは、主観時間が静止するということだ。

「ねえってば」

 少女の号令こえにより、時は動き出した。

「ああ。この学校のことだね」 

 少女のを見つめながら、僕はある言葉を思い出した。

 運命。

 魔法の言葉だ。

 なんとなく期待している風景がなぜそうなっているのかを論理的に考えようとせず、ただ定められたと自身に言い聞かせるおまじない。それを「ウンメイ」という。

 都合のいい根拠などどこにもないのに、きっと素敵な人と懇意になって楽しい日々を送るのだと信じたいが故に、それは運命によって定められたと結論付ける。

 雲高ひばこう入学を果たした直後の僕は、言わば脳内お花畑のおめでたいヤツだったに違いない。

「きっと僕が今この学校にいるのは、運命なんだ」

 当然、呆れられた。

「え、なにそれ。キモいんだけど」

 が、呆れられたことに全く気がつかない男の子の姿は、あそこにはあった。ていうか、僕だった。

「ミニ大学っていうから、僕はここに来た。ああ、きっとそうだ。あいつが教えてくれたんだ。感謝しなければ」

 僕はひとりでに語りだし、周りのことなど眼中になかった。

「僕はこれから、自由に生きるんだ。ドイツ語を勉強したり、私服登校してみたり、恋を体験してみたり…」

「あの」

「なに?」

「変わった人だね」

「そう? 僕は普通だよ」

「いや、なんというか。普通の人は初対面の人に自分語りしないよね?」

「するさ。それから初対面じゃないよ」

「え?」

「思い出してごらん。僕たち、初対面じゃないんだ」

 客観的に見れば、初対面でない可能性は1ミリもなかった。しかし、『運命の赤い糸』で僕と結ばれる人はどこかにいると、この生意気な新入生こと僕・りんテツは、信じて疑わなかった。そして、『その人』こそ、隣にいた可愛らしい少女・浜辺はまべ留音るねであるという可能性をも信じたから、初対面でないと嘯いたのではないかと、今の僕は考えている。

 ともあれ、一学期にわたって僕と留音との間に、入学式の時が最近距離だった。故に、留音の話の続きに関して、今はまだ語るべき時ではない。


 僕は、記憶アーカイブの再生を一時停止し、雲高ひばこうこと私立雲雀沢ひばりざわ高校というものを思い出す。

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