第54話 償いのために
翌日の夕方、間の抜けた音ともにモニター越しに新妻さんの声が聞こえた。
「元気……?教わったカボチャのケーキ作ったの。よかったら食べて?そして戻ってきて……!話してくれれば……何でも受け止めるし私も話したいことあるから」
それだけ言って、新妻さんは部屋へと戻っていった。
隣の部屋の扉が閉まる音を確認して俺はそそくさと部屋を出て、タッパーに入ったカボチャのケーキを拾い上げた。
ティーパックにお湯を注いで紅茶を入れて、その日何も食べていなかった口にカボチャケーキを放り込んだ。
「美味しい……」
華美でなく適度に甘い素朴な味わいが、今の俺には丁度よかった。
どこか虚ろになった心を僅かに満たしてくれる。
だがそれと同時に脳裏に浮かぶ新妻さんの笑顔が、心を締め付けた。
こんなに優しくしてくれる彼女を俺は……自覚はなくても、きっと心の何処かで欲求の捌け口にしてしまっていた。
言い方を変えれば、都合のいい関係という認識が僅かにあって、そこに居心地の良さを感じてしまっていたのだ。
欲求の捌け口としてしまっていた時点であの占部や酒巻と、噂を耳にし邪な妄想していた男子たちと変わりないのだ。
どんな顔をして会えばいいかも分からなくなってしまった俺に、新妻さんに合わせる顔はない。
でも、そんな屑みたいな俺にも一つだけ新妻さんにしてあげられることがあった。
心当たりのあるトーク画面を開いて通話ボタンを押した。
これで罪の償いに少しでもなってくれるといいが――――半ば自己満足でしかないその電話に相手は応じてくれた。
『久しぶりだね』
スピーカーの向こうから聞こえる声は今の俺とは正反対に明るい。
「随分と元気そうだな」
やめてくれよ……新妻さんは辛い思いをしたのにそう仕向けた張本人はそんなにも元気だなんて。
「だって怜斗から電話してくれたんだもん」
邪気のない喜びがストレートに滲んだその声が、酷く癇に障る。
「新妻さ……美緒の噂を流すよう江尻に指示したのお前だろ?」
どんな顔をしてスピーカーの向こう、一つ隣の県にいる元カノは俺の電話に出ているのか。
考えただけで腹立たしさが込み上げてくるのがわかった。
「んー?何の噂?」
「しらばっくれるな」
「バレちゃったんだね……でもいいじゃん、怜斗には危害が及んでないんだし」
予想通り瑞葉は悪びれもしていない。
「お前の心は痛まないのか?」
皮肉にも瑞葉の画策により俺は新妻さんの正体に気づき、自分の犯した罪にも向き合うことになったのだが……。
「痛む心なんてもう無くなっちゃったよ。怜斗が離れた先で美緒と仲良くしてるって聞いたときからね」
自分の罪は棚に上げて俺のせいだとばかりに責任転嫁してきた。
「もうやめてくれよ」
何をとは言わない、なぜなら瑞葉が俺や新妻さんに影響を及ぼす全ての事柄に対してだからだ。
「いいよ?」
俺の求めに思いの外、あっさりと瑞葉は応じた。
だが、ここまでしてきた瑞葉がすんなり退くはずもなく―――――
「でもね、それは私たちの関係が元に戻るなら、って条件付きだけど」
きっと電話の向こうの瑞葉はニコニコしているのだろう。
「本気で戻れると思っているのか?」
俺の心は瑞葉に開かれることは今後一切有り得ない。
「思ってるよ?怜斗が美緒を守ろうとする限り、私は怜斗と一緒にいられる。素晴らしいと思わない?」
強制的に俺の中にあり続けようということか……。
償いのための自己犠牲、瑞葉が示した要求は俺にとって必要なことだった。
だがそれは、今までの不誠実な行いにさらに不誠実を塗り重ねることに他ならないことは容易に想像がつく。
「そんなの、無理じゃないかっ!!」
怒りの余りに通話を切った。
その直後に送られてくる瑞葉からのメッセージ。
『もう退けないとこまできちゃってるんだよ、お互いにね』
俺は、瑞葉の覚悟のようなものを測り損ねていたのだと悟った――――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます