第22話 再会の日

 「行ってくる」

 「行ってらっしゃい」


 玄関先で交わすそんなやり取り。

 美緒の唇が優しく俺の唇を啄んだ。

 いつもは遠慮なく舌を差しいれるようなキスをしてくるくせに、さすがに弁えているのかこういうときはソフトなキスだった。


 「物足りなさそう顔してるね」

 

 唇を離すと美緒は笑った。

 どうやら顔に出てしまっているらしい。

 いつの間にか当たり前になっていたフレンチキスじゃないということに、心のどこかで物足りなさを感じていたらしかった。


 「そうか?」

 「続きは帰ってからしてあげるから、なるべく早く帰ってきてね?」


 まるで新婚夫婦みたいな甘々な言葉を背に俺は、家を出た。

 早く帰って来てね……か。

 まるで小さかった頃の自分が重なるような言葉だ。

 霞ヶ関務めの母、朝も早ければ帰りも遅い。

 中学生になってから調べてわかったことだったが、一般職の国家公務員である母親の勤め先の残業時間は月間の残業時間が七十時間を超えていたのだ。

 母のいない時間が多い俺は、母親の愛情を多分渇望していた。

 

 「他の子のお母さんは、もっと早く家に帰ってくるんだって。なんでお母さんはそんなに帰宅が遅いの?」


 そんな言葉を母に言ってしまった日もあった。

 今思えば、俺や姉を大学まで進学出来るように必死に働いてくれていたのだ。

 でも子供にそんな道理は分からない。

 だから母は、いつも困った顔で「ごめんね」と謝るばかりだった。

 そんな頃、俺はよく母親に、「早く帰って来てね」という言葉をかけていた。

 なんとなくそれは無理だっていうことは察してた気もするが、やはり他の子と同じだけの母親からの愛を求めていた。

 質で言えば全然他の子に劣るどころか、それ以上の愛を注いでもらっていたはずだが、小さなときの俺にとって、愛の指標は一緒にいる時間の長さだったに違いない。

 やっぱり俺も母の日のプレゼント考えとこうかな……?


 ◆❖◇◇❖◆


 「待たせたか?」


 一番線のエスカレーターを上がって少し奥まで行った辺りに瑞葉の姿を見つけた。

 

 「今来たところだよって言えばいいかな?」


 久しぶりに会った瑞葉は、アップに纏めたポニーテールに淡い色のワンピースの上から締め色カーディガンで大人びた印象だった。

 ポニーテールはゴールデンポイントに持ってくるようにするんだよ、と前に瑞葉に教わったっけ。


 「なんか俺の服だと釣り合わなさそうだな」


 パッチワークタイプのデニムに白シャツ、一応アイロンはしっかりかけてるからパリッとはしているものの普段の外出とあんまり変わらない印象。

 というか我が家には外行きの服があんまりない。


 「そう?清潔感あって好印象だけど?」

 「そうか?」

 「惚れ直しそうだよ?」

 「冗談に聞こえない冗談はしてくれ」

 「それもそっか」


 ちょっと悲しげな瞳で瑞葉は言ったが、それをいちいち気にするわけには行かない。

 むしろ会っているときはそういう態度を貫くべきなのだろう。


 「今、四時半くらいだから着いたらいい感じの景色になってるんじゃないかな?」


 瑞葉のその言葉で行き先は何となくわかった。


 「あそこに行くのか?」


 気が進まない故にそう尋ねると瑞葉は不安そうな眼差しで言った。


 「別にあの時の続きをしようって言うわけじゃないよ?でもゆっくり話せるのはあそこかなって」

 

 続きなんてないだろう?

 そう言いたかったが瑞葉を必要以上に傷付ける気がして言うのはやめた。

 あの日あの時あの場所で俺達は終わったんだから。

 もう俺と瑞葉が再び走り出すことは無いんだよ。

 前を歩く瑞葉の背中に俺は胸中ででそっと言葉を投げかけた。



※作者は静岡県西部の田舎者なので出張以外での横浜を知りません。

 少々、いい加減なところもあるかとは思いますが目を瞑ってやってください。

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