契約期間終了

定時をすっかり過ぎたころ、社員のひとりの竹原が会議室の前を通りかかると誰もいないはずの部屋から明かりが漏れているのが見えた。


「あれ、広野さん。まだ帰ってなかったんですか」


「あ、見つかっちゃいましたね。」


「それって……今日の?」


「そう。本当は個人情報?プライバシー?だかですぐに処分しなきゃいけないんですけど、彼は私がここに入って初めてのお客様だから。あ、これ支部長には内緒でお願いします」


「ええ、いいですけど……また拒否ですか?」


「うーん……最近多いし、彼もまだ若かったから無理もないです」


「忘れられちゃったんですかね、キャッチコピー。もうすっかりみんなステータスとしてしか見てない」


「……よくわからないけど、色々変わってるんですねぇ。拒否もしかたのないことかな」


寂しそうな顔で言う竹原になんと声をかければいいのかわからず、広野は黙る。

会議室の巨大モニターで彼の最初のお客様だという男性を見ていた竹原は急に調子を変えて話し出した。


「初めての誕生日。初めての告白。初めての挫折。たくさん見どころはあるのに、こんなに素晴らしい人生なのに……少しもったいないです」


竹原のいうようにどの場面でも男性は必ず誰かに囲まれていた。モニターにはあたたかな雰囲気が流れている。


「自己犠牲がいいこと、と言いたいわけではないのですが……私が一番『生』を感じるのはやはり、この方の最期……」

そういって竹原がすい、と指を動かすと、映像はある場面に飛んだ。


幸せそうなカップル。ラブラブです、という空気がこちらにまで伝わってくる。


しかし、状況は一転。

次の瞬間、男性は女性を突き飛ばした。


転がる男性。よろける女性。


刺された。


後ろから走ってきた人影のフードがはずれて顔が見える。


「この人は……?」


「さあ、彼の人生観察員である私が知らないということは彼女の関係者か通り魔かもしれません。ドラマみたいですよね」

そう言って竹原は乾いた笑いをもらした。

そして、はあとため息をつく。


「過去は変えてはいけない。わかってはいてもそれが逆につらいこともあります……」

真面目な竹原がこぼしたその一言で、広野は竹原がどれほどこの男性に思い入れを抱いていたのか気づかされた。


「これはもう処分します」


「え」


当然のことのはずなのに、動揺する広野を見て竹原がほほ笑んだ。


「すべてのデータを取っておくわけにもいきませんし、他のお客様もいらっしゃいますから、私もいつまでも引きずっているわけにはいかないのです。」


時間の管理者の端くれが、時間にとらわれるわけには、ね。


「……。そうですね。この間2025年のお客様の担当になったって言ってましたね」

「はい。どなたの担当でも私は私の仕事をするだけです」


そうしてある一人の男の人生の記録は完全消去された。

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