第2話
約束した桜の季節がやってきた。綾はもうあの屋敷には住んでいない。あれから2年後に母が亡くなり、中納言となった父の館にひきとられたのである。今日も今日とて箏をかき鳴らし、睡蓮の君にもらった小刀を撫で、外を眺めていた。
「綾姫、そなたの縁談が決まりました。」
先触れもなく継母がやってきて告げる。綾は袴の下に刀を隠す。
「紀伊守の後妻として任国に下りなさい。」
綾は衝撃を受けた。睡蓮の君が迎えにくるのに、と。
「急なお話ですので…」
言葉が続かない。
「大丈夫です。相手方は時間をかけてそなたと交流したいようです。文のやりとりから始めなさい。」
それだけ言って、父の北の方は立ち去ろうとする。
「お待ちください。それは中納言さまはご存じなのでしょうか。」
乳姉妹の楓が言った。
「お黙り。私が決めたことに何か文句でもあると言うの?」
北の方は不快そうな眉を顰めた。
「綾姫さまは受領に嫁ぐはずの方ではございません。」
「私が世話をしなければ受領の愛人になれたかも怪しいわ。感謝しなさい。」
そう言って今度こそ、継母は出て行った。
「姫さま…」
楓が気遣って言う。
「どうしましょう。私…」
綾は睡蓮の君を忘れていない。前の屋敷には手紙を残してあるし、楓に定期的に取り替えてもらっている。睡蓮の君が迎えにきてくれると信じているのだ。
「姫さま、どうにか策を考えましょう。睡蓮の君が来るまで持ちこたえるのです。」
「ええ。そうね。」
2人でああだこうだと話していると、
「楓さま、綾姫さまにお文が参っております。」
楓が受け取りに行く。紀伊守からだった。何が書かれているのかと綾は青ざめる。
「代わりに読んでくれる?」
楓が読む。
「求婚の文ですね。」
「どうしよう…」
「読んだところ、このエロオヤジは若い何も知らない乙女と恋愛を楽しむ気満々なので無視しましょう。」
「北の方に何か言われないかしら。」
「恋のやりとりを楽しみたいのですと言って駆け引きのフリでもしましょう。エロジジイもそれを望んでいるようなので。」
「そうね。」
時間は稼げるだけ稼ごうと決めた。
「その間に中納言さまに、申し上げましょう。」
「お父さまは頼りにならないわ。」
綾を帝の后にしようしていた気力あふれた父はもういない。母の死後は北の方の言いなりだ。
「とりあえず時間は稼げます。あとは夜は私も姫さまの御帳台で休ませていただいても?」
「そうね。その方が心強いわ。」
「しばらくは大丈夫だと思いますが念のためにそうしましょう。」
それから毎日紀伊守からの文は届いた。綾は一通たりとも返さなかった。
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