平安初恋絵巻(仮)

みお

第1話

 その日、右大将の姫、綾は庭で桜を見ていた。普段は一緒に暮らしていない父が今日は来ており、この頃体調を崩した母を見舞っている。ハラハラと涙をこぼす父を見るのが嫌で、綾はそっと部屋を抜け出した。


 こんな外にいるなんてことがバレたら、父にも母にも乳母にも色々言われるだろう。でも、今日はなんとなく外に出てみたかったのだ。



 この部屋の付近には、父は誰も近寄らせない。美しすぎる母を垣間見られるようなことはあってはならないからだ。

 母に良く似た綾も、后がねと言われ続けうんざりしている。世の女性がみな夢見るものである天皇の妻、皇后、中宮の位も綾にとっては何も魅力的に思えないのだ。

 毎日毎日、和歌や箏、手習、することがとても多い。たかが中納言の娘が入内したところで、更衣として埋没するだけだ。と綾は思っている。


 誰にも見つからなかったことをいいことに綾は築地の方まで歩いてきていた。

 築地は広く、一部手入れの行き届かない場所がある。


「あら、穴が空いてるわ。」


 綾は、築地に穴を見つけた。

 ここからなら外に出れるのだろうか。綾は興味を引かれ外を覗き込んだ。


「きゃっ」「わっ」


 綾が覗き込んだ向こうには人がいた。その人もこちらを覗き込んでいる。


 綾はとっさに顔を隠す。顔を見せてはいけないと散々言われているし、恥ずかしく感じるからだ。

 そうこうしている間に穴の向こうから1人、水干姿の少年がやってきた。


「君は誰?ここのお屋敷に住んでるの?」

「ええ。」

「そうなんだ。君とてもきれいだね。名前は何でいうの?」


 綾は答えられなかった。名前を教えるということは妻問いだという物語を読んだばっかりだったからだ。


「あれ?教えてくれないの?」

「あの、」

「じゃあ、朝桜の君、花見でもしませんか?」


 少年にこちらを害する気はなさそうだ。知らない人と話すのは憚られたが、今日はなんとなく話してしまった。


「僕は今日お祖父様の家に来ててね。母上の出産でとても暇だから抜け出してきたんだ。」

「まあ。大丈夫ですの?」

「今頃、探してると思うよ。」

 あははと少年は笑う。


「君は?何をしてたの?」

「毎日毎日たくさんのお稽古に疲れたの。お父さまがいらしてるからみんな忙しくて抜け出せたのよ。」

「そんなに毎日お稽古してるのかい?」

「ええ。箏に手習、絵画に、和歌、最近は漢籍までしようかと言い出したわ。」

「それはすごいね。漢籍など女性には必要ないだろうに。」

「普通はそうよね。お父さまはわたしを帝に差し上げたいのよ。」

「君、大臣の姫だったの?」

「いいえ。お父さまは右大将よ。」

「君は、更衣になりたいのかい?」

「なりたくないわ。」


 物語で読んだ更衣みたいにいじめられて死ぬのは嫌だもの。と綾は思った。


「じゃあ僕と結婚しようよ。」

「何を言っているの?」

「君は今いくつ?」

「10よ。」

「僕は今12なんだ。もうすぐ元服だ。これから4年後、桜の季節に君をもらいに行くよ。決して他の人と結婚してはならないよ。」

「ふふふ。わかったわ。」

「約束だよ。」

「ええ。」


 顔も知らない帝より、この気さくな少年のが良さそうだ。


「睡蓮の君ー!」

「睡蓮さまー!」


「あ!大変だ。行かなくちゃ。」

「睡蓮の君とおっしゃるの?」

「呼び名だよ。あ、これをあげる。」

 少年は綾に短刀を渡した。


「え、これ大事なものなんじゃ…」

「うん。だからなくさないでね。僕の守刀だから。」

「あの、じゃあこれを…」

 綾は、扇を渡した。


「いいの?ありがとう。絶対迎えに来るからね。それじゃあ。」

 少年はまた築地の穴から出ていった。


「睡蓮さま…」

 綾は、睡蓮の彫られた短刀を抱きしめた。



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