第七話 ピンチかチャンスか

 豪勢なじゅうたんが敷かれたリビングで、中年男が一人くつろいでいた。

 身なりこそ良いが、そのたるみきった腹と眠そうな眼はあまり品性を感じさせない。

 そんな男が、テーブルの上にワインボトルを置いてグラスでがぶ飲みしている。

 ふいにドアがノックされた。

「旦那様」

「おお、クリス。入れ」

 その男、アシッド伯爵はそう言った。

 ドアが開いて高齢の執事、クリスが顔を出した。

「侵入者は今のところ見当たりません」

「当然だ。万全の警備の中、来られるはずがない」

 満足げにアシッドは言った。

「しかし、予告状は今夜ですので、必ず来ます。あまり深酒をなされない方が――」

「お前もうるさい奴だ。ワシがしたいようにする」

 アシッドはそこでふと思いついたように言った。

「あの盗賊団。ガラ……なんとか、盗賊団だったかな?」

「ガラド盗賊団です。旦那様」

「ええい! 名前などなんでもいい! ……確か若い娘が居たな」

 ――またこれか。

 クリスはため息が出そうになるのをこらえた。

「はい。エルフの娘に人間の少女が一人。侵入してくるのは少女の方かと」

 クリスは無能という訳ではない。予告状が届いてから今まで、その盗賊団のことを熱心に探っていた。

「その少女というのは、まだ子どものようだな」

 グフグフと気持ちの悪い笑い声をあげる。黄ばんだ歯が開いた口から見え、粘性の高い唾液が垂れ下がった。

 ああ、辞めたい。

 クリスは心底そう思った。しかし、高齢の彼がここを辞めたら、雇ってくれるところなど他に無さそうなのも事実だった。

「捕らえたら、たっぷりとおしおきしてやらんとな」

 アシッドが笑うと、そのだらしない腹が揺れた。

 アシッドはまだ未成熟な女性が好きな――もっと端的に言うならばロリコンだった。

 ことあるごとに金にものを言わせて少女たちをたぶらかし、淫らな行いをしていた。

 それはあまりにも度し難く、それを良く知っている人間は嫌悪感を抱かずにはいられないものだった。

「し、しかし……王国兵に引き渡す時に規約が――」

「ああん?」

 そうだ。盗賊を捕まえても、過度の虐待等は禁じられている。捕まえるのはあくまで「自衛」という建前のはずだ。

「そんなもの、引き取りに来た兵士にいくらか握らせれば黙るだろう」

 この腐れ外道が。

 クリスの口からそんな言葉が漏れそうになる。彼とて良心が無い訳ではない。

 それでも、持ち前の自制心で罵倒するのを必死にこらえた。

 ふいにクリスのポケットのテル・シェルから何か聞こえた気がした。

 誰かから通信が入った。慌てて耳に当てる。

「こちらクリス……何があった? 報告しろ」

「玄関扉近くの物陰で兵士二人が気を失っていました!」

「玄関の鍵は?」

「閉まっていますが、入った後また閉めたのかもしれません」

 鍵開けは盗賊には常套手段だ。鍵が閉めてあってもこちらを安心させるためのフェイクで中に侵入している可能性も十分にある。

 クリスは少し考えると言った。

「そうか、分かった。警備を屋敷の中に集中させろ。外の警備の者をできるだけ屋敷内に回せ」

「了解!」

 思いとは裏腹にクリスは的確な指示を出した。


「警備に侵入がバレたわ!」

 ガラドのテル・シェルからルナはそう告げた。

「どこに居るのかもバレたのか?」

「ええ、屋敷内に居ることには気付いているみたい……急いで!」

 ルナは緊迫した声で言った。

「せっかく元通りに鍵を直したのに気付かれちゃったか……」

 透はのんびりした声で言った。焦っていない訳ではない。性分なのだ。

「至急、その部屋までの案内を頼む」

 ガラドも冷静だ。

「ええ、そこを曲がると階段があって――」

 ルナは魔法紙の位置を確認しながらナビゲートしているようだ。

「きゃっ!」

 曲がった先にメイドが居て、声を上げた。

「くそ、見つかったか」

 そう言いながらも、三人ともその脇をすり抜けて階段を目指す。

 警備の兵士ではなかったが、じきに伝わるだろうことは容易に想像がついた。

 階段を上がると、窓から玄関の方を見る。

 玄関は開いていて兵士たちが続々と入ってくるところだった。

「これは、少し厳しいな」

 ガラドは内心焦っているのだろうが、それを表に出さないように言った。

「三階への階段は屋敷中央にしかないわ」

 ルナがガラドに伝える。

「全く、芸術的だか知らんが、機能美に欠ける構造の屋敷だ」

「そうね」

「うん、そうだね」

 三人とも走りながら話している。透にとってはかなり速い速度だが、文句は言っていられない。

 三階に上がると、下の方が騒がしくなってきたのに気付いた。

「まずいわ。こうなったら、一度撤退を――」

「アタシ、おとりになる!」

 ティアが唐突にそう言った。

「おい! おとりって言っても、侵入してるのはお前だけじゃないことを知ってるはずだが……」

「盗賊団のメンバーを知ってるって言うこと?」

 透が聞く。

「ああ、向こうもこれだけ準備してるんだ。メンバー構成ぐらい知ってるだろうよ」

「大丈夫! アシッド伯は変態だって言うし、アタシなら引き付けて逃げられる!」

 ティアは自信満々に言った。

「確かに、お前の足なら並大抵の者には捕まらないだろうが――」

「じゃあ、それでいこう! ルナ、アタシが逃げ回ってるって情報を流して!」

 ティアは自分のテル・シェルを取り出してそう言った。

「分かったわ。声は布か何かで口を押えれば誤魔化せると思うから……どうせ誰の声かなんて気にしないでしょうし」


「屋敷二階に侵入者の少女を発見。窓を開けて庭に飛び降りた模様。繰り返す――」


 誰の声とも知れない声でテル・シェルが告げる。

 クリスは嫌な予感がした。臨時で雇った中に、こんな奴が居たか記憶になかった。

「少女一人なのか? おい? 詳細を――」

 返答はなかった。

「おい! 誰か続きを伝えろ! 他の連中は居るのか!?」

「賊は飛び降りて庭に出て、逃走を図っている模様――」

 声の主はそれを無視するかのように続けている。

「おい! その少女一人だけなのか!? 状況をもう少し詳しく――」

「ええい! 貸せっ!」

 アシッドが強引にテル・シェルを奪い取った。

「その少女を捕まえてワシの所に連れてこい! 特別に二百万D払ってやる!」


※D=この世界の通貨の単位。だいたい円と同等。


「何を馬鹿なことをしてるんです!?」

 耐えきれなくなったクリスが叫んだ。

 臨時で雇った者はもちろんのこと、普段から居る者も薄給だ。これでは警備の配置を無視してそちらに走るに決まっている。

「主人に向かって馬鹿とはなんだ!? この老いぼれが!」

 アシッドはその意味を理解していないようだった。

「そんなこと言ったら配置が無茶苦茶になるでしょうが!?」

「そうさせないのがお前の仕事だろうが!? それにどうせ開けられんわ!」

 クリスは心底呆れて黙った。

「二百万! いや、二百五十万で!」

「俺なら二百四十万で!」

「二百三十五万でどうですか!」

 テル・シェルからは交渉する声が聞こえてくる。

 雇い主もそうなら、雇った人間もそうだ。この非常時に何をしているのだろうか。

「駄目だ、二百八万!」

 そして、上げ幅がせこい。これが伯爵の言うことだろうか。

「いや、二百三十万!」

「二百二十五万!」

「駄目だ、二百十二万!」

 あまりにせこい。せめて十万単位で上げてくれと、クリスは思った。

「なら、二百十五万なら!」

「よし! それで決まりだ! いいか、少女を捕まえた者に二百十五万出す!」

 歓声がテル・シェル通して聞こえた。

 アシッドはテル・シェルをテーブルの上に放り出すとまた飲み始めた。


「なら、二百十五万なら!」

 ルナは笑いを必死でこらえながら、布で覆った口でそう言っていた。

 この伯爵、本物の馬鹿だ。少し注意を逸らしてやろうかと値段の交渉を持ち出したが、まさか本当に乗ってくるとは思わなかった。

 自分なら即座に決めるか、交渉などせずにさっさと捕らえろと指示を出すだろう。こんな交渉など時間の無駄でしかない。

「ティア、聞こえる? あなたに二百十五万Dの賞金が付いたって♪」

 もう片方のテル・シェルに向けてそう言った。

「え~、乙女の純潔が二百十五万とか、安すぎない?」

 ティアの軽快に走っている足音が聞こえる。

「まあ、ケチな伯爵だから……どう? 逃げきれそう?」

「うん、バッチリ!」

 声に交じって奥から複数の足音が聞こえてきた。追われているのだ。それも相当な数に。

「トオルたちはどうなってる?」

「もうすぐ目的の部屋に着くわ」

 ルナは魔法紙の表示を見ながら言った。

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