散り際を見届ける

 友人に『うみねこのなく頃に』を貸した私は、それからあまり日を置かずに、今度は逆に友人から、発売されたばかりのノベルゲームを借りることになった。

 その名は、『うみねこのなく頃にちる』のエピソード5。孤島ことうで起きた連続殺人事件の出題編を描いた『うみねこのなく頃に』エピソード1からエピソード4に続く、待望たいぼうの解答編の一作目だ。残りのエピソードは、発売を待ちながら追いかけていくことになる。

 解答編が一つ公開されるたびに、私と友人は居酒屋で『うみねこのなく頃に』について語り合った。あの親族しんぞくあやしいとか、いとこ組の行動も気になるとか、あのエピソードの台詞せりふ伏線ふくせんかもしれないとか、あの人だけは、どうか、犯人であってほしくない、とか……ボリュームがある物語なので、考察が必要な場面もかなり多く、わくわくしながら『うみねこ』談義だんぎに花を咲かせた。

 ただ、『うみねこのなく頃にちる』のエピソード6の終幕しゅうまくを見届けて、エピソード7を迎える頃には、私たちの楽しさには、悲しさと切なさが入り混じっていた。

 物語が終盤しゅうばんに入ったことで、散りばめられた謎のいくつかには、明確な答えが出されていた。私たちは、真実を切望している一方で、犯人と動機どうき目星めぼしがついたことに、強く打ちのめされてもいた。一刻いっこくも早くラストシーンにたどり着きたい気持ちと、まだ楽しさにひたっていたい気持ちが、静かな熱を持って拮抗きっこうしている感覚が、苦しい名残惜しさをき立てた。

 けれど、物語は終わりがあってこそだから……という言葉を、初めて目にしたのは、私が高校生の頃だと思う。電撃文庫から刊行されている『キーリ』シリーズの終盤で、著者の壁井かべいユカコ先生が、あとがきで書かれていた言葉だと記憶している。確かに、物語は終わりがあるからこそ、物語たり得るのだと、私も思う。

 そして、最終章の『うみねこのなく頃にちる』のエピソード8を読み終えた私は、しばらくのあいだ燃えきていた。それから数年後に、『うみねこのなく頃にちる』のエピソード8のコミカライズ版が完結したことを知り、電子書籍で購入して、一気に読んだ。ゲーム版ではかされていた場面や感情、謎解きが、漫画家の夏海なつみケイ先生によって、余すところなく丁寧に描き出されていて、感嘆かんたんの溜息が零れた。美しいラストを見届けることができて、本当によかったと思う。

 よかった、と感じたことは、もう一つある。2023年の冬に、『うみねこのなく頃に』がお好きなWeb作家仲間と出会えたことだ。

 四谷軒よつやけんさんの『もしかして、師走ですか?私です。初めまして、あなたは。 ~二次創作スレッド「雛見沢物語」の思い出~』(https://kakuyomu.jp/works/16817330650212952658)というエッセイのタイトルを一目見るなり、ひぐらし・うみねこ作品に熱を上げていた「あの頃」の高揚こうよう感が胸にせまった。『うみねこのなく頃に』を好きになった私が、事件の考察を友人と語り合ったように、きっと物語と人の間には、人の数だけドラマが生まれる。

 同人ゲーム『うみねこのなく頃に』は、Nintendo Switchに移植されているので、友人と「Switch版を買うタイミングを合わせて、また語り合おうね」と約束している。六軒島ろっけんじまミステリーに再び挑める日が、今からとても待ち遠しい。

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