戻ってくる様式美

 これから語る映画は、洋画ようがむさぼるように観ていた二十代前半の頃に知った、フランス映画……だと思う。だが、違うかもしれない。その映画に関する記憶が曖昧あいまいで、おそらく母がリビングで映画を観ていたときに、私は偶然ぐうぜん通りかかっただけなのだと思う。覚えていないことが多いけれど、一つだけ、鮮烈せんれつに記憶していることがある。

 主人公の男性は、ヒロインとおぼしき女性をナンパする。しかし、女性はツンとました表情で、何も言わずに車に乗り込み、去っていく。

 すると、映画を観ていた母が、楽しそうな笑みで予言よげんした。

「あの車、きっと戻ってくるよ」

 戻ってくる? 本当に?

「戻ってきたら、たぶん連絡先を教えてくれるよ」

 連絡先まで? みゃくなしの空気がただよっていたのに?

 半信半疑はんしんはんぎで、映画の展開を見守っていると――本当に、戻ってきた。しかも、主人公のそばまで車をUターンさせた女性は、本当に連絡先を教えてくれた。母は、その映画を初めて観ると言っていて、ストーリーを何も知らないはずなのに、テレビの中で出会った男女の未来を、占い師のようにピタリと当てて見せたのだった。

 ヒロインの女性が、どのようにして主人公に連絡先を渡したのか、電話番号を書いたメモを渡したのか、それとも車の窓ガラスに口紅くちべにで電話番号を書きつけたのか……ここでも私の記憶が曖昧で、詳細しょうさいはまるで思い出せない。おそらく後者だろうと当たりをつけている。母にけばわかるはずだが、なんとなく、思い出を曖昧なままとどめていても楽しい気がして、今も答え合わせをしていない。その一方で、あの映画のタイトルを知りたいと望む気持ちも持っていて、こうしてエッセイにつづったことで、真相と巡り会えても素敵だと思っている。

「よくあるのよ。一度は立ち去ったのに、すぐに戻ってくる。何も進展しないように見せかけて、あっという間に進展する流れが」

 そう語った母の話しぶりは軽やかで、展開を容易に見通せてしまうことに対する失望しつぼうは感じられず、むしろ嬉しそうだった。人の手で作られた物語が、誰かの心に寄り添うというエンターテイメントのお手本を、目の当たりにした気分だった。

「次のシーンで、こういう展開が待ち受けているんだろうな」と観客に期待を持たせてから、期待にキッチリ応えてみせて、予想が当たった嬉しさで、心を温かく満たしてくれる……そんないつくしみにあふれた様式美ようしきびが、私は好きなのかもしれない。

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