第6話 覆
この日、王の館の部屋の一つに集まったのは、いつもの議会の面々であった。床張りの何もない部屋に、王を取り囲むように、四人の若い族長が床に胡座を組んで座っている。
「翡翠。お前のところの例の娘、また騒ぎを起こしたらしいではないか」
艶やかな黒髪を腰まで足らした女が、ごく軽い口調で切り出した。
川蝉の集落の族長、瑠璃は、ただ座っているだけで匂い立つような色気を放つ美女である。
「瑠璃は耳が早いな。まあ話を聞く限りは、単なる子供同士のいざこざだ。わざわざここで取り合うほどの話でもない」
答えたのは、瑠璃の隣に座るやや地味な女、鶯の族長、翡翠だ。童顔で小柄なため、既婚を示す額の逆三角の刺青がなければ、一見子供のように見える。
「また蛇の娘の話か。森で拾ったものならば、さっさと森に返してくれば良かろう」
つっけんどんに言い放ったのは、梟の族長の瑪瑙。首の後ろの一筋以外は短く切り揃えられた髪と、鍛えられた太い腕と大きく厚い胸板。
精悍なその見た目通り、繊細さとは無縁な、思ったことしか口に出せない性分だ。
「翡翠どのは情けが深いのだ。騒ぎの種をなかなか手放せないほどにな」
含みのある言い方の優男が、鷺の族長の真珠。女のように美しい顔立ちの割には背が高く、緩く波打つ肩までの髪を垂らしている。
若い娘が好みそうな甘い声の持ち主でもあるが、その声で語られる言葉の多くは棘のある皮肉である。
檜岳の巻き起こす蛇に纏わる騒動について、すでに四人の族長たちは食傷気味だ。
誰もこの件を議題として真面目に取り上げるつもりもなく、ただいつまでも同じような問題に振り回される翡翠をからかっている。
しかし、若者達のじゃれあうような応酬に水を差すように、上座にある四鳥王は重々しく口を開いた。
「族長達よ。つまらぬことか判じるのは、話を聞いてからにしようではないか」
王の一声で、弛んだ場が一気に引き締まった。
「我らはいつも鳥の目のように国の隅々まで見通していなければならぬ。翡翠、詳細を述べてみよ」
王は族長たちよりも一回り歳上で、黒々とした顎髭と鷹のように鋭い眼を持つ。癖の強い族長達も、この眼にひと睨みされれば、萎縮してしまう。
「申し上げます」
翡翠は王に向かって一礼して、ことの次第を語り始めた。
「一昨日、我が集落の三人の子供が、倉の裏で遊んでいた時、蛇に噛まれました。一緒にいた例の娘、檜岳は噛まれていません。
噛んだのは毒を持たぬ蛇で、どれも大したことのない傷ですが、子供たちは檜岳が蛇をけしかけたと言って、罰を求めています」
一人の親から報告を受けてから、翡翠は各々の子供たちの様子を見に行った。
蛇に噛まれた三人は足に空いた小さな穴を見せつけ、どれだけ恐ろしい目に遭ったのか、口々にまくし立てた。
実際は、むしろ一番傷がひどいのは檜岳だった。
整った顔だちが、目も当てられぬほど赤く腫れ上がり、身体中青痣とたんこぶだらけだった。
明らかに他の子に殴る蹴るされたようだが、自分からは何も語らず、翡翠の問いかけにも最低限しか答えようとしなかった。
その代わり、檜岳は挑むような強い瞳で翡翠を見返してきた。
ふと、真っ直ぐな眉の下にあるその薄い茶色の瞳には、自分がどのように映っているのか訊いてみたい気になった。
少なくとも理解も同情も求められてはいなかった。誰にも助けを乞わずに自分を貫こうとする子供の姿は、ただ健気で、哀れだった。
実のところ、蛇の絡む苦情の処理で何度も関わるうちに、翡翠はこの子供に対してかなり情が沸いていた。
翡翠から見た檜岳は、親思いの孝行娘であり、人の気持ちに敏い優しい子であった。容姿にも優れており、大人になればかなりの美人になりそうで、蛇に好かれるなどという奇妙な所さえなければ、さぞ皆に愛される子だっただろうに、と思わずにはいられない。
さらには異郷の者に連れて来られた本来身寄りのない子であることも、翡翠が特に檜岳に同情する理由だった。
「蛇をけしかけたとは、どうやって?」
王が興味深そうに問いかけた。
「子供たちが言っているだけで、本当にけしかけたのかは不明です。少なくとも檜岳自身は否定しています。
遊んでいるうちに、檜岳の周りに蛇がたくさん集まってきて、その中の何匹かが子供たちを噛んだようです」
翡翠は出来るだけ曖昧な表現を使い、檜岳の怪我についても話さなかった。いじめの報復のために害意を持って蛇をけしかけたと捉えられるよりも、子供同士の悪ふざけが偶然不幸な結果になったと思われた方が、まだ檜岳にとってましだろう。
「遊んでいるうちに、か」
王は自分の豊かな顎髭を撫でながら翡翠の言葉を繰り返した。
「檜岳という娘がどうやら蛇に好かれる変わった子供であるというのは、すでに皆がよく知っていることだ。
それだけなら、ただ薄気味悪いというだけで、大した害がない存在だったとも言える。
しかし、遊んでいるつもりでも結果的に周囲に怪我をさせたというのであれば、今回のことは、決して軽んじることは出来ない。
翡翠よ、これは私にはつまらぬこととは思えぬな」
「それは、確かに王の仰られる通りです。しかし、檜岳が故意ではないと言っている以上、罰を与えるのも不当かと思われます。事故のようなものでしょう。
実際に子供達を噛んだのは檜岳ではなく、蛇なのですから」
「しかし、その娘がいなければ起きなかった事故だ。罰とは言わずとも、何かしら対策がいるのではないか」
「まだ一回しかこのようなことは起きていないのです。もう少し様子を見てからの判断でも、良いのではないでしょうか」
辛うじてそう答えた翡翠だったが、予想していたよりも厳しい王からの追及に、かなり面食らっていた。これまでの王は、檜岳の話題が出るたびに、ずっと無関心を貫いて来たのだ。
今回の事に対する王の言い様は、正論ではあるものの、不自然なほど唐突に思えた。
「二回目が起きるのをわざわざ待つ必要はどこにある。娘の扱いを、少し考えた方がよかろう。今までのように集落に置いておくのは、危険だ」
翡翠の戸惑いをよそに、王はさらに追及を続ける。そこに真珠が穏やかな口調で入り込んだ。
「私もこのままでは危険なことが起きる気がします」
真珠は肩に掛かった波打つ髪を手の甲で払いながら、翡翠の方へくるりと向き直る。
「翡翠、王の憂いはもっともですよ。何せ蛇が憑いた娘です。風鷲さまのお守りくださるこの美しい四鳥国に、不似合いな禍つ者です。しかし、さればこそ扱いは慎重に決めなければ、かえって災いを招きかねません」
勿体ぶった口調にしびれを切らした瑪瑙が、横槍を入れる。
「蛇の祟りでもあるというのか。どう気をつければいいかも分からんではないか。だから、森に返すのが一番だと言っている」
「おや、森に返すなど勿体ない。せっかく面白い子なんだ。鶯が要らないなら、うちで引き取ってもいいな」
瑠璃が議論をかき混ぜると、そのまま族長たちが各々自由な発言を始めた。
しばらくの間王はそれを黙って聞いていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、もうすぐ来年の『覆』を選ぶ時期だな」
突然思いがけない話題を振られ、族長たちが一斉に王へ目を向けた。
覆の儀はこの四鳥国で三年毎に行われる祭礼である。
『覆』という役に選ばれた若者は約一年の厳しく制限された生活によって穢れを清められる。
そして、神である風鷲さまへ生け贄として捧げられる。死後の世界では、覆は輪廻の輪から外れて、永遠に風鷲さまに仕える僕となるという。
来年春に行う儀式のため、覆は夏前までに清めの期間に入らなければならない。
「一昨年の覆は鷺のものであったな」
「はい」
神妙に真珠が頷く。
「では、次は他の三つの集落から選ばねばならぬ」
瑠璃、瑪瑙、翡翠の三人は互いに顔を見合せる。
覆に選ばれるのは心身ともに健やかな少年少女であり、大変栄誉なことである。しかし、その果たすべき役目を思うと、それを族長として本人や家族に伝えに行くのは、気が重い。
三人の族長が誰も口を開かぬうちに、王が次の言葉を繋いだ。
「そこでだ、蛇の娘はどうであろうか」
予想を遥かに飛び越えた王の提案に、瑪瑙が慌てて声を上げた。
「まさか。蛇が憑いた娘を我が国の神に捧げるというのですか」
「そんなことをして風鷲さまに穢れが移らないでしょうか」
真珠も珍しく焦った声を出している。
「それは風鷲さまが決めること。我らが案じるなど恐れ多い。もしお気に召さなければ、覆は清めの期間を乗り切ることはできまい」
王は表情を変えずに答えた。これまでも、清めという厳しい試練を乗り越えられず、命を落とした覆も少なくない。
その場合は風鷲さまに相応しい生け贄ではなかったとして、すぐに次の覆が選ばれてきた。
「確かに。そうなった時は、改めて他の子を選び直せばいいだけのことだな」
生け贄を自分の集落から出さず済むからか、瑠璃はこの案に乗り気のようで、髪を指で弄びながら頷く。
「まあ、そうだが」
瑪瑙もそう呟くと、それ以上は反論しない。残された翡翠はそれでもなんとか流れを変えようした。
「お待ちください。覆は本来十三の歳を越えたものから選ぶもの。確か檜岳はまだ十一で、幼なすぎます。せめて次の選びまで待つべきかと」
檜岳の歳で清めを受けたものなど今までいない。儀式の前に命を失うのは確実だと思えた。
「王よ、どうかご再考を」
王は翡翠の顔を見つめ、穏やかに問いかける。
「翡翠よ。お前の情が深いところは美点だ。だが、先々のことまでよく考えてみよ。このままその娘をお前の集落に置いたところで、一体誰のためになろうか」
翡翠は傷だらけの檜岳の姿と、いつも周囲の目を窺うようにして暮らす春日たち家族を思い浮かべた。
悲しいことだが、もし檜岳が覆として立派に役目を務めれば、家族の立場は今よりかなり良くなるだろう。
「確かに、あの娘は他人と距離を取らせる方が良いでしょうが」
翡翠は目を逸らして、こう答えるしかなかった。
「なら、清めはうってつけだ」
面白がるように、瑠璃が横から口を挟んだ。
「けれど」
さらに言い募ろうとする翡翠を、先ほどとは別人のように冷ややかな王の一言が制した。
「では、鶯から他の者を差し出すか」
翡翠は口をつぐみ、唇を噛んだ。
最初から王の気持ちは定まっているのだ。高潔な王が好むやり方とは思えないが、厄介者の蛇の娘を都合よく処分するつもりなのだろうか。
どちらにしろ、翡翠にこれ以上抵抗することは出来ない。しばらくの沈黙の後、翡翠は諦めて首を振った。
「いいえ」
かくして、次の『覆』は檜岳に決まった。
王と他の族長が退室していき、最後に残った翡翠が胡座を崩して立ち上がると、冷たく硬い床の上で、己の膝の裏がじっとりと汗をかいていたことに気がついた。
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