第3話 帝国の三つ子


さては始めに

一つの大蛇


永遠まわる日のひかり

咥えた尻尾をはなしては

ええいとばかりに卵をうんだ


産みの苦しみそのあいだ

二匹の大狗現れて

母と卵を守ったと


そして孵るは

くろつちと

あかつちしろつち

三つ島


溢れたみずが

五つの海に


喜んだのが

七匹の猿

赤い火囲んで舞い踊る


そこへ出てきた

十一羽

兎はうたげの餐になる


朝な夕なに鳴くのは烏

母の教えを広めんと

飛び立ったかず

十三羽


小さい一羽がのこりを殺し

二度とくにへは戻らない


二度とくにへは戻らない


 近所の屋敷から響くのは、子供達が歌っている童歌だ。  

 蹴鞠でもしているのかもしれない。

 もうすぐ我が家もこんなに喧しく、いや、賑やかになるかもしれないなどと想像しようとするが、なかなか木舟には難しい。どうにも、自分が人の親になるということが、いまだに信じられないのだ。


 しかし信じようと信じまいと、妻の梨花は確かに今、身籠っていた。瓜のように丸く膨らみ張り出したお腹は、すでに臨月のように大きい。

 このお腹を抱えた梨花と連れだって近所を散歩すれば、もうすぐですか、と声をかけられるが、実際には出産まであと二月はかかるはずだ。


 元々は神殿に仕える巫女であった梨花は、同時に三人の子を宿しているらしい。めでたいことではあるが、身体への負担は通常より大きく、夫である木舟はいつも妻の体調に気を使っていた。


 ある夜、隣で静かに寝ていた梨花が、おもむろにむくりと起き上がった。


 お腹が重くなってから、夜中に足をつって目を覚ましたりすることが頻繁にあったので、木舟は気にせず寝続けようとした。

 しかし、梨花はそのまま再び眠りにつくわけではなかった。わざわざ火打ち石を使って灯明皿に火をつけ、木舟を強く揺さぶり起こすと、神妙な顔でこう告げた。


「あなた、起きて。きちんと座って私の話を聞いてください。私はついさっき、不思議な夢を見たのです」


 妻のただならぬ様子に、木舟も瞼を擦りながら仕方なく起き上がり、寝台の上に胡座をかいて、二人は向かい合った。

 冷気が夜着の内側に入り込み、木舟はぶるりと身震いをした。雨が屋根や壁を叩く音がする。夕べ降り始めた春の雪は、いつの間にか雨に変わったようだ。


「夢の中で、私は正神殿の祈祷場に座り、安産の祈願をしていました。祈祷場は薄暗く、私の他には誰もおりません。私は祈祷場にある小さい祭壇に向けて、次のように申し上げました。

 三人の赤子が無事に産まれたら、ゆくゆくは三人ともあなたの神殿に仕えることになるでしょう。どうかあなたの僕たちを温かく見守り、祝福してくださいますように、と。

 すると、祭壇にある日輪の飾りの上に白く眩い光の玉がふわりと浮かびあがり、ゆっくり降りてきて、私の目の前に止まりました。その光の玉の中には蛇の影があったので、私はそれが蛇遍様のお姿だと思いました」

「なんだと?」


 半分寝ぼけたまま聞いていた木舟は、神の名を口にされて、飛び上がった。


 蛇遍様とは、この帝国の唯一無二の神であり、神官夫妻が奉仕している神である。太陽の化身であり、地上では蛇身を持つとされる。蛇の姿は死と再生、永遠の象徴であり、神殿には神のお使いとして蛇が大切に保護されている。


「それで、続きは?」

「私が額づくと、光の玉から鈴が鳴るような清澄な声が響き、 三つ子の母よ、と呼ばれました。

 はい、と返事致しますと、お前たち夫婦の信心深さを見込んで、ひとつ頼みたいことがある、と仰いました。私は、もちろん喜んで仰せのままに致します、とお答えしました。

 するとその美しいお声で、これから産まれるお前たちの子のうちの一人をお貸しなさい、と仰られたのです」

「それは、神託ということか」

「単なる夢だとするには、あまりにも鮮明でした。私は蛇遍様御自らお言葉を頂いたのだと思います」


 神託は決まった手順を経た巫女たちの占によってなされるもので、直接夢で見るなど、聞いたことはない。しかし、つい一年前まではその巫女であった妻なので、それはただの夢に過ぎぬと済ますことも出来ない。本当に蛇遍様からのお言葉ならば、内容によっては皇帝にもご報告しなければならない。


「子をお貸しするとは、一体どういうことだ。神子にさせよ、という意味だろうか」


 神殿では特別に選ばれた幼い子供が、一年間神官や巫女と一緒に神子として修行し、祈祷や祭事にも参加している。


「分かりません。ただ、国造りに必要だからと教えて下さりました。それから、その子の代わりに蛇の子を蛇遍さまのお使いとして私たちにお預けくださる、と。

 そこまで聞いてから、目が覚めました」

「ふうむ。蛇をお預けくださるとは、もしかしたら神殿でお世話している蛇をもっと増やすべきということだろうか」


 木舟は頭を抱えた。単純なようで、いかようにも解釈できる神託だった。よりによって自分の子供に関わることで、しかも、この帝国の国造りのためと言われると、やはり皇帝にお伝えしない訳にはいかないだろう。


 結局、夫妻は、余計な解釈を付け加えずにそのままの言葉を皇帝に報告した。皇帝は神託に大層興味を持ち、薬師や侍女を派遣して、妻の出産が無事に済むように取り計らってくれた。

 神託の意味については、三人の子供たちが産まれて来てから、改めて他の神官たちと共に考えることになっていた。

 そしてひと月後、夫妻は思わぬ形で神の真意を知ることになる。


「旦那様、いよいよです。初産にしてはお産の進みがものすごく早いようです」


 離れから戻ってきた侍女が、息を切らせて報告する。


「あら、やだわ」


 中庭の桜の花が散り始めたせいだろう。その肩に薄紅の桜の花びらが付いていたのを見つけて、侍女が慌てて自分で払う。


 陣痛は予定よりひと月ほど早く訪れた。一刻ほど前に侍女や産婆に付き添われた妻が、とうとう分娩のための部屋に移ったらしい。


「もうか」


 屋敷の離れに設けられた出産用の部屋には、男は近づくことすら許されない。付き添うこともできない木舟は、ただやきもきしながら神に祈っていた。   

 手を顔の前で握り合わせながらも、自然に足があちらこちらへと動いてしまう。


「木舟、少し落ち着きなさい。お前がどれだけ心配しようと、全てはあるがまま。蛇遍様のお心のままなのだから」


 白い衣を着た細身の老人が、部屋を行ったり来たりする木舟に正座したまま穏やかに語り掛ける。


「阿日神殿長」


 敬愛する上司に宥められ、木舟はぴたりと制止した。


「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。ただでさえこのようなむさ苦しいところでお待ち頂いているというのに」


 頭を下げると、やれやれ困った奴だというように、上司は苦笑した。

 阿日神殿長は木舟が仕える正神殿の長だが、今日は三つ子の誕生を見届け、神託の内容について見定めるためにここで待機している。彼には二名の神殿長補佐と四名の神官がつき従っている。


 他には、皇帝からの命をうけて皇帝の長子である絢太良皇子と、四名の史官、さらにも右大臣も同じ部屋で待機していた。彼らは帝国史書の編纂に関わっており、この神託の顛末も史書に記すことになるだろう。


 たかが一神官の妻の出産に、これほどの人が集まっていることも木舟の緊張に拍車をかけていた。貴人達に粗相がないようにと思いつつも、気にするほどかえって態度は上滑りしている。

 そんな主人に代わり、よく気の利く友近という使用人が来客をもてなしていた。さりげなく白湯や菓子を勧め、小まめに動き回っている。


「お気持ち、よく分かりますよ。妻の初めての出産は誰でも心配になるものだから」

「そうですな。私にも覚えがあります」

「うちなんか難産でしたから、待ってる時間も長くて」


 などと高貴な客人達に励ますように言われると、木舟は恐縮して顔を赤らめた。

 そうしているうちに、さらにもう一人の侍女が戻ってきた。


「旦那様、男の子と女の子のお子様が無事お生まれになりました」

「男の子と女の子、一人ずつか?」


 梨花の腹に宿っていたのは、三つ子であったはずだ。男女一人ずつでは、もう一人足りない。


「では三人目はどうなったのだ?まさか」


 悪い想像をしてしまい、木舟は凍りつく。侍女は慌てて首を振り、説明した。


「三人目のお子様は少し時間がかかっておりますが、おそらくもうすぐです」

「そ、そうか。あと一息だな」


 その後すぐに産婆がやって来て、三人目も無事生まれたことを告げた。待機していた全員がほっと安堵し、次々に祝いの言葉を木舟に掛ける。この気まずく落ち着かない集まりも間もなく解散になると、内心で皆が喜んでいた。


「皆様、お待たせ致しました。どうぞこちらへおいでください」


 友近が離れの一室に準備された面会の場へ案内する。男達はぞろぞろと縁側を通り、そちらへ向かった。

 「まずは父親から」と先を譲られてしまい、貴人達を差し置いて木舟は恐る恐る三つ並んだ赤子用の寝台の前へ進み出た。

 小さな寝台に一人ずつ置かれた、茶色い髪と眉毛が愛らしい男女の赤子達。


 木舟が一人目の赤子に手を伸ばそうとした、その時。


 目映い閃光がその子を包みこみ、まるで上から糸で引かれるようにすっと上昇した。白いおくるみがはらりと寝台の上に舞い落ち、赤子だけが光り輝くまま空中に取り残される。


 木舟はあまりのことに口を開いたまま、慌てて両手を上に伸ばしたが、天井近くまで浮かび上がった赤子には届かない。 ふわふわと浮かんだ赤子は、その場でゆっくりと独楽のように回転し始めた。

 回転は徐々に加速し、それと共に光もどんどん強くなる。

 異常な光景を前にしても、その場にいる誰も声を上げなかった。赤子たちの横で控えていた侍女も、神殿長も始めとした立会人達も、皆一様に口をぽかんと開けていた。声を上げようとしても喉が詰まって声は出ず、動くことも出来なかった。

 回転と光が限界まで達した時、何かが爆発するかのように一瞬光は屋敷全体を包むほどの強さになった。

 一番近くにいた木舟は思わず固く目を閉じるが、それでも真っ白に焼けた視界が元に戻るには時間がかかった。何度も瞬きしながら再び目を凝らすと、空中に浮かんでいる赤子の姿が別のものになっていることに気がついた。


 赤子の代わりにそこにあったのは、一匹の小さな蛇だった。


 緑と黒の縞模様の蛇が、ゆっくりと落ち葉が舞うように木舟の掌の上に降りて来た。小さな蛇はまるで生まれたてであるかのように、わずかに湿っている。木舟は訳が分からないまま、さっきまで赤子が寝ていた寝台の上に、その蛇をそっと下ろした。


 横に並ぶ二つの寝台には、さっきと変わらずに一人ずつ赤子がいた。しっかりと手足までおくるみに包まれたまま、何事もなかったかのように安心して眠っている。

 そして目の前の寝台に目を戻すと、そこにはやはり赤子ではなく蛇がいた。ごしごしと強く目を擦っても、やはり蛇だった。

 この目で見ていても信じられないことだが、赤子の一人は光に包まれて消えてしまい、代わりに一匹の蛇が残ったのだ。


 つまり、この蛇は。


「蛇遍様の、御使い?」


 木舟が呟いてごくりと喉を鳴らすと、やっと周りの者も金縛りが解けたように動き出し、騒ぎ始めた。


「奇蹟だ!本物の」

「まさに神託の通りだ」

「蛇遍様の御使いが降臨された!何という素晴らしい瞬間に、我らは立ち会うことが出来たのか」


 口々に興奮した声を上げる人々を尻目に、木舟はその場にへなへなと座り込んだ。

 友近が慌てて主人の肩を支えたが、一度抜けた腰はなかなか立ってくれなかった。


 この人知を超えた現象の詳細は、皇帝の耳にもすぐに届けられた。目の当たりにした者が口を揃えて同じことを言うので、皇帝はそれについて事実かどうかを疑うこともなかった。

 在位中にこのような奇蹟が現れたことに皇帝は大変喜び、自らの名前の中から一字を選んで三つ子に与えることにした。これは一部の皇族にしか許されない、破格の扱いであった。


 皇帝がすぐに触れを出したために、「奇蹟の三つ子」については国中に知られることとなった。

 国を挙げての祝福の中、気持ちの整理にいくらか時間を要したものの、木舟と梨花は小さな蛇も我が子として受け入れることが出来た。そして、溢れるような幸福の中、この変わった三つ子を愛し慈しんで育てた。


 三つ子のうち一人は神のみもとに召し上げられ、代わりに御使いとして蛇の子が遣わされたのだ。神官の夫婦として、これ以上誉れなことがあるだろうか。

 ただ、一度もこの手に抱くこともなく、名前もつけることが出来ずに幻のように消えてしまった赤子のことは、木舟の胸にずっと残り続けた。

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