貧乏国の悪役令嬢、金儲けしてたら婚約破棄されました

とまと

「公爵令嬢リアーナ、今ここで、皇太子ファルコの名において、貴女との婚約は解消する」


 え?


 えーっと……婚約解消?


 王太子ファルコとは目の前の金髪王子で、公爵令嬢リアーナっていうのは私。


 私、王太子に婚約を解消されちゃったってこと?





 お、お父様! 想定外です! これ、どうしたらいいんでしょうか?!





 時をさかのぼること4年前。


 呼ばれて父の執務室へ入ると、父と母が揃って沈痛な面持ちでいた。


「リアーナ、すまない……」


 向かい合わせのソファに腰を掛けると、父がすぐに頭を下げた。


「王太子殿下……第一王子のファルコ殿下との婚約が決まった」


「はぁ……えっと、ファルコ様と言えば、私より2つ年上で見目麗しくとくに悪い噂もない方ですわよね? なぜ、謝るのですか?」


 王子16歳。私14歳。


 公爵家に生まれたからには、恋愛結婚など夢見てはいない。政略結婚は覚悟の上だ。


「リアーナ、我が国エスティナは、とても貧しい国なのだ」


「え? 嘘でしょう?」


 国民が飢えに苦しんでいるわけでもなく、貴族はそこそこ優雅に過ごし、王族ともなるときらびやかな生活を……。


「いや、本当だ……。国土の7割が山。耕作地は少ない。生活に適さない冬は雪に閉ざされる地域もある。……食料は隣国からの輸入に頼っている。輸入するための外貨は、産出する宝石で賄ってきた……。しかし、その宝石の産出量も年々減っている上に、需要が減り、供給過多で値崩れしてきている……」


 ま、じ、か!


「それゆえ、もう2代前の王の時代から、緊縮財政に徹している」


「はぁ」


「王妃になれば……今以上に節約倹約質素な生活が待っている」


 え? いや、でも……。王家主催の舞踏会とか行くと、とてもそんな風には見えなかったよ?


「我が国が貧しいということが、隣国にはばれないように、王家は常に見栄をはり豊かなふりをしながらの生活だ。実際は、ドレスは何代も前の王妃のものをリメイクしていたり、靴に至ってはサイズが合わないものを無理に履いて足を痛めたりもしている」


「いつもにこやかで素敵な王妃様が、まさか……」


 母がハンカチを取り出して目頭を押さえた。


「叔母様は、小さな靴が痛くて痛くて、もういっそ指を切り落としてしまいたいと嘆いていたこともありましたわ……」


 叔母様というのは、王后さまのことだ。


 まさか、そんなことが……。


「リアーナにもそんな苦労を掛けるかと思うと……」


 母が、ハンカチに顔をうずめた。


「すまない。本当に、すまない、リアーナ。断ることができなかったのだ……」


 知らなかった。エスティーナがそんな貧乏な国だったなんて。


「お父様、もし宝石が産出できなくなったらどうなるんでしょうか……」


 父が眉根を寄せる。


「食べられるパンの量が減るだろう」


 小さく頷く。


「中には、十分に食べられなくて命を落とす者が出てくるかもしれない」


 奥歯をかみしめてこくんと頷く。


「身売りをする者が出て、人から盗む者が出て……国内は荒れるかもしれない」


 ぎゅっと固くこぶしを握り締める。


「弱体化した我が国に、隣国が攻め込み戦争にな……」


「お父様! わかりましたっ!」


 そんなの、いやだ。


「私、国母になります。王太子殿下と婚約して結婚して、後々は王妃になり、立派にその役目を全うします。贅沢はせず、ほかの国に隙を見せず……」


「リアーナっ」


 母が、私をぎゅっと抱きしめる。


「お母様、大丈夫ですよ。私、顔だけは華やかでしょう? 貧乏生活していても、とてもそうは見えないと思うんです。今だって、お茶会に同じ服を着て行っても誰も貧乏だなんて思わないんですもの。このドレス一番のお気に入りですのって言えば、みんな信じてしまうんですよ?」


「ああ、そうだ。今だって、決して公爵家の娘とは思えない生活をしていたな……」


 父が、私と母の背中をなでた。


「すまない……」


 


 はー。衝撃的な話を聞いてしまった。


 うちの国、貧乏だったんだ。……王妃様にはすっかり騙されてたよ。


 あんなに着飾る金があるなら、宰相やってる父の給料もっと増やしてくれ! とか思ってたくらいだもん。ごめんなさい。


 うーん、それにしても……。


 2代前から緊縮財政か。いつまで宝石は産出されるんだろう。いつまで、食料は輸入できるんだろう……。


 ぶるぶると身震いする。


 節約じゃぁどうにもならなくなったらどうなるの?


 駄目だよね、このままじゃ。もっと他に何か金を稼ぐ方法ないのかな?


 宝石以外に……。


 山が7割、その山から他に何か取れないのかな?


 うーん。


 よし! 決めた!


「お父様、私、旅に出ます」


 翌朝、食堂で父に宣言。


「ちょ、リアーナ、まさか、どうして、傷心の旅に出るとでも? そんなに王太子殿下との婚約がいやならば……」


「いいえ、違いますわ。国母になると決意したからには、この国のことをもっと知っておきたいとおもいまして」


 金になりそうなもの探す旅にとはさすがに言えない。


「ちょうど、中等部を卒業して、2か月間の長い休みに入りますでしょう? その間に国を見て回りたいと思いますの」


「あ、ああ、そういう……うむ、分かった、では、手配しよう……」


 手配?



 旅立ちの朝。


「おねーさま、おはようございます」


 ニコニコと目の前で少年が笑っている。


 ま、まぶしい!


 朝日に少年の金の髪が輝いて、まるで後光がさしているかのようにっ。


 少年の後ろには、男性が立っている。親子かな? これまた、金髪がまぶしいっ。


「えっと、初めまして、リアーナです」


 とりあえず、挨拶挨拶。


「リアーナおねーさま、僕のことはエイトと呼んでください」


「おねーさまというのは……えっと」


 後ろの男性がぺこりと頭を下げた。


「私は、お二人の護衛をさせていただくドーンです」


「ご、護衛?」


 少年も男の人も身なりは私と似たり寄ったりだ。


 貴族の旅だとばれないように平民の平均的な服。一緒に旅する侍女のサラが用意してくれたもの。……サラと二人で旅をするつもりだったんだけど……。


「ご、護衛がつくなんて聞いてないです……」


 思わずガタガタと震える。


「サラ、護衛って、護衛ってどうしよう」


「おねーさま、もしかして、男性恐怖症か何かですか? でしたら、護衛は女性に変えてもらいますよ?」


 少年が震えだした私の顔を覗き込んだ。


 って、さっきは逆光で見えなかったけど、天使かよっ! ふわっふわの金髪に、大きな緑色の瞳。真っ白な肌にぷっくりとまだ幼さを残したほっぺはももいろで、てーんーしー、天使が舞い降りました!


「いえ、あの、護衛を雇えばお金が……お金がかかってしまいますよね……私ったら、全く考えなしで……まさか、私、お金を浪費させるようなことを……」


 護衛って雇うといくらかかるんだろう。サラはもともと我が家で働いている侍女なので、ついてきてもらってもついてきてもらわなくてもお金は変わらないんだけど……。


「ぷっ。はははははっ」


 ふえ?


 大きな笑い声にびくりと体をゆする。


「これは愉快だ。護衛を雇う金の心配をするとは、ははは。公爵令嬢ともあろうものが、うはははっ」


 お腹を抱えて護衛だと言ったドーンが笑っている。


「こらっ。笑うなんておねーさまに失礼だろうっ!」


 エイト少年が、ドーンをぎっと睨みつける。


「僕のおねーさまに謝れっ!」


「大変、失礼をいたしました。リアーナ様。大丈夫ですよ。もともと俺……私は、坊ちゃんの家に雇われている護衛兵ですから。旅の護衛として新たにお金で雇われたわけではありません」


「そ、そうなの?」


 ほっと胸をなでおろす。


 いや、でもちょっと待って……。


「坊ちゃんって、えっと、エイト君の護衛とエイト君がそもそもなぜ、ここに?」


「ちょうど、僕も国内を見て回りたかったんだよ。そうしたら宰相が娘と一緒に回ってはどうかと言ってくれたから……」


 ニコニコと少年が笑う。年齢は12歳くらいかな? 私より1つ2つ下に見える。


 国内を回りたい? 旅行に行きたかったのかな?


 私は金儲けできるものがないか探しに行くわけだし……観光地を巡るわけじゃないんだけど……。



「あの、おねーさま、迷惑ですか?」


 天使が小首をかしげて上目遣いで私を見た。


「め、迷惑じゃないけれど、その、あ、でも、楽しいかどうか分からないけれど、いいの?観光地もめぐる予定はないし、その、貧乏旅行だし……」


 エイト君は護衛がつくくらいなんだから、そこそこいいお家の子供だろう。宰相である父が声をかけるくらいだ。


 いくら国が貧しいとはいえ、領地があり、うまく商売をしている貴族はそれなりに豊かな生活をしている。


「ドーンと二人旅が、楽しいとおもいますか?」


 エイト君がドーンさんを指さした。


「うっ」


 はじめこそ礼儀正しくピシッとした印象だったけど、一人称「俺」が飛び出したし、私のこと腹を抱えて大笑いしたし、なんかちょっと背中丸めてびしっと立ってないし……。年齢は20代後半くらいかな。一緒に旅することを想像する。


 もったいない……って言うたびにげらげら笑われそうだ。


 思わず眉根が寄る。


「ちょ、ちょっと楽しいって、リアーナ嬢、俺、護衛としても優秀だけど、旅のお供としても優秀だよ。楽しいから」


「ぷっ。ふふふふっ。お嬢様、まぁいいじゃありませんか。旅は道連れといいますし。護衛はいたほうが安心できます。それに、荷物持ちも必要ですよ」


 サラがおかしそうに笑う。


 サラは20代前半。私の乳母の娘で、もう小さなころから姉代わりに仲良くしてくれてる人だ。


「に、荷物持ち?! 俺が?」


「じゃぁ、これ、馬車に積んでください」


 さっそくサラは袋3つ分の荷物をドーンに渡した。


「じゃぁ、僕たちも馬車に乗り込みましょう。おねーさま、どうぞ」


 馬車といっても、幌馬車だ。


 普通の馬車よりも便利だし安全だし、金がかからない。


 座るだけの馬車より、幌の中は、広くて野宿が必要になったときにはしっかり眠れるテントに早変わり。


 金儲けの品を見つけたら積み込んで持って帰ることもできる。


 さらに、入り口付近には干し草を積むことで、ただの農民の移動中だと思わせて山賊そのほかから身を守ることもできるという。


 あ、あと、安いです。単純に、黒塗り馬車1台のお値段の100分の1くらい。


 エイト君が、馬車に乗り込むために私にそっと手を差し出してくれた。


 踏み台上がって乗らないといけない高さなのだ。


 天使のエイト君の手にそっと手を乗せる。


「ところで、なぜおねーさまって呼ぶのかしら?」


 ふと、気になっていたことを尋ねてみた。


「「「え?」」」


 エイト君と、サラとドーンの声が重なる。


 何?


 私、変なこと聞いた?


「僕のこと、知らない?」


「お嬢様、エイト様のことご存知ありませんか?」


「ぶはははは、坊ちゃん知られてない~」


 え?


 どういう、こと?


 なんか、知っていて当然って話になってます。


 はっ、ま、まさか。


「お、お父様の、隠し子?」


 サラが顔を青くした。


「そんなはずあるわけないでしょうっ!」


 ですよねー。


「ぶはははははは、本当に、面白い嬢ちゃんだ。気に入った。気に入った」


 って、笑いすぎだろう、ドーンっ!


「当然知っているものとして、いきなりおねーさまと呼んでしまったことはお詫びいたします。どのようにお呼びすればよろしいでしょうか?」


 ん?


 知っているものとして……。



 天使なエイト君の顔を見る。


 うん、わかった!かわいすぎて、おねーちゃまとか周りの人を呼んで笑顔で癒してきた人に違いない。そうに違いない。


「庶民のふりする旅になるから、えーっと、姉さん? ……似てないから家族に見えないかな?」


「リアーナ姉さん、サラ姉さん、それから……」


 エイト君がドーンさんの顔を見た。


「父さん」


「坊ちゃんっ~」


 あ、涙目だ。


「ふふふふ、ふふふ。サラ姉さんのお婿さんって設定でどう?」


「えー、夫婦のふりですか?」


 サラのいやそうな言葉に、再びドーンが涙目になった。


「ドーン、お前、黙ってればいい男なのにって侍女たちの噂は伊達じゃないな。くくくっ」


 なんだかよく分からないけれど、とりあえず……。


「楽しい旅になりそう。ありがとう、一緒に行ってくれて」


 エイト君ににこっと笑いかける。


「あ、う、えっと、僕の方こそ、一緒に行かせてくれて、ありがとう」


 天使が下を向いた。





 がたごとがたごと。


 馬車は進むよどこまでも。


 幌馬車の後ろから景色を見る。


 うーん、ガタガタの道。左右の景色は山。


 山。


 えーっと、山。ちょこっと耕作地で、小さな村がある。


 またもや山。


 あ、はげ山。ふもとに村。あそこが宝石を採掘しているところだろうか。


 山。


 山。


 ……。本当に、金目のものない国だ。


 って、金目のものって何だろう。


 黄金の山?そんなものがあれば苦労しないよねぇ。


 他の山から宝石は産出しないのかな?


 って、結局宝石頼みってだけではまた同じ問題にぶち当たっちゃうんだよね……。


 山を切り開いて畑にすることは無理なのかな?


 山で育てられるものだってあるんじゃない? そもそも、あんなに木がいっぱい生い茂ってるんだもん。


 木?


 木?


「ねぇ、サラ、木って何に使えるかな?」


「木ですか? それはもう、いろいろと使えますよ。日々、煮炊きに使っていますし、家や家具や食器、生活に必要な品物の半分は木でできているのではないでしょうか?」


 すごい!


 そういわれれば、屋敷のあちこちは木だ。ベッドやタンスも木だった。椅子も机も。


 冬の暖炉で燃やすのも木。木ってすごい。


「木は売れないかしら?」


 思わず口から洩れた言葉に、はっと口を押える。


 やばいやばい。


 うちの国が貧乏ってことはトップシークレットなんだよね?


「売る?」


 エイト君が首を傾げる。


「あ、えーっと、宝石以外に、近隣諸国と取引できるものがあれば、えっと、もっと、その、国が豊かになるかな? なんて……」


 ごまかせた?


「そうですねぇ。近隣諸国も、我が国ほどではないにしろ緑豊かな土地です。木は他国からわざわざ輸送してまで入手する必要はないでしょうね」


 あー、そうか。


 木を運ぶなんて大変だもんね。近くで手に入るならわざわざ遠くから買うわけないか。しかも、木は宝石とちがい庶民も使う品だもんなぁ。高くなっては買ってもらえない。うーん、そう考えると、効果で輸送に便利な宝石ってすごい一品なんだねぇ。


「例外的に、遠方からでも買い入れようとする木は、香木くらいでしょうかね」


 香木?


「香木って何?」


 興奮気味にエイト君に前のめりになって聞く。



「あ、」


 エイト君がとっさに後ろにのけぞった。


 ごめん。近づきすぎた。


「香りのよい木です……その……」


 がさがさとエイト君が荷物の一つから小さなきんちゃく袋を取り出し、その中から小指の先ほどの木片を取り出した。


「熱するとよい香りがします。そのままだとあまり香りませんが……」


 木片を手にのせてくれる。目いっぱい鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。


「あ、これ、知ってるっ! 嗅いだことあるっ。えーっと、えーっと、そう! 思い出した! お后様だ! 時々お后様のドレスから香りがする!」


 エイト君がちょっとぎくりと体を固くする。


「そ、そうです、その、お后様から少しお借りしました」


 と、慌てて言うけど、別にお后様から盗んだなんて思ってないよ。


 あ、それとももしかして……お后様のファンで、匂いを嗅いでいたいとかいうおませさん?


「香木がどこかにないかと、せっかく国内を回るのですから、ついでに探してみようかと」


 ふぅーん。


 ちょっと疑いのまなざしをエイト君に向ける。


 ついでとか言っていて、本命だったりして。香木は高く売れるって知って、商売にしようと……。


 なんだ、じゃぁ、目的は一緒じゃない?


 って、違うか! 個人の収入にするためじゃなくて、私が目指すのは、国の産業となりうるものなんだから! エイト君より先に見つけなくちゃなの!


「負けませんわよ!」


「え? あの、リアーナ姉さん、何が?」


 休憩のために、馬車が止まる。


 それ!


 馬車を飛び降り、山の中にかけていく。


 木の匂いを嗅ぐ。違う。


 木の匂いを嗅ぐ。違う。


 違う、違う、違う! どの木もちがーーーーうっ!


 手あたり次第、木の枝を折って匂いを嗅いでいくけれど、香木の匂いじゃないっ。


「何してるんですか、姉さん……」


「な、何って、そりゃ香木を探してるんですっ」


 ドーンがエイト君の後ろで腹を抱えて肩をゆすっている。


「あ、はは、駄目だ、おもしろすぎるリアーナ」


「笑いすぎだよ、ドーン、姉さんに失礼だろう!」


 って、その言葉が失礼ですよ。エイト君よ。


 笑いすぎってことは、ちょっと笑うくらいならいいというか、ちょっとは笑っちゃっても仕方がないって思ってるってことでしょ?


 何よ、どこがおかしいっていうのっ!むきーっ!


 結局、街道が見える辺りをうろうろと木の匂いを嗅いで移動し続けたけど、香木はなかった。


 ……ずっとドーンは笑ってたよ。失礼しちゃうっ。


 私は国のために真剣なのにっ!





 街に着きました。


「ではちょっと木こりを探してきます」


 街に着くなり、ドーンは人探しに出かけた。


「木こりならいろいろな木を知っていますから」


 と、エイト君……エイトが私の顔を見た。


 う、うううう、木こりに、香木を見せて「こんな木をしらないか?」と尋ねるつもりじゃ……。


 そんでもって「もし見つけたら連絡をしてくれ」と頼むつもりじゃ……。


 ぐ、ぐおうっ!


 ああああ、何てこと!何てこと!


 その手があったか!


 そりゃ、初めからそのつもりなら、森の中を駆け回り、木の匂いを嗅いで回った私の姿はさぞ滑稽に……。


 ぐぬぬ。ドーンめ!教えてくれないエイトも同罪じゃ。うぐぐぐぐ。


「サラ! 負けてられないわ! 私たちも、街の人たちに聞きに行くのよっ!」



 と、ふらふらといい匂いのするお店にたどり着きました。


 あれ? おかしいな。足が勝手に。


 いや、お腹もすいてたし。


「いらっしゃい」


 サラと二人、案内されて席に座る。


 って、つい店に入っちゃったけど、高かったらどうしよう。


「あの、一番安いメニューは何ですか?」


「そうね、一番安いのは飲み物類よ。食べ物だとランチが銅貨3枚のものと5枚のものがあるわ」


 銅貨3枚でランチ! パンにスープみたいなものかな。十分です。


「じゃぁ、銅貨3枚のランチを2つお願いしますっ!」


 大丈夫、無駄遣いじゃない。無駄遣いじゃない。


 すぐにランチが運ばれてきた。


 そう、これは聞き取りをするための必要経費。


 ランチを運んでくれたウエイトレスさんに話しかけます。


「あの、ちょっと聞きたいんだけれど。いい匂いのする木を知りませんか? もしくは、木に詳しい人を知りませんか?」


「ふふ、いい匂いの木ね。ほら、それに使ってあるわ」


 ウエイトレスさんが、ランチに載っているリンゴを煮たようなデザートを指さした。


 そう、ランチは木の皿に、パンと肉を焼いたものと、野菜をいためたものと、リンゴの似たような物と豪華な内容だったのだ。


 ……確かに、リンゴはいい匂いだけど……。そうじゃない。


「えーっと、リンゴの木のことじゃなくて……」


 と、微妙な顔を見せると、サラが目をかっぴらいた。


「おじょうs……リアーナ、食べてみて。リンゴがおいしいですよ! これ、今までに一度も食べたことのない風味が」


 え?


 言われてリンゴの煮たようなものを口に入れる。


 ふわりと、鼻に抜ける香りがすっきりとしていてリンゴの甘味を引き立て……。


「おいしい……」


 味というよりも香りがおいしい。不思議な感覚だ。


「ふふ、良かった。最近この街でブームなのよ。そのいい匂いの木を使ったお菓子が。うちは食堂だからちゃんとしたお菓子は出せないけどね。リンゴを煮るときにちょっと足すだけでおいしいでしょう」


 お菓子の材料……?


「本当に美味しいですわ! そのいい匂いの木というのは、どこにあるんですか? お菓子ってどんなものに使われるのですか? それから」


「リアーナ、困っていらっしゃるわ、落ち着いて……」


 質問攻めにしてしまい、ウエイトレスさんが腰を引いている。


「ご、ごめんなさい」


「いいえ。そこまで気に入っていただけて嬉しいわ。シナモンっていうんですけど木の皮が独特の香りがするんです。ちょっと奥に行けばいくらでもあるのでお土産で木こりさんが持ち帰って来てくれるわよ。それから、どんなお菓子ができるかは、4軒向こうにお菓子屋さんがあるのでそちらで聞くといいわよ。あと、隠し味に、パンと肉にもシナモンを使っているの。これは好みが分かれるんだけれどね」


 と、ウインク一つしてウエイトレスさんは仕事に戻っていった。


「パンもおいしいですよ、お嬢様」


「あら、本当。肉も今まで食べたことのない不思議な味だけど、美味しい。だけど、やっぱり私は、お菓子が一番いいと思うわ」


「そうですか?」


 サラが首を傾げた。



「お菓子は、上流階級が競い合って美味しいものを食べるものでしょう?庶民が食べているものと違うものを、ほかの貴族が夜会に出していないものをと、意地とプライドをかけて貴族が料理人に作らせるでしょう?」


「ええ、まぁ、公爵家では伝統の味ですと、いつも同じものをお出ししておりますが……」


 サラ、それは言わない約束でしょう。貧乏だから、珍しいものを取り寄せたり作ったりする予算がないのよ。節約節約。でも、伝統って言えばだれも疑わないの。ね?便利な言葉よね。


「高く、売れる。ねぇ、そう思わない? 香木のように、貴重な品と思わせれば、美味しいお菓子のためにとそれでも、周辺国の上流階級の人たちが金を積んで買ってくれると思わない?」


 声を潜めてサラに話をする。


 すると、サラが、にやりと笑った。


「お嬢様、悪い顔をしておりますわ」


「サラ、あなたもね」


 そうと決まれば、街の人たちにむやみにシナモンを流通させないようにしなければならない。今のところ、シナモンのある場所を知っていて持ち帰っているのは木こりだけのようだから、木こりに話を聞き、シナモンが生えている場所は立ち入り禁止区域に指定。許可のあるもののみシナモンを取り扱えるようにしなければね。そして、シナモンが木の皮だという情報を街の人たちには口にしないようにお願いして回らなければ。


 あと、お菓子屋に行き試食もしなければね。どのようなものに一番合うのか。


 それから、あとは……シナモンを持ち帰り、うちのシェフに研究させ、仕上げは……。


 と、いろいろと考えているところに、エイト君がドーンとともに店に入ってきた。


「残念ながら、香木は見つかりませんでした」


 しゅんっと肩を落としています。


「ふっ、そう、残念だったわね。ところで、エイト君、私たちちょっと急用ができたから、家に帰ることにしたの。ここで別れましょう」


 せっかく国内を回るつもりだったエイト君たちまで戻ることはない。と、親切心で提案したんだけど、エイト君が泣きそうな顔になった。


 ひー、天使の顔が曇っているぅぅぅ。


 誰ですか、こんな顔をさせたのは! 天罰が下りますよ!


「僕と旅するのがそんなに迷惑でしたか? 僕のこと、嫌いですか?」


 ひー、天使が切なそうな顔して私を見上げています。


 誰ですか! こんな顔をさせたのは! 天罰が下ってもいいからぎゅってしたくなるでしょう!


 おっと、だめだめ。


 これでも、私、婚約者のいる身ですから。いくら年下の男の子とはいえ、体が触れ合うようなことをしてはいけません。


 我慢なのですよ。


「いいえ、あの、本当に、急に用事が……」


「急な用事ってなんですか?」


 ごにょり。


 抜け駆けするんです。言えません。


 いい匂いの木……。香木じゃないけど、金になりそうないい匂いの……美味しそうな匂いの木が見つかったんです。


 ああ、金の匂い。ちがう、金の匂いじゃない……。


 ぶんぶんと首を振る。


「おいしいものを見つけたので、お母様にお土産を持って帰りたいのですっ」


 と、半分本当のような、苦し紛れの言い訳のような、なんか、えーっと、どうしたらいいかなぁ。


「おいしいもの? なんだそりゃ?」


 と、思ってたらドーンがおいしいものっていう単語に食いついた。ラッキー。



「ウエイトレスさんに教えてもらったとびっきりのお菓子。今まで食べたことのない味だから、えっと、お母様がお茶会をするときに皆さんにお出しするのにいいかと」


 と言うと、ドーンはがっかりした顔をする。


「ちぇ、お菓子かー、甘いもんは俺はパス」


 と、どかりとサラの隣の椅子に腰かけた。


「ここの肉料理もおいしかったですよ。今から私たちそのお菓子を買いに行ってきますので、行きましょうサラ」


「あっ」


 天使が悲鳴のような声をあげる。


「えっと、お菓子を買ったら戻ってくるわ。お腹すいてるでしょう?先に食べちゃってごめんね?」


 戻るって言ったら、やっとほっとした顔をしてエイト君が席についた。


 うーん、どうしたらいいでしょうね? 一刻も早く戻ってシナモンを国の産業へと育て上げたいのですけど……。一人旅させるのは忍びないですよ。


 あ、ドーンと二人旅か。


 ……暑苦しそう。


 お菓子屋には10種類くらいの焼き菓子が並んでいました。


 クッキー類が中心で、あとは柔らかそうなスポンジケーキ、しっとりと重たそうなものもあります。ドライフルーツがたっぷり入ったものもあります。


「一つずつ説明してもらってもいいですか?」


 と、お願いすると、同じ年くらいの店番をしている男の子が丁寧に説明してくれた。


 日持ちのするものを5つずつ、日持ちのしないものは3つ……うぐぐ、仕方がありません、必要経費です、4つずつ購入。


 って、購入してから思い出した。ドーンって、甘い物苦手って言ってた!しまった!いらなかったじゃないか!


 気を使ってドーンの分まで買ったというのに、失敗した……返品……うぐ、言い出しにくいです。もう包んでくれています。


「あの、今買ったお菓子、日持ちする王都の友達へのお土産にいたしますが、もしかするとお菓子好きの友達の家の者が、レシピを伺いに来るかもしれません……。その、お手数をお掛けいたしますが、その時は対応をお願いいたします。もちろん、教えられないことに関しては教えなくても構いませんから」


 さすがにまだ正体を明かすわけにはいかないので、公爵家の者がとは言えない。だけど、突然公爵家の者が訪ねてきたらびっくりさせちゃうと思うんだよね。


 あらかじめこう言っておけば「前に買いに来た人の王都の友達、とやらがまさかの偉い人だったんだ、びっくり」くらいで済むと思う。


 ……すまないかな?まあいいか。


 まだ、お菓子を食べてもいないし、計画を持ち帰って検討もしてない段階で、いろいろ余計なことを言うわけにもいかないもんね。


 買い物を終えて外に出る。


 でもって、道行く人に声をかけた。女子ね。女子。


 これでも婚約者がいる身ですから、私から男性に声をかけるわけにはいきません。


 って、ふふふ、なんか、楽しい。婚約者がいる身っていうフレーズ楽しいわ。



 女子に声をかけたのは単にお菓子のことを尋ねるのには男子よりもふさわしいと思っただけだよ。


「今こちらのお店でお菓子を買ったのですが、この街にはほかに美味しいものどこかに売っていませんか?」


 パン屋にもシナモンパンという美味しいものが売っていると情報をゲット。


 行くわよ、サラ!


 ええ、お嬢様!


 っていうツーカーを発揮して顔を見合わせるだけで心が通じるって素敵!


 ん? サラの顔が3軒目に向かう時には若干「ええ、お嬢様!」から「ええー? またですかぁ」的なものに見えたけれど、気のせいね。うん、気のせいよ。


 というわけで、2軒目でシナモンレーズンパンと、シナモンハニーパンを購入。3軒目では、シナモンの香り袋を買いました。


 なんと、あのうっとおしい、刺されるとかゆくなるし、赤くなるし、迷惑なぶぅーんって飛んでくる虫よけになるそうです!


 うわー、これは、また、新たな販路開発ができそうです!


 どうやって売り込みましょうか。


 くくく、金の匂いがするぜ。


 シナモンの匂い袋をクンカクンカしながら、にやりと笑う。


「お嬢様、悪い顔になってますよ」


「ふふふ、サラ、あなたもね!」


「お嬢様、虫よけって言葉、大事な娘を持つ父親たちにも縁起物として売れませんでしょうか。実際はぶーんと飛ぶ虫への効果でしょうが、この香りを身に着けている娘に手を出したら八つ裂きにするぞみたいな目印的な……」


「サラ、お主も悪よのぉ」


 くくく、くくくく。


 二人でひそひそ笑いあっていると、お店の人が声をかけてきた。


「あの、大丈夫ですか?」


「ええ、とてもいい匂いがしますわ(お金の)」


「はい、気に入りました(金になりそうで)」


 笑顔で手を振って店を出る。





 食堂でエイト君とドーンと合流する。


「お姉様、なんだかとても嬉しそうな顔をしています」


 ギクリ。


 お金の匂いが……いえ。えっと。


「とても美味しそうなお菓子を買えましたの。日持ちしないものは、その、帰りの馬車でご一緒にいかがですか?」


 う、うそじゃないよ。これは嘘じゃない。


「僕の分も買ってくれたんですか?」


 エイト君の表情がぱぁーっと明るくなった。


「ドーンさんにはパンを買いましたわ」


 お菓子が苦手と言っていたのを忘れていくつかは買っちゃったけど私とサラで食べるから問題ない。


「お、おう、パンか!パンなら俺も食べられるな!」


 ドーンがニコニコいい笑顔です。


 うん、みんな笑顔。


 私とサラはお金の匂い(になりそうなもの)につつまれて笑顔。


 ドーンさんは食べ物もらって笑顔。


 エイト君は……。


「お菓子、好きなの?」


 お菓子をもらって笑顔って、なんだか子供みたいで。天使の顔したエイト君、12,3歳にしてはもう少し考え方が大人だと思っていたけれど、やっぱり、まだ子供なんですね。


「お姉様からいただくものは、大好きです」


 にこにこ笑っている。


 え?



 それって、私の味覚を信用してくれているっていうことかな?


 まだ、食べる前なのに。


 あ、もしかして、あの食堂の食事「おいしかったですよ」と伝えたけど、エイトくんは本当に美味しかったと思ったのかなぁ。


 そうかぁ。


 また、美味しい物見つけたらエイト君に食べさせてあげよう。


 あ、でも金になるもののことは教えてあげられません。秘密です。


 エイト君がお家の商売のために売れそうな物を探しているのに協力したい気持ちもないことはないんですよ。


 だって、天使様の笑顔を無料で堪能してるのって、心苦しい。


 でもね、でも、私はこの国の存亡のために必死なので。お金を稼がないと、国民が飢えちゃうんです。


 お金を稼がないと、国がなくなっちゃうんです。


 私、将来、国を背負う王の妻になる予定なので、内助の功ってやつをしないといけないのですっ。





 王都についてエイト君と別れるときは一騒動あった。


「うえー、お姉様ぁ、もっと一緒に、一緒に旅したかった」


 ぎゅっと抱き付かれました。


 ふええええっ。


 婚約者のある身なので、なのでっ。


 で、でも、これ、不可抗力。うん、私が抱き付いたんじゃないんだから、セーフだよね?


 頭撫でたり、背中に手を回してよしよししたり、ふ、不可抗力だよね?


 ほ、ほら、年下の子供を慰めてるだけで、よし、セーフ。


 おっけ!


 なでこなでこ。





 というわけで、天使の匂いもついでにくんかくんかしときました。はい。ふ、不可抗力ですから。


 


 ……っていうことがね、夏休みにもあった。


 もっともっとお金儲けの手段を探さなくちゃと、長期休暇には国内を旅するのが日課。


 で、なぜか、現れる。


「お姉様、またご一緒できてうれしいです」


 天使と笑い上戸がやってくる。


 天使はわずか数か月の間に身長が伸びたようで、2つか3つ年下に見ていたのに1つか2つ年下にしか見えなくなっていた。


 でも、相変わらずキラキラした髪と大きな目が天使。


 でもって、今度は竹を見つけた。木とちがって、竹ってすごいんだよ。


 細くして背もたれや座面を作った椅子の座り心地の良いこと! もちろん普段は座面も背もたれもクッションが当てられたものに座ってるけどね、学校の椅子は座面も背もたれも木。


 長時間座ってると痛いんだよ、体!それに比べて竹は……こう、木よりも柔らかく体を受け止めてくれる上に、暑い時期は風が通るので涼しい!クッションは柔らかいけど暑いのに!


 これは、売れる。貴族は無駄に着飾っている分暑い。涼しい商品は、売れる。間違いない。椅子やソファ、それからベッドも作れるかもしれない。


 それから、扇子とちがって、1本ずつ木を加工しなくても作れる団扇。これは便利で、庶民の間にも割と安価に流通させられるかもしれない。ふふふ。ははは。


 さっそく試作品を作らねばと、また途中で旅を終える。



「うわーん、お姉様ともっと一緒に旅がしたかったよぉ」


 デジャブ……。


 いや、まったく同じことがありましたね。


 うん、身長は伸びたけれど、やっぱりまだ子供なんですね。


 くんかくんか。





 ってことが、次の長期休暇にもあった。あ、次のっていうか春の長期休暇。流石に冬は雪で色々閉ざされるので無理はできませんでしたよ。


 というわけで、数カ月ぶりに会ったエイト君と、身長が並んでいました。


「お姉様、また一緒に旅ができるなんて嬉しいですっ!」


「なんか、同じ身長でお姉様って言われるのも不思議な感じがしますわね?」


 というと、ドーンがゲラゲラと笑い出した。


「いや、何、一年もたつのに、まだわかんねぇの?流石おじょー。流石、流石!」


 バンバンと背中を叩かれました。うぐぐ、痛いからやめいっ!


「バーン、あなたも一年もたつのに相変わらず失礼でしょう!これでもお嬢様は公爵令嬢ですのにっ!」


 サラがドーンの手をパチンと叩く。


「いやぁ、すまん、すまん」


 というわけで、春です。何か金になりそうなものを探す旅です。


 そうそう、ちゃんと香木も探していますよ。


「いい匂いのする木?うーん、いい匂いのする茸なら、あれが探せるんだがなぁ」


 と、豚ちゃんを指さすおじさん。


「豚が、茸を?」


 はい。


 土の中に埋まっているので人が見つけるのは大変だそうで。


 これがまた、美味!


 始めはあまりにも強烈な匂いにびっくりしたけれど、癖になるわぁー。


 ってことで、これまた高級食材として売り込みますよ。その前に料理の研究をしてもらわないと。うちの料理人、シナモンのお菓子や料理の研究で色々と才能を見せてくれたからきっと今回も大丈夫なはず。





「お姉様ともっと一緒に旅したかった」


 デジャブ。


 いえいえ、やっぱり違う。


 ぎゅっと今まで通り抱き付かれたけれど、心臓バックリ。


 身長一緒になったら、もう子供だからとか言うのも苦しい。


 あの、そのね、エイト君、私、これでも婚約者のいる身ですから……。婚約してから1年の間に、あったのは4回ほどですけど。あとは学校で顔見て会釈を交わす程度……。


 それでも、婚約者ですからね。


 まぁ、いっか。うん。


 くんかくんか。


 おや、エイト君の子供らしい匂いが、ちょっとばかし男臭くなってるような気が……?





 次の夏休みは、エイト君なしの旅になりました。何やら色々と忙しいそうで。そうか。


 うん、そうだよな。長期休暇ごとに国中旅するなんて何らかの目的がない限りしないですよね。


 私は国のために、お金になりそうな物を探さなければいけません。


 シナモンは、隣国への売り込みがスタートしたみたいです。国賓を招いた際に、料理やお菓子として提供してとりこにする作戦が少しずつ形になってきたようです。


 竹の方は、家具の形に作り上げて輸出となると、木よりは軽くともかさばるし、ちょっと輸出品目としてはよろしくなかったようで。暑い国中心にまずは王家への献上品として使うところからだそうです。


 トリュフといういい匂いの茸は、まだ準備段階で料理の研究中。



 さて。今回の収穫は、マッチというものです。


 なんだか粉にした石の何種類か混ぜたやつと、他の石を混ぜたやつとをこすり合わせると、火がつくんですよっ!


 火が、あっという間に、魔法みたいにつくんです!


 火をおこすために棒を回したりしなくてもいいんです。火打石を何度も打ち付ける必要もないんです!おこした火が消えないように見張っている必要もないんです!種火を消してしまったために食事の時間が遅れることもないんですっ!


 ああ、エイト君も見たらびっくりしただろうな。


 ちなみに、とある山の山頂の小屋にすむ親子が教えてくれました。いろんな石を粉にして混ぜ合わせて色々作って遊ぶのが唯一の楽しみだそうです。娯楽がすくないので。


 燃やすと、火の色が青とか赤とか変化して面白い物も見せてもらいました。そっちも面白そうですが、マッチのがすごいです。


 これなら小さいですし、輸出向きだと思うんですっ!むっふっふー。





 1年ぶりに会ったエイト君を見上げる。


「え、ええ? ずいぶん背が伸びたね?」


 1年見ない間に、身長が抜かされました。


「お姉様は相変わらず可愛いです」


 か、かわいい?


 今、可愛いって言った?


 いやいや、可愛いのは天使のエイトk……。


 いや、もう可愛いって顔じゃない。天使の面影のある、大天使様へと成長している。


 麗しの大天使様、つまり、カッコよく成長してる。


「ふふ、すっかり身長抜かされたのに、まだお姉様って呼ぶんだ」


 ちょっとおかしくなった。


 本当の姉弟とか、よく考えると身長抜かれても姉は姉か。


 でも、私たち姉弟じゃないしなぁ。


 一緒に旅してて、ちっちゃい私がお姉ちゃんって呼ばれてたら変じゃない?


「1年たっても変わらねぇ。嬢ちゃんは面白い。それから、サラはますますいい女になったな」


 ほえ?


 ドーンの今の言葉……。


 サラの顔を見ると、ぷぅーっと頬っぺた膨らませながらドーンを睨んでいます。


「相変わらず、ドーンは言いたい放題ですね」


「はははははっ。そう、俺、思ったことなんでも口にしちゃうタイプ」


 ほ、ほえええっ!


「サラはいい女になったな」


「なっ、なっ、褒めたって、何も出ませんからっ!」


 16歳の春の旅。大人の恋を見ました。


 はうー。旅の途中、サラとドーン。結婚の約束をしたようです。


 おめでたいのです。涙で目が霞みます。うるうる。


「恋っていいですね」


 あ、でもって、今度の金の匂いは……スパイシー。


 胡椒というらしいです。また、食べ物ですから、調理人に頑張ってもらわなければ。むふふふ。





 でもって、また途中で帰りますよ。


「恋っていいですね」


 別れのタイム。


 なんだかサラとドーンがお互い見つめ合っておりましてですね。


「恋、したいの?」


 エイト君が私の顔を覗き込みました。



 





 ドキンと、胸が大きく跳ねます。


 恋……。


「私、恋がしたいのかな?」


 エイト君と視線が合う。


「誰と?」


 エイト君の顔との距離は30センチもない。


 近い、近い。


 エイト君の瞳の中に、私の姿がみえる。


 それから、エイト君のすっかり子供から男の人になったにおいがかすかに感じられます。


 サラにエイト君っていい匂いするよねって言ったら、首をかしげられた。そうですか? と。


 いやいや、あんなにいい匂いでいつまでもくんかくんかしてたいのに気が付かないの?


 サラが言うには男の匂いなんて、汗臭いとか泥臭いとか酒臭いとかニンニク臭いとかそもそも風呂入れよ臭い、とか、臭い以外の匂いなどない!


 って。え、マジですか。


 エイト君の匂いはそんなんじゃなくって、安心する匂いっていうか……。


 そういえば、同級生の男子が「なんか足の指とかへそとか臭いけどつい匂いかいじゃうよなぁ」とか言ってた。臭くても嗅ぎたくなる匂いも世の中にはある……。


 って、エイト君は臭くないですけどね。


「どうして、すぐに答えが出てこないの?」


 答え?


 ああ、そういえば、誰と恋したいかって聞かれたんだ。


 恋……。


 私には婚約者がいる。


 この国の第一王子だ。


 婚約者と言っても、相変わらず会うのは年に2~3回。学校では会釈を交わすどころか、見ないふりをされるようになった。


 ……。それとも、本当に私がいることに気が付いていないかもしれない。


 王子はいつも、特待生の女の子を見ている。


 恋。


 もしかして、王子はその子に恋をしているのかもしれない。


 王は、側室を持つことができるのだから、何も問題ではない。


 だけれど、王妃となれば王以外の男性に思いを寄せれば身の破滅を意味する。


 恋なんて……。


「許されることではないわ……」


 ぼそりと出た言葉に、エイト君が苦しそうな顔をした。


「人を好きになることは自由ですよ……誰の許しもいらない……いいや、許されなくたって止めることなど……」


 随分大人びたことを言う。


 だけれど、その言葉に賛同するわけにはいかない。


 許されるわけがない。


 王妃が王以外のものの手をとるなど。


 恋は盲目ともいう。唆されて王を陥れるための片棒を担がされないとも限らない。


「誰の許しもいらないかもしれませんが、自分自身が許しません」


 私はこの貧乏国の王妃になると決めたのだ。国のため、国民のため、この身をささげると。


 恋など、必要ない。


 ふわりと、エイト君の香りに包まれた。


 ぎゅっと、ぎゅぅーっと、力強く抱きしめられている。


 ああ、もう背丈も私より高くなってしまった。そして、しっかりと筋肉がつき始めていて、天使のようなかわいらしい顔は、大天使様のようにかっこよくなってきた。


 それでも、それでもまだ、旅の終わりにこうして寂しがる姿は変わらないんだ。


「お姉様と、もっと旅がしたかったのに……」


 婚約者のある身で、別の男性に抱きしめられるなんてあってはならないこと。


 だけど、エイト君は子供だし。セーフだと、そう言い聞かせてたけど。


 もう、ダメね。


 誰も子供だなんて、見てくれないよね。


 私のことも、もう子供だからと、許してはくれないでしょう。


 胸が熱くなる。


 頬を涙が伝う。


「そうね、エイト君と旅するのはとても楽しかった……」


 次の長期休暇が楽しみで、何日か前からワクワクしていた。


 だけれど、そんな子供の時間は終わり。


 来年には私は学校を卒業する。そして、王子の婚約者として2年間王宮で色々なことを学び結婚する。


 もう、私に長期休暇は訪れない。


「忘れない……」


 という私の言葉に、エイト君が


「忘れられない」


 と返した。


 思わず小さく頷く。


「忘れたくない」


 というエイト君の言葉にも頷く。


 忘れられない、忘れたくない。


 だけれど、忘れなくてはいけない。忘れたふりをして心に蓋をしなければ。


 これ以上は許されない。


 こうしているだけで、胸のドキドキが収まらなくて、その手を取って好きだと伝えたくて。


 恋なんて、とっくにしてる。


 だけど、これが恋だと気がついちゃいけなかったんだ。


 いけなかったんだよ。


 気が付いてしまったから、もう、会うわけにはいかない。











「さようなら」












 あれから1年と少しが経ちました。


 そう、エイト君と別れてから、1年と少し。


 お金儲けの手段は順調に発展中です。


 で、今日は学校の卒業記念パーティー。





「もう一度言おう、公爵令嬢リアーナ、今ここで、王太子ファルコの名に置いて、貴女との婚約は解消する」


 そう、そうです。


 婚約解消を言い渡されてしまったのでした。


 本当にどうしたらいいのでしょう。


 はぁっと、小さくため息がでた。


 第一王子ファルコ様の横には、特待生のミリーがにっこりとほほ笑んでいる。


「まさか、ミリーさんを新しい婚約者にとお考えで?」


 ミリーは庶民だ。


 別に庶民を馬鹿にするつもりなどこれっぽっちもない。


 むしろ、貴族なんかよりもよほど質素倹約つつましく生活している人もいる。


 そして、商家の者であれば私なんかよりもよっぽど金儲けに長けた者もいる。


 まぁ、つまり……。


 初めから、庶民で商才に長けた人と婚約すればよかったんじゃない?


 私の、苦労は何だったんだろう。


 いや、苦労はしてないけど、決意は……。


「突然のことで、口もきけないようだな」


 ふんっとファルコ様が鼻を鳴らした。


「理由をお聞かせ願えますか?」


 ミリーの方が妃になるのにふさわしいと言う理由を聞けば、私のこの4年間の努力不足だと分かれば……。


 苦労はなんだったのかなんて思わずにすむ。


「はっ、まさか、白を切るつもりか? ミリーに対する数々の非道な振る舞い」


 え?


 ええ?


「わ、私が、ミリーさんに非道な振る舞い?」


 まったく身に覚えがありません。


 いやいや、だって、そもそも、動機もないし。


 誰かを虐める趣味もないし。そんな一銭にもならない無駄なこと、なんでしなくちゃいけないの?


 首をかしげると、ファルコ様が見下したような目を私に向けた。


「確かに、俺はお前と婚約はしている。だが、お前の所有物ではない」


 はぁ。そうですね。


「俺には側室を持つ権利がある。だから、誰と親しくしようとも自由なはずだ」


 知っております。


 ですから、特待生のミリーさんと仲良くしていても何も言いませんでしたし……。


 いえ、むしろ気にしてもいませんでした。


 ただ、ほんの少し……。


 自由に恋ができるファルコ様がうらやましかっただけで。


「よほど、お前は俺がミリーと親しくなるのが気に入らないようだな」


 はい?


 今、うらやましいっていう顔しちゃいました?


 ちょっと不満げな顔を見せちゃいました?


 でも、それば別に……。


「いいえ、ミリーさんと殿下の仲が気に入らないということでは……」


「はっ、何をいまさら。俺は何も知らないと思っているのか!」


 ギクリ。


 まさか、知られてしまったの?


 胸の奥に、ずっと固い蓋をして、誰にも知られないように……。いいえ、サラは気が付いているみたいだけれど、時々私に何か言いたそうにしているけれど……。


 サラ以外には誰もこの気持ちは知られていないと、そう思っていたんだけど。


 私が……。


 殿下ではない別の人のことを時々想っている……ことは。


「好きになってしまったものは仕方がない」


 ギクリ。


「俺のことが、他の女性と仲良くするのに嫉妬するほど好きになってしまったのは仕方がない」


 は、い?












 あ、ああ、そういう話でしたか。


 殿下の言葉をまとめると、私が政略結婚である殿下のことを本気で好きになった。


 だけれど殿下はミリーさんのことが好き。


 そこで私が嫉妬に駆られてミリーさんに意地悪をした……と。


「殿下、私は殿下に恋などしておりませんし、もし万が一恋していたとしても、ミリーさんは側室にすればいいだけの話で、意地悪するわけがありませんわ」





 殿下が顔をゆがませる。


「は? 俺に、恋をしてない?」


 会場がざわりと揺れる。


 あ、そうそう、ここ、卒業記念パーティーの会場で、パーティーの真っ最中ですからね。


 たくさんの生徒がいます。


 もちろんほとんど貴族と、ミリーのような特待生として入ってきた優秀で将来国の中枢で働く予定の人たちです。


「恋してるだろう? 学校でわざわざ俺に話しかけてきたじゃないか」


 いや、そりゃ、近くにいるのに話しかけずに通り過ぎるような無視するわけにいきませんよね?


「私、学校では他の方にも話しかけておりましたわ。もし、話しかけることが恋することであれば、ずいぶん私は気の多い女ということになりますが、私を侮辱するおつもりなのでしょうか?」


 貴族たちのひそひそ話が聞こえてくる。


「まさかリアーナ様と会話をしただけで浮気認定されたら、ここにいる人間ほとんど浮気相手になってしまうぞ?」


「そうだよな。彼女は学園でも顔が広く友達も多い。そして後輩たちにも慕われていて、だれかれ分け隔てなく話をしてくれた」


「もし婚約者と浮気した人間を処分するとか殿下が言い出したら、国内のほとんどの貴族が処罰されることになる」


「流石に、そんなことすれば……」


「ああ、殿下のお立場も……」


「むしろ、一番会話が少なかったのは殿下なのでは」


 みなさんよく見てますよね。


 そう。たぶん、一番ではないにしろ、会話の少なかった相手トップ3に殿下は入りますね。特に最終学年ではほぼ殿下は私のことさけてましたから。


「か、会話だけじゃない、お前は、顔を合わせると笑って頭を下げたりしてたじゃないか! 俺が好きなんだろう?」


 睨みつけるわけにもいかないんですけど。


「むしろリアーナ様は笑ってないときの方が少なかったよな」


「そそう、なんだかよい香りのする袋を見つめながらニマニマしてるのよく見たよ」


 う、みなさん、よく見ていますね。金に匂いですからね。ニマニマもしますよ。


「そうそう、それで、それは何ですのと話しかけると、本当に薔薇の花が咲いたような笑顔を見せてくれて」


 貴族の興味が引ける品であれば、お金になりますから。そりゃ嬉しいですよ。


「あんな笑顔見せられたら、好きなのかなって思うより、好きになりそうだよな」


「わかるわ。女の私ですら、ズッキューンする笑顔だもの」


「むしろ、そういう笑顔を見たことがない殿下は、愛想笑いしかしてもらってないんじゃない?」


 ああ、本当に皆さんよく見てますね。


 愛想笑いしかしてませんよ。


 だって、殿下は一文にもなりませんからね。


 金儲けの手段になれば殿下ももうちょっと魅力的になるのでしょうが……。









「ふっ、プライドの高いお前のことだ。俺が好きだなんて素直に認めないことは分かっていた」


 殿下が鼻でふんっとしました。


 いやいやいや、いやいやいやいや。


 プライドの高い殿下なので、自分のことが好きじゃないなんて素直に認めないんですね……と、返したくなりましたが、腐っても王子。腐敗しても王子。糞になっても王子ですから。流石にねぇ、言えませんよ。


 おっと、金の匂いがしないだけか、腐臭王子にしてしまった。いけないけない。


「とにかくだ、お前がミリーのことを目の敵にして数々の嫌がらせをしていたことは明白だ!」


 えー?


 まったく身に覚えがないんですけど。


「証拠もある」


 証拠?身に覚えがないのに、証拠があるっておかしくないでしょうかね?


「ミリー」


 殿下が、ずっと殿下の腕に腕を絡ませてにゃよにゃよしていたミリーさんに声をかけた。


 仲が、よろしいことで。


 ……それにしても、ミリーさんは庶民出の特待生だったはずですよね。


 卒業パーティーは、ドレスを着飾る人もいれば、制服で出席する人もいる。


 お金があればパーティーのために豪華にドレスを仕立て、学校卒業の想い出にするのだ。


 庶民は、お金もないし、中途半端なドレスを着てくると逆に見劣りがするというので、ほぼ制服だ。


 私?私はもちろん制服です。


 公爵家令嬢なのにという目もありますが。


「我が家の伝統ですの。制服を着られるのも今日が最後ですし。ドレスでしたら、これからいくらでも着られますから」


 って言っておけば、まさか、お金がないから豪華なドレスなんて作るの無理ーとか全然バレないから、不思議。


 ふふふ。父も母も私も兄も、顔だけは派手で豪華なので、貧乏くさく見えなくて得なんですよねー。


 伝統でとか、風習でとか、しきたりでとか、代々受け継がれた、とか言えば、古臭いドレスだって受け入れられちゃう。ふふふ。


 でもって、今日が制服を着られる最後という私の言葉に「そうよね!」と賛同した貴族子女さんも制服参加なんで、私が制服着てても自然なわけ。


 で、今年は例年になく、制服組が多い。


 その中で、なぜか一番派手なドレスを着てきたのが、ミリーさん。


 ……ミリーさんのその金がかかってそうなドレス、どうしたんでしょうね?


 まさか、殿下からのプレゼントなんてことはないですよね?


 ……側室は認めますけど、金のかかる側室は認められませんよ?


 ギリギリと奥歯を噛みしめる。


「素敵なドレスですわね?」


 いくらしたのか気になり思わずミリーさんに話しかける。


 すると、ミリーさんがガタガタと震えだした。


「ファルコ様、リアーナ様が庶民のくせにドレスを着てくるなんて恥知らずだと私を罵ります……」


 う?


 は?


 を?


 どこに「恥知らず」なんて単語が入ってました?


 罵るどころか、素敵だと褒めたよね?


 あれ?


「嫉妬か?醜いなリアーナ。確かにミリーは誰よりも美しいドレスを身にまとっている。だがそれは、ミリーがこの美しいドレスにふさわしいかわいらしさを持っているから当然ではないか!」


 ちょ、殿下、言っている意味が分かりません。


 って、その前に、嫉妬とかしてない。



「そうですわ。私に似合うからと、ファルコ様が特別にプレゼントしてくださいましたの。私がドレスを着ていることを罵るということは、プレゼントしてくださったファルコ様をも蔑むような行為ですわよ」


 ミリーさんが殿下の後ろに身を隠し、顔だけ出してぷんすか文句を言う。


 ……はぁー。


「随分高価そうなドレスですこと……」


 殿下のプレゼントか。やっぱり。


 頭が痛くなる。


「ふふ、そうよ。ファルコ様が国内一のデザイナーに頼んで特別に作ってくださったの。いくら公爵家のリアーナ様でも手が届かないくらいのドレスをと、張り切ってくださいましたわ」


 こめかみを押さえる。


 ……いくらだ!


 いくらかかったんだ!


 ミリーさんに嫉妬心なんてこれっぽっちもない。


 だけど、王妃様は新しい靴一つ買えずに足から血を流しながら生活していると言うのに。


 陛下も、新しい洋服を作れずに、痩せてしまったにもかかわらずお腹に布を何枚も巻いて太いズボンをはいていると言うのに。夏は暑くてあせもだらけなのに。


 殿下は、そんな王妃様や陛下に新しい服の一つ、靴の一つもプレゼントすることもなく、ミリーに大金を……。


 そもそも、殿下に渡されている小遣いは、どこから出ていると思っているんだ?


 庶民の血税だぞ。


 ……といっても、まぁ、それだけでは足りないと、ミリーさんのドレスを買うために特別会計からお金を出してもらってるんでしょうね。


 特別会計……それ、周辺諸国との取引で得た金だぞ。冬を越すための食糧を買い付けたりする大切な金だぞ。


 ……ん?


 ま、て、よ?


「よかったですわね。二度とそのようなドレスは買っていただけないでしょうから。大切にした方がよろしくてよ」


 私、婚約破棄されたんだっけ。


 だったら、将来の王妃が国のためにと始めた事業に国を関わらせる必要はないのではないでしょうか。


 特別会計……周辺諸国との取引で得た金を、国に丸ごとリリアーナ基金として丸投げしてたけど。


 これからは、国に渡すのはやめよう。国がしてたことを直接公爵家でするだけですわねぇ。周辺国から食料を買い、国民が飢えないように……。


 うーん、でも他の領にも協力していただかないと難しいですわね。


「ファルコ様は何度でも私のためにドレスを買ってくださいますわ。買っていただけないのは、婚約を破棄されたリアーナ様の方ですわよ……」


 ああ、まぁ、そうでしょうね。


 買うことは買ってもらえるでしょう。殿下のお小遣いの範囲で。


 1年くらいお小遣いを貯めれば、まぁ、ドレスの1枚は買えるでしょう。でも、今着ているレベルの高価なドレスはどうでしょうねぇ。


「またか、またリアーナ、お前はミリーを罵ったな」


 は?


「今は俺がはっきりとこの耳で聞いた。庶民にドレスなど相応しくない、お前のような者は二度とドレスを着る資格はないと、そう言ったな」


 言ってません。


 なんか、途中で勝手な言葉がいっぱい追加されています。


「今回だけのことではないぞ。ミリー、証拠を突きつけてやろう」


 殿下に言われて、ミリーさんが一冊の本を取り出した。


 いや、本じゃない。ノート?


 殿下が、ノートをびしっとこちらに向けた。


『ミリーの日記』


 と、表紙に書かれている。


 日記?









「いいか、リアーナ。ここには詳細にお前のミリーに対する嫌がらせが記録されている」


 ……日記に、何があったか書いてあると、ただそれだけの話ですよね。


 記録って。


 日記に王家が婚約破棄を申し出るだけの証拠能力ってあったかな?


 そもそも、嫌がらせをした記憶ないんですけど。


 身に覚えないんですけど。


 日記なんて、いくらだってねつ造できますよね?


 ……ねつ造が後で発覚した場合、王家をたばかったということでやばいんじゃないでしょうね?


「リアーナ、言い逃れはできないぞ?きちんと、裏は取ってある」


 裏?


「ここに書かれていることが実際に起きたか、その場にいたであろう人間に事実確認している」


 え?


 事実確認?


 だから、全然、全く、嫌がらせなんてしてないんですけど、何故、事実として確認がとれるのか……。


 誰に尋ねたというのか……。


 殿下とミリーの後ろに、いつの間にか何人かの生徒が立っている。


 ああ、一人は騎士団長の息子。


 もう一人は、宰相の息子。


 それから他に数人の男子生徒。


 証人って、あの人たちかな。


 いつも、殿下と一緒にいるお友達ですよね。友達……なら、そうかもなぁとか、適当に相槌うっちゃうことない?


 ……やだ。ねつ造怖い。


 確認をとって事実だってそこまでねつ造されるの怖い。


 ……国がそれで動くのって大問題じゃん。


 陛下に「信頼できる部下」と「居心地の良い友達」といろいろ違いがあるって殿下に教えたか確認しなくちゃ。


 って、いや、もう私は殿下とは関係のない立場になるのですから。確認なんて必要ないですね。


 はぁーと深くため息をつく。


「ふんっ、観念したか!」


 私がため息をついたのを何を勘違いしたのか殿下が嬉しそうな声を出した。


「では、ここにいる皆にも、お前の罪を知ってもらおうか」


 殿下が『ミリーの日記』を開いた。


 だから、罪って、まあーーーーーったく身に覚えがないです。


 ねつ造ですよ。


『4月15日。今日もリリアーナ様は、お友達の方々と放課後、毎日のように優雅にお茶を楽しんでいらっしゃいます』


 殿下が日記を読み始める。


 4月? いつの4月だよっ! 優雅にお茶を楽しんだりなんてしてないよ。お茶と言えば、お菓子がつきもの。


 これ、お茶に誘った人間負担なんだよ。お茶会ってのは、招いた人が全部用意するんだよ。


 お茶も高価だが、菓子も高価。


 そりゃ親睦を深めるために何度かお茶会はしますが、毎日のようにお茶を楽しむはずないでしょうっ! せいぜい月に1回。あ、他のお友達主催のお茶会にお呼ばれすることもあるか。



 ん? 入学してすぐのときにはかなりお誘いがありましたね。


 もしかして頻繁にお茶してた?


 うん、ここまでは事実です。ねつ造されてません。


 毎日ではなくても毎日のようにと目に映った可能性は否定できない。


『毎回、とても美味しそうなお菓子をお召し上がりになっています。今日は特別に良い香りがしたので、どのようなお菓子を食べているのかと気になり、リリアーナ様たちのお茶会を眺めていました』


 っていうか、ちょっと待って。


 ちょっと待って頂戴。


 もし、入学してすぐの4月15日だったとしたらよ、そもそも殿下とミリーさんの仲を嫉妬して説が崩壊してない?


 ミリーさんと仲良くなったのって、もっと後じゃない? さすがに1年生の入学したてのころはふたりが仲睦まじくしている姿なんて見た記憶ないんだけど。


 それなのに、二人に嫉妬して嫌がらせとか、もうすでに主張が崩壊してる気がするんですけど……。


 ねつ造以前に、なんか矛盾しすぎてません?


『すると、リリアーナ様はじっと見ていた私に視線を向けておっしゃりました。「お一ついかがですか?食べたことのない味で、お口に合うか分かりませんが」……と』


 4月?


 お一ついかが?


 食べたことのない味?


 殿下が私を睨みつけます。


「証言も取ってある。その場にいた人間が何人も聞いている。言い逃れはできぬぞ」


 あ。


 身に覚え……ありました。


 確かに、言った。


「(試食会をしているので意見を聞きたいのですわ)お一ついかがですか? (シナモンを使ったお菓子など)食べたことのない味で、(苦手な方もいて)お口に合うかわかりませんがと、確かに言いましたが、それがどうかなさいまして?」


 お菓子を勧めたことが、何の嫌がらせだと?


「はっ、開き直ったのか!盗人猛々しいとはこのことだな!」


 殿下、言わせていただけば、むしろ婚約者を盗られたのは私の方であって、盗人はミリーさんの方じゃないかと思うのですが……。


「ミリーを傷つけようとして酷い言葉を投げつけておいて、その態度!」


 お菓子食べる?ってののどこが酷いのかっ!


「食べたいと言うのなら、恵んであげてもよろしくてよ、お一ついかがですか?貴方のような庶民がこれまで一度も食べたことのない味で、豚の餌しか食べたことのないあなたのお口に合うかわかりませんがと、そう蔑んだではないか!」


 ……は?


 いや、いや、ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て!



 殿下は先からギャーギャーと、言い逃れはできない、知らないとは言わせない、証拠はそろってるとか騒ぎ続けてますが。


 まったく周りが見えてませんよね。


「もしかして、殿下って、あのお菓子を食べさせてもらってないのか?」


「クラスメートのみならず、他のクラスの人も興味を持った人には分け隔てなくお菓子を配ってましたよね?」


「おいしかった!シナモンっていうんですよね」


「あれからすぐに世の中に広まりましたよね」


「試食させてくれてありがとうって後で感謝の言葉をいただきましたわ」


「恐れ多いですわよね。こちらこそ試食させていただきありがとうございますって。今では入手困難な高級食材として、隣国では金よりも高価だと言われているんですもの」


「そうそう、そのシナモンを使ったお菓子を、たくさん食べさせていただきましたもの」


 そうです。


 お菓子が好きそうな人にどんどん食べてもらって意見を聞いたんですから。


 ミリーさんにだけ特別に意地悪で声をかけたってことはなくて……。むしろ、意地悪したかったら声かけないですよ。


 あなたも食べたいの?差し上げませんわ。そのうち一般的に流通するでしょうから、買ってくださいませ。まぁ、買うお金があればですけれど。ふふふふふ。とか、意地悪ならそっち方向でしょう。





「それから、次だ」


 と、殿下がペラペラと日記をめくる。





『9月5日。まだ暑い日が続いています。リリアーナ様は、奇妙な何かを編んだようなソファに優雅にお座りになっておりました。周りにもその奇妙なソファや椅子が置かれ、人々が集まり談笑しております。あまりに楽しそうな様子に、少しだけ近づいたところ、リリアーナ様が見馴れない扇子のようなものを私に差し出しました。どうしてよいのか分からない私に「こうするのよ」と自分を仰いで見せました。私はとっさに、その場を離れるしかできませんでした』


 ん?


 それって、竹製品の試作品を学校に持って行ったときの話じゃない?


 奇妙な何かを編んだようなソファって、竹で作ったやつね。


 クッションほど柔らかくはないんだけれど、木で作ったものよりは弾力があって座り心地もいいし、暑い季節には涼しくていいんですよねぇ。で、評判を聞くためと、隣国との付き合いもある貴族や商人に広めようとして。


 ああ、あと、扇子のような物ってうちわだよね。


 うちわはたくさん試作品作って学校に持って行って、みんなに配りまくったんだ。


 だから、当然ミリーさんにも、あげるよと差し出した。


 だけど、きょとんとして使い方が分からないみたいな顔をしてたんで、「こうするのよ」と、扇子のようにあおいで涼むための物だと使い方を教えたこともあったかもしれない。


 ……だから、それが、何の嫌がらせなの?






「庶民だと馬鹿にするだけでは飽き足らず、まるで下僕のように、こうして自分をあおぎなさいと、指示するなど何様のつもりだ!」


 はぁ?


 いや、私をあおげなんて言ってない、言ってない。ミリーさんの勘違い……。


 っていうか、ちょっとばかし、ミリーさんって、被害妄想ひどすぎない?


 なんで、勝手に言葉の裏側みんなマイナスに受け取る?


 庶民だって馬鹿にして……ひどいわ!って、一度も馬鹿にしてないのに、めっちゃ馬鹿にしたことになってるっ!


 怖いわ!


 ねつ造より、思い込みが怖いわ!


 何、その、思い込みオンパレード!


「いただいた団扇、夏場は本当に助かってますわ」


「分かる分かる。使い出すと扇子には戻れないよな。風の量が違って、涼しいの何の」


「値段もお手頃で、扇子の30分の1くらいの値段でしょ?庶民の間でも大人気だそうですわね」


「隣国ではまだ物珍しくて少々値がはるそうですけれど」


「ですから、うちは、隣国へ出向くときにはお土産として持って行くんですわよ。とても喜ばれますもの」


「竹で作られた家具類もうちでは手放せない」


「軽いから持ち運びも楽だし、思ったより丈夫だろう?」


 そうです。木よりも軽いので、輸出するときの運搬コストも安く済みます。まぁ、軽いんだけど、椅子一つとってもかさばるので、薄利多売というわけにもいかないのがネックですね。


 うちわはその分薄利多売。庶民にも手が届く値段設定で、隣国にも売込中。主に暑い国にですね。


 今は、寒い国に向けて、雪の上を歩きやすくする「かんじき」という商品を売込中です。竹を熱して曲げて輪っかにして……と、まぁ割合簡単に作れる品です。本当は隣国に売らずに秘匿しようという意見もありました。


 雪の上を歩けるっていうことは雪が積もると戦争を中断するという常識を覆して敵国に攻め込むこともできるという……なんかそういう話とかも出てきて。


 でもね、それって、逆に言えば……。寒い国が日常使うアイテムというだけじゃなくて、戦争が起きたときの備えとして、雪が降らない国にも売り込めるっちゃぁ、売り込めるっていう話じゃない?


 ……まぁ、実際戦争するかしないかまでの責任は取れませんけど、人々の暮らしが楽になるのに起きるか分からない戦争を理由に秘匿するのは私の主義じゃないし。だって、雪に閉ざされて外に出られない人が出られるようになったら……。


 例えば急病人が出たときに、お医者さんを呼びに行ったりできるってことでしょ?


 というわけで、戦争の道具じゃなくて、庶民の道具として、かんじきも手に入れやすい価格で販売しますよ。


 それからマッチは……。


 マッチを披露したことが、火をつけようとしたとかになってるし……。


 まじ、こわい、わたし、ミリーさんを焼き殺そうとしたことにされてる……。


 いやいや、比較的安全に誰でも簡単に火を熾せる画期的な商品であって、誰かを焼き殺す道具じゃないんですけどね?






「話は聞きました。婚約破棄は決定事項でよろしいですね」


 唐突に会場内に凛とした声が響き渡った。


 パーティー会場入り口に、騎士たち複数人を引き連れた男性の姿がある。


「ああ、そうだ。なんだ、ずいぶん準備がいいな?」


 準備?何の?


 私の目は会場の入り口に姿を現した……久しぶりの……。


「エイト……くん……」


 愛しい人の姿に、目が釘付けです。


 どうして、ここに……。


「リリアーナを捕縛するために騎士まで連れてきたのか?それから、後ろにいるのは公文書保管員だろう?婚約締結文書まで持ってきてくれたのか?」


 え?


 私を捕縛?


「マッチの話をしていましたね?」


 エイト君がポケットからマッチを取り出した。


 私を捕縛? マッチ? エイト君の後ろの騎士の正装姿のドーンの顔を見る。


 私の顔、覚えてるよね?一緒に旅したんだもん。っていうか、私付きの侍女のサラともうすぐ結婚でしょう?


 なんで、そんな私の姿を知らない人みたいな顔して見てるの?


「ああそうだエイト。そのマッチだ。我が未来の妻、ミリーをあろうことかリリアーナはマッチで焼き殺そうとしたんだ」


 違う。


 違う。


 違うのに、まさか、エイト君はその話を信じたりしないよね?


 殿下はああ見えて、王子。この国の第一王子で偉い人だ。


 表立って逆らえるような人間は数少ない。陛下と……それから……。


 エイト君がスッと手を上げると、公文書保管員がエイト君の手に1枚の紙を手渡した。その紙を文面が王子に見えるように掲げたまま会場内を歩いてくる。


 ああ、エイト君だ。


 私のところに……いいえ、いいえ、殿下のところへ歩いてくる。


 どれくらいぶりに顔を見るだろう。


 また成長したね。はじめて会った時は私より小さくて……。


 天使のような顔でかわいらしくお姉様って。


「これは確かに、婚約締結書で間違いないですよね?」


 エイト君から手渡された紙の内容を殿下が確認する。


「ああ、そうだ。エイト。もう不要な品だ」


 殿下が婚約締結書を破ろうとする仕草を見せると、エイト君が手に持ったマッチをしゅっとすり、火をつける。


「跡形もなく、このようなおぞましい物は消し去りましょう」


 エイト君はそう言うと、殿下の持つ婚約締結書に火を付けた。ジワリと燃え出し、次第にわっと勢いを増して燃え始めた。


「はっ。消し炭にして、完全にこの世から消すのか。それはいい」


 殿下がニヤリと笑い、火が広がりだした文書を地面に落とす。


 くるくると、紙が生き物のように丸まりながら燃え、そして黒い燃えカスが残り火が消えた。


「さぁ、これでお姉様は自由の身ですね」


 エイト君がにっこり笑って……私を、見た。


「ああ、もうお姉様ではありませんね……」


 え?


「兄上と結婚する予定もなくなったので……お姉様と呼ばなくてもいいんだ」


 エイト君が私に手を差し出す。


「エ、エイト君?」


 兄上って、まさか、殿下のこと?



 周りの声がやっと耳に入ってきた。


「第二王子のエイトリア様がどうして?」


「リリアーナ様はどうなってしまうんだ?」


 だ、だ、第二王子?


「リリアーナ……あの、これ……父にも、宰相にも許可は取ってきたんだ」


 エイト君が懐から取り出した紙を広げて私に見せる。


 父って、陛下で、宰相って私のお父さんだよね。


 許可って何を?


 私を捕縛して罪を償わせるとでもいうの?


 目の前に広げられた紙は……新しい婚約締結書だ。


 陛下のサインと、父のサインがすでに入っている。


 それから……、エイト君の名前が書かれている。


 エイト君の婚約締結書?


 エイト君……いいえ、第二王子殿下はどなたと婚約を……。


 ポロリと涙が一筋落ちた。


 サラが、ドーンの後ろから姿を現した。


 ペンとインクを載せた盆を持っている。


「さぁ、リリアーナ様、サインを」


「サイン?」


 近くのテーブルに、紙が置かれ、サラにペンを手に持たされる。


「あ、サラ……その、無理にはいいんだ。リリアーナが嫌なら、無理強いはしない……」


 エイト君が私を見ている。


 涙を落した私の頬にハンカチを当てた。


「僕は……ずっとお姉様のことが好きだったんだ。諦めようと、姉になるんだから諦めようと……」


「わ、私が、好き?」


「国のために必死に色々働いてくれている君が好き。僕の母のために心を痛めてくれる君が好き。我慢していることを少しも見せずに笑顔を見せる君が好き。父の苦労にも気遣ってくれる君が好き。それから……」


 エイト君が……。


 エイト君が、私のことを、好き?信じてもいいの?


 本当なの?


「皆に好かれている、心優しい君が好き」


 エイト君の声に、わーっと会場が沸いた。


 拍手が沸き上がる。


「リリアーナ様万歳!」


「リリアーナ様万歳!」


 と、拍手に交じって歓声が起きる。


「なっ、どういうことだ。なぜこんな悪魔のような女に……優しいだと?どれだけミリーにひどいことをしていたか、まだ分からないのかっ!」


 殿下が周りで私に対して歓声を上げている生徒たちを睨み、恫喝した。


「お前ら、俺が王になったら、閑職にしか就けぬぞっ!」


 殿下の叫びに、シーンと静まり返った。


 ミリーさんが私に頭を下げた。


「ごめんなさい……私……リリアーナ様から妃の座を奪うつもりなんてこれっぽっちもなかったのです。私は、ファルコ様を好きになってしまっただけで……」


 小刻みに震えながら私を見るミリーさん。


「好きになっただけ……」


 好きになることは罪じゃないの?


 私にとっては、好きになることは罪だった。


 ……エイト君を好きだという気持ちは国を裏切ることだった……。


 でも、でも……。



「エイト君……私……いいの?」


 あなたを好きでもいいの?


 好きだと……口に出しても、いいの?


「リリアーナ……がいいんだ。他の誰も嫌だ。お願いだ。好きになってほしい。いや、そんな贅沢は言わない。僕と、結婚してほしい。僕の隣にいてほしい」


 サラの顔を見る。


 小さくサラが頷いた。


 ドーンの顔を見る。


 さっきのような他人のような表情から一変。ドーンが二カッと笑った。


 それから、エイト君の顔を見る。


 エイト君が小さく頭を横に振った。


「今のが僕の本心。だけど、ここから先は大人の事情。すべてきいてほしい」


 はい?


 え?


「ミリーと言ったかな?残念ながらリリアーナから未来の妃の座を奪う心配はしなくて良い」


「は?」


「この国にもこの国の未来にも、リリアーナは欠かせないと陛下は判断した。すでに国を支える輸出品は宝石からリリアーナの見出した品へと大きくシフトしている。輸出品の全ての権利はリリアーナが所有している」


 宝石に頼らなくても、国が動いてるの?


 よかった。


 少しは役になっているんだ。


「は? 何を言っているんだ、エイト。すべての権利をリリアーナが持ってるだと? 国が買い上げるなり取り上げるなりすればいいじゃないか?」


 エイト君が首を横に振った。


「多くの工房の人間や商人が、こぞって隣国へ移住することもあり得る。そもそもシナモンなど収穫は極秘事項。リリアーナと数人以外は知りえない」


「移住など許さなければいいだけだろう! 場所なんか訊き出せばいい!」


 エイト君が首を横に振った。


「力で何もかも押さえつけられると、兄上は本気でお考えなのですか?」


「当たり前だろう。誰よりも俺は偉い人間。王になるんだ。王の言うことに逆らう人間がいていいはずがない」


 エイト君が首を横に振った。


「兄上、今、一番偉い王というのは父です。その父に逆らう人間がいていいはずがない……兄上は今確かにそう言いましたね?」


「あ?ああ、今は父が王だ。確かに」


 エイト君が、書類保管員から書面を受け取り殿下に見せた。


「この国の次の妃はリリアーナで決定……?」


 書類に書かれている内容を見て、殿下が顔を青くしている。


「リリアーナの婿となるものが、次の王になる……だと? 王の候補……」


 王の候補?


 筆頭が第一王子、その次が第二王子、第三王子、それから王家の血を引く公爵家の者、下の方では、王の祖父の兄の孫とかなり遠い血縁者までリストに名前が挙がっている。


 エイト君が書類保管員からペンを受け取り、筆頭に書かれていた殿下の名前の上に線を引いた。


「兄上は、リリアーナとの婚約を解消した時点で、次期王の候補から外れました」


「な、な、なんだと?聞いてない、聞いてないぞ!」


 慌てふためく殿下。


「これで、誰も二人の仲を反対するものはいませんから、ミリーさんの家に婿入りでもしてくださいね。殿下」


 ドーンが殿下に笑いかけた。


「は?ミリーの家に婿入りだと?ミリーは庶民だぞ?俺が、庶民の家の婿だと?ふざけるな!薄汚い庶民と一緒に、臭い飯を食って生活しろというのかっ!」


 臭い飯?


 パァーンッ。


 あ、しまった。


 皆が唖然として私を見ている。



 そりゃそうだ。殿下の頬を、平手打ちしてしまったのだから。


 でも、許せない。


「謝ってください。殿下、なぜ庶民を馬鹿にするようなことを言うんですか?彼らは臭い飯なんて食べてません。私たちの知らないいい香りのする美味しいものも食べてます。シナモンもトリュフも国民が教えてくれました」


 生徒の何人かがひそひそと話をしている。


 声は届かない。何を言われているのか分からない。


「庶民と呼ぶ人たちが、貧しい生活をして本当に臭い飯しか食べられない生活をしているのならば、それは王の能力が問われます。国民を幸せにすることができない、そんな施策しかできない王が無能だと言っているのと同じです……」


 陛下も妃殿下も、表では豊に暮らしているふりをして必死に節約に励んでいる。そして、隣国に隙を見せないようにそれは必死に……。宰相である父も、それから臣下の人たちも、給料が少なくても国のためにと身を粉にして働いている。


「リリアーナ様、万歳……」


 声が上がった。


「リリアーナ様、万歳!」


 再び会場が歓声の渦に包まれた。


「兄上、ミリーさん、二人の婚姻締結書、あとはサインをするだけですよ」


 文書保管員が書類を取り出した。


 婚姻締結後、殿下は臣下に下り、王族を除名。王家から生活の一切の援助がない旨が記載されている。


「じょ、冗談じゃないわっ!こんなの、妃になれると思ったのに……、王子ですらないファルコに何の価値があるっていうの?偉そうな態度だけじゃない、王子っぽいの。顔だってスタイルだって、大したことない、それに、頭は飛び切り悪いときてる」


 ミリーさんの豹変ぶりに王子が唖然としている。


「ミリー? そ、そうだ、リリアーナ、仕方がない、お前と結婚してやる。それで満足なんだろう? ミリーのことは気の迷いだったんだ、許してくれ」


 殿下がミリーさんの肩をドンッと押しのけた。押しのけられたミリーさんが高笑いを始めた。


「あははは、バカみたい。ああ、バカみたいなのは私よ。ファルコ、あんたは本物の馬鹿。私は確かに庶民だけど、生活に困るほどの貧乏人じゃない。こんなドレス、何着も買えるくらいには裕福な商家。ただ、同情を買うために貧しいふりをしてただけ」


 ええええ?


 あの、高価なドレスを何着も買えるほど裕福?


 確実に、王家に嫁ぐよりも豊かな生活ができるのに、なんで妃になろうとしたんだろう。


「さようなら、元王子様」


 バイバイと手を振って振り向きもせずにミリーさんは去っていった。


 つ、強い……。なんだか利益にならないと判断すればさっさと断ち切っていく……商売人の鑑じゃない?


 ミリーさん凄腕商人なのでは……。


 あっけに取られてミリーさんの後姿を見送っていると、何を勘違いしたのか殿下……いや、元王子殿下?まだ殿下なんだっけ?


 元婚約者のファルコ様が私の手を取った。


「さぁ、もう一度婚約……いや、俺たちは十分長い間婚約期間を経たし、リリアーナも今日で学校を卒業するわけだ。すぐに式を挙げようとかまわないだろう」


 は?


「兄上、未婚の婚約者でもない女性の手に、許可もなく触れるのはマナー違反ですよ?」


 エイト君の言葉に元殿下がカッとなる。


「はっ。リリアーナが俺を好きなのに、許可もくそもあるか!」


 いや、待て待て、ここははっきりさせておかないと。


「リリアーナは……兄上のことが好き、なのか?」


 エイト君の目が不安に揺れている。


 ちょ、信じる? ねぇ、信じちゃうわけ?


 大きく首をぶんぶんと振る。


「好きじゃないです。それは先ほども言いました。殿下に恋などしておりません」


 私の言葉に、なぜか周りの生徒たちが大きく頷いている。


 うんうんうんと。


 いやぁー、証人がたくさんいるパーティー会場でひと悶着起こしてくれた元殿下に感謝しなくちゃね。


「よかった。じゃぁ、僕と婚約を」


 と、エイト君が口を開くと元殿下がエイト君をぎりとにらみつけた。


「そんなに俺を王座から引きずり下ろし、王の位につきたかったのか!リリアーナ騙されるな!こいつがさっき言ったことは全部嘘だ」


 え?


 エイト君が嘘?


「リリアーナが好きだっていうことは、どうせ口から出まかせだ。お前と結婚すれば王座が転がり込んでくるんだ。お前みたいな可愛げのない女でも、好きだと適当に口説いて手に入れば、王になれるとなれば誰だって好きだと言うだろうよ」


 可愛げのない女……。


 そう、元殿下は私のことをずっとそう思っていたんですね。


 確かに、女性らしいかわいさはなかったかもしれません。


 国のためにと、お金を稼ぐ方法ばかり考えていれば可愛くもないでしょう……。


 そう、可愛くないんです。


「エイト君……」


 だから、エイト君が私のことを好きだなんて……。


 側にいてほしいなんて……。


 やっぱり、国のために、私が王妃になって、エイト君が王になれば、国が安定するだろうから、そう言ってくれただけ……なんだよね。


 きっと、今私の目も不安で揺れてる。


「信じてくれないかもしれませんが……僕は……お姉様のことがずっと」


 お姉様という言葉にハッとなる。


 そうだ。


 一緒に旅した。


 旅の終わりには、いつももっと一緒にいたいと天使は泣いていた。


 あれが全部嘘なんて思えない。嘘だったはずはない。


「エイト君……一つだけ教えて……どうして、一緒に旅をしようと思ったの?」


 エイト君が相変わらず不安そうな顔をして、ゆっくりと口を開く。


「兄上の……」


 ちらりとエイト君が元殿下の顔を見た。


「婚約者となる人がどんな人なのか……気になって。その、姉になる人が、嫌な人だったら困るから……確かめようと……」


 エイト君がそこまで言うと、ぷぅっと大きな噴き出す音が聞こえた。


「嫌な人が姉になると困ると思って見に行ってみたら、素敵な人が姉になるのが今度は困るって泣き出したんだよなぁ」


 ケタケタとドーンが笑い出した。


「ド、ドーンッ」


 エイト君が慌ててドーンの名を呼ぶ。


「どうして兄上の婚約者なんだろうって。僕のお嫁さんになってほしいって、ぷぷぷっ」


 嘘……。


 エイト君は……私のこと、そんなに昔から……。


「初恋ってやつでしょうねぇ。まぁ、そんなんで、エイト坊ちゃんの気持ちに嘘がないのは俺が保証しますよ」


 ドーンがドンっと胸を叩いた。


 いや、ダジャレじゃないですよ。



「私……いい匂いが好きなの……」


 エイト君が小さく頷いた。


「そうですね、お姉様……リリアーナは鼻がいい。シナモンに、トリュフ……香木も見つけましたよね」


「竹の香りも好きだわ。若竹の匂い。それから、マッチを擦ったときのちょっと臭い匂いも癖になって好き」


 エイト君が笑った。


 お金の匂いがするものは全部好きなんて言ったら、軽蔑されるだろうか。


 だけど、お金の匂いがしないものだって、好き。


 世界で一番好きなにおいはお金なんて関係ない。


「エイト君、私の一番好きなにおいを知ってる?」


 エイト君が、うーんと首をかしげる。


「お肉の焼ける匂い?」


 確かによだれをたらしちゃったことがあったかも。


「甘い樹液の匂い?」


 そうね、それもあった。あれも商品化できないか今開発中ですよ。メープルシロップって言うんですって。


 っていうか、なんで食べ物の匂いばかり上げるの?


 エイト君の記憶の中の私って、どんな人間なのよっ!


「おいしい物の匂いも、お金の匂いも、それから花の匂いに、雨の匂い、それから土の匂い……好きなにおいはたくさんあるけれど……サラにはいい匂いだと思わないって言われたけど、私にとっては何よりもいい匂いに感じられるの……」


 一歩前に出る。


「僕の知ってる匂い?」


 そっと、手を伸ばして、エイト君の頬に触れる。


 会わなかった1年で、さらに背が伸びて……。私よりも頭一つ半は背が高い。


「うん……あ、もしかしたら知らないというか、分からないかも……。一番、エイト君が知らない匂いかもしれない」


「僕が知らない」


 エイト君がちょっとムッとした顔をする。


「リリアーナの好きなものを知らないなんて嫌だ」


 私、もう、婚約者のいない身ですから……。


 だから、いいよね。


 子供だという言い訳もできないけれど……。


 いいよね。


 両手を広げて、ギューッとエイト君に抱き付いた。


「はー。いい匂い。なんで、エイト君ってこんなにいい匂いするんだろう」


 生徒たちから悲鳴やため息や色々な声が上がった。


 けど、どうでもいい。


「え?え?ぼ、僕の匂い?あの、その……く、臭くないですか?兄上が婚約破棄をする話を聞いて、その、すごく急いで、走って汗もかいたし……」


 エイト君の焦った声。


「おい、何してるんだよ、まさか、二人は前からそういう関係で、俺を陥れたのか?」


 元殿下が、私の肩をつかんでエイト君から引き離した。


「は?陥れる?私がミリーさんを虐めていたと、ありもしないことをでっち上げて陥れようとしたのは殿下……元殿下の方ではありませんか?その手に持っている日記を使って」


 元殿下が、まだ手にしていたミリーさんの日記を慌てて床に投げ捨てた。


「この際だから、はっきり言わせていただくと、私は殿下……元殿下と結婚するつもりでした。この国のためにこの身をささげようと、この国のためにできることはなんでもするつもりでした。ミリーさんのことは前々から殿下と親しくしている女性がいると認識しておりましたが、側室に迎えるものと思って認めておりました。……殿下のおっしゃるような嫉妬してミリーさんにひどいことなどこれっぽっちも考えておりませんでした。だって、殿下……は、その、私の好みではないんです。前々からずーっと思っていたんですが……」


 なんだか、言わなくてもいいことまで口に出してしまいそうになって、周りにたくさんの人がいることを思い出した。


 さすがに、殿下の名誉を傷つけるようなことを大声で言うわけにはいかない……と、口をつぐむ。


 殿下が床に投げ捨てた日記を拾い上げ、殿下に手渡す。手渡すときにそっと耳元で殿下だけに聞こえる声で伝える。


「殿下、臭いんです。めっちゃ臭い。正直近づきたくないんです。だからミリーさんと仲良くしててくれて助かってました」


 エイト君はとてもいい匂いなのに。


 殿下すんごく臭い。


 高級な香水を量も考えずに体につけまくっているせいもあるけれど……それが「浪費の匂い」にしか思えなくて。


 どれだけこの臭い匂いに金を無駄に使ったんだと思うだけでイラついてしまって……。


 元殿下が、両手両膝を床についた。


「サラ、ペンを」


 サラにペンを受け取り、婚約締結書にサインをする。


「エイト君、また一緒に旅できる?」


「もちろん」


「今度は、旅の終わりに泣いたりしない?」


「もちろん。だって、これからは……ずっと一緒にいられるよね?」

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貧乏国の悪役令嬢、金儲けしてたら婚約破棄されました とまと @ftoma

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