第15話:エルフと鬼の昔話

「なんでアンナがいんの」


「朝からずっと待ってたんですよぉ!!」


「すまん……」


 一緒に行くって言ってたよね。本当にごめん。

 心から頭を下げると、彼女は良い案を思いついたとにやにや笑う。

 そしてズカズカと入ってくると、俺の横で話し始めた。


「ちょっとジェフさんと相談しますねぇ。タルヴォさん、もしよければ明日とかぁ、一緒に来てもらえますかぁ?」


「今度は鬼か……えーと、その節はウチの兄が大変申し訳なく思っている」


 自己紹介もなしによく突っ込むなぁこいつ。とは思いつつ、タルヴォさんはそんなに嫌そうな顔じゃない。可愛い女の子ってずるい。

 ただ、歴史の生き証人の彼は申し訳無さそうな顔をして、昔のことを謝罪した。


「私、昔のことを振り返るのは止めたんですよぉ。今を大事に生きることにしたんでぇ」


「いやしかし……」


エルフあなたたちが裏切った五百年も前から生きてる鬼、もう居ないですしねぇ。ラリってなければ楽しい人達でしたしぃ」


「……ありがとう、準備しておくよ。何しろ五十年ぶりにこの公園を出るんでな」


 笑顔で言い切るアンナに、少し驚いた。

 ついこの間まで差別発言を連発してた彼女が、話が通じただけで随分変わったものだ。

 昨日、改めて先入観で人を判断する愚かさを知った俺は、呆然として見ていたと思う。

 そしてタルヴォさんが裏に引っ込んでいくと、アンナが俺の方を向いた。


「元々私、ジェフさんみたいに帝国中の人を感動させたくて儀典局に入ったんです」


 社会と戦う鎧を脱いだ素のお嬢様は、丁寧な物腰で、優しい声で。

 自分のトラウマをほんの少しだけ語った。


「でも失敗しちゃって、ジェフさんに迷惑もかけて。あの人の生き方の表面だけでも真似したら、強くなれるかなって」


「無理しなくてもいいぞ? アレは特殊だから」


「わかってますよぉ。でも、係長に振り回された日、久しぶりに仕事が楽しかったんです。それに、今も任せてくれてますしぃ」


 しばらくほっといて、いきなり働かせただけだったような気はするけれど、準備期間が必要だったんだろうな。

 それがまるで昨日までの自分を見ているようで恥ずかしくて、何も言えずにいると。

 彼女は満面の笑みで拳を振り上げた。


「すっごいやる気出てるんで! 最高の結婚式にしてあげますねぇ!」


「えっ?」


「任せて下さぁい! 今度の外務省へのプレゼン、私が行きますんでぇ!」


 おいおいマジかよ。万が一ジェフにウケたら通るんだぞ。

 でも、流石にそれはないだろうし好きにさせようか。

 せっかくやる気出してるのに、へし折ろうなんて出来ないしな。


「……ありがとう、アンナ」


 俺が大人しく感謝の言葉を述べていたら、待っていたようにタルヴォさんが戻ってきた。

 彼は上等な麻の、エルフのよそ行きの服を出して、一緒に持ってきた電気アイロンを掛けながらアンナの方を見た。

 コンセントどっから取ってんだろ。


「鬼の子。朝でいいのか?」


「アンナ、ですよぉ。タルヴォさん、朝でよろしくお願いしますぅ」


 彼女は遥か年上のエルフに、親しみ溢れる笑顔で手を合わせる。

 しばらく彼女を見ていた彼はアイロンの手を止めて、ぽつりと呟いた。


「……やはり、エルザによく似ているな。家名はゴオウか?」


 アンナの家の人だろうが、俺の暗記した歴史の教科書にはない名前だ。

 誰の話だろうかと、彼女の方を見る。


「え、ひいひいおばあちゃんのことですかぁ?」


 彼女は目を丸くして、タルヴォさんを見つめていた。

 彼も同じように一度目を丸くすると、そんなに経ったのか。と目を細めた。


「ああ。兄貴の片想いだったよ。本当に恥ずかしい話なんだが、彼女が結婚してから急に荒れてな。同盟破棄も、まぁその流れで」


 アンナに似た小柄な鬼の女性に、一目惚れしたという。

 しかしウジウジ恋している間に、エルフより遥かに寿命の短い彼女は結婚してしまった。

 それはもうアホみたいな逆ギレをして、後に族長となったエルノは帝国との戦争中だった鬼の国を一方的に裏切ったらしい。


「ヤケにも程ってもんがあるだろ」


「まったくですよぉ」


「全く、耳長豚という蔑称に、返す言葉もない」


 俺たちの率直な感想に、タルヴォさんも流石に擁護できないからと苦笑いをした。


「まぁ兄貴が最たるものだが。俺らは寿命が長いから、心を病んでる奴が多いんだ。悦楽薬オンネリネンはそんな俺らの救いでもあったんだよ。だから解毒剤を研究したのでなぁ」


 そして、少し言い訳をして。

 言いたいことは理解できなくないけれど、俺もアンナも多分同じことを考えていた。


「……族長ってぇ、革命とか喰らわないんですかぁ?」


 それだよアンナ。と頷く。

 皇帝陛下と絶対強者アレクシアさまの治める帝国はともかく、鬼も獣人も古い歴史は血で書かれている。

 普通は対抗派閥が力をつけて、政権の転覆を狙うとか独裁者を暗殺するとか色々あるじゃんと言うと、彼は難しい顔をした。


「ありえんのだよ。少なくとも俺が見てきた中で、アレクシアとまともに戦えた生き物は兄貴しか居なかったからな」


 思わずアンナと顔を合わせた。

 アレクシア様はたまに御手を貸して下さるから知っているが、ちょっと道路作りたいからって山ひとつ消し飛ばしたりする御方だ。

 ざっくり壊してざっくり作るのはあの方のお仕事、ちまちま作り変えるのは臣民の仕事。帝国では、ずっとそうやってきた。


「アレクシア様と……互角……?」


「そういうことだ。お前らがあの女を恐れ敬うように、エルフは兄貴を恐れ敬ってる」


 そりゃあ編入協約結ぶわ。と歴史の背景を理解した。

 本気で戦ったら多分、地平線の向こうまで続く更地、生きているのはふたりだけになるだろう。

 止められるであろう皇帝陛下も、あまりにライフサイクルが長いせいで、ここ数百年程お眠りなさっているし。


「もしかして、蹴られただけで済んだ俺って……」


「協約を守る理性が残っていてよかったな。まぁ、兄貴はそこまでダメな男ではないが」


 つまり殺すが冗談じゃなかったら、今頃俺は消し炭も残っていなかった。

 呆然とした俺と、ドン引きの顔で見つめるアンナに、タルヴォさんはクスクスと笑って続けた。


「まぁ兄貴をなんとかできるよう、努力するよ。気をつけて帰れ、命短き友人たち」


 もう深夜かぁ。とテント村を出て。

 明日早いんでぇ、事務所で寝ますぅ。なんて大あくびをするアンナを送り。

 ザフラの家に帰ったら、彼女は既に爆睡していた。

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