第6話:もふもふの相棒

「そろそろ夏だなぁ。こんな時間でも暖かいなんて」


 とぼとぼと歩いて事務所に帰る頃には、すっかり日が沈んでいた。

 部署の皆はとっくに帰っていて、ザフラが一人書類仕事に勤しんでいる。

 給湯室でお茶を沸かして持っていくと、彼女は算盤そろばんを弾く手を止めてこちらを向いた。


「おかえり。アンナは先に帰したのね」


「ただいま。報告書書くだけだし、儀典局でジェフと会ってな」


「あぁ、あの子は……」


 何かを言いかけたザフラに、言わなくてもいいと手を振る。

 やっぱりトラブったという予想は当たってるんだろう。


「本人が直接話すまで、俺は知らなくていいよ。どうせジェフのアホにも相当な問題があるに決まってる。一昨年結婚するまでクッソ尖ってたしな」


「そこんとこは、私としてはノーコメントね」


 一瞬複雑な顔をした彼女は苦笑いで話を切って、また算盤をはじき出す。

 俺も万年筆のインクを慣らして、カリカリパチパチと仕事の音が事務所に響いた。

 しばらく静かに仕事していると、唐突にザフラが口を開く。


「偉大なるハーフドラゴン様に繋いだ理由はご理解いただけた?」


「よくわかった。儀典局ジェフにリスケさせるなんて、間違いなくアレクシア様以外できないからな。ってか百周年祭の事知ってたならもっと前から言えよ」


 この上司と来たら、全部分かっていて行かせたんだろ。

 軽く文句を言うと、彼女は誤魔化すようにケラケラと笑った。


「あたしも知ったのは最近だったのよ。……あの方、お名前で呼ぶとお喜びになるの気付いたんだ。流石ねぇ」


「賭けに勝った、ってのが近いかな。ザフラ、お前ほんといい上司だわ」


「”配下の手柄は金、自身の手柄は銀”。レオニダスの諺よ」


「”獅子は我が子を千尋の谷に落とす”の方だったぞあれ」


 露骨な話題そらしに思わず頬がひくついて、皮肉で返す。

 あくまで俺の手柄、あくまでアレクシア様のご提案にしようという配慮は理解できるが、絶対に失礼があってはいけない方に対して、よくもまぁ投げ込んでくれたなと。

 上司の手のひらの上で踊らされていることをネタばらしされて、すっかり疲れが出てきたところで。


「そういえば、レオニダスのお姫様。プロジェクトにはもう少し絡まなくていいのか?」


 彼女が言っていた諺で思い出したが、ザフラの家は工業都市レオニダスが獣人の王国だった頃の王家で、今は地元の名士で大貴族。実際アンナの家よりも金持ちだったはずだ。

 ただ昔から、お姫様と呼ばれると露骨に嫌な顔をするので。

 今日のお返しに言ってやった。


「末裔なだけって言ってるでしょ。あたしは今手一杯だし、過労死させる気?」


 案の定、心底嫌そうな顔でため息をつく。

 彼女は算盤を片付けると、大きく伸びをして書類にサインした。

 お互い仕事終わったか。ちょうどいいなと席を立って、彼女の横に立つ。


「そうじゃなくて仕事を振れよ。今のお前、自分のことを考えなさ過ぎだと思うし」


「余裕ないわよ。部長だもの」


 報告書をそっと置いて、読もうとしたザフラの手を握って止めさせる。

 振り向いた彼女の疲れた目に、なんだか悲しくなった。


「俺はお前の部下だ。もっと頼ってくれ」


「一番デカい案件押し付けてるのにそれ言う?」


「……いいや、言葉が悪かった。俺が言いたいのは……お前の……そう……お前の……」


 ”仕事で”頼りにして欲しいと言っているんじゃないんだけれど。

 部下だからって言ったのは、言葉選びを間違えたと思う。

 流れと勢いでプロポーズしようかと逡巡していると、彼女は笑って、俺の腕を肉球で叩いた。


「なによもう、変な顔して。今日は帰るわよ。ご飯奢ってあげる」


「お、それは嬉しいな! アンナに奢ったからカネがないんだ」


 ヘタれ。と言われても仕方ないだろうな。

 我ながら情けないが、ザフラの笑顔に自分をごまかす。

 颯爽と歩く彼女の後ろを歩いて、まぁこれでいいやと妥協した。


「見栄張って鬼に奢るとか馬鹿じゃないの? 財布全部食べられたんでしょ」


「マジで情けないんだが、半分出してもらった」


「ふふっ。どうせ帰りの馬車賃ないんでしょ。久々に泊まってく?」


「お前がいいなら、お言葉に甘えて……」


「今更別に気にしないわよ。昔から何回泊まってんの」


 情けない甲斐性なしは、長年の相棒に甘えながら。

 弁当屋で買い物をして、彼女の住む家にお邪魔した。


――


 官庁街のほど近くの超高級分譲住宅街コンドミニアム

 どこかレトロな見た目はしつつ、中身はコンシェルジュさんや警備員さんが24時間常駐する最新鋭の、貴族たちの城の門をくぐって。

 彼女が所有している一軒家に入ってカバンを下ろし、先にシャワーを借りる。

 洗面台に置かれたふたつのコップと歯ブラシに、なんだか懐かしくなった。


「あ、俺の歯ブラシまだあったんだ」


「あー、捨てるのも勿体なかったしねぇ。人間用のシャンプーは無いけど」


「泡立たないだけだしいいよ」


 すりガラスの向こうの彼女は、帰宅後の毛づくろいに忙しい。

 無限に静電気を帯びるもふもふの身体についた抜け毛とホコリを落としてからシャワーしないと、三日で排水口が大変なことになる。

 住んでたアパートが区画整理の対象になって一時期居候していた頃は、毎日風呂を洗うのが俺の仕事だった。

 さらっと体を洗って、いつの間にか置かれていたバスローブに袖を通すと、毛づくろいを終えた彼女が入れ違いで入っていった。

 

「なんか飲むー!?」


「マタタビ酒ー!」


「出しとくー!」


 水音の向こうのザフラに聞いて、台所の家庭用ワインセラーを開ける。

 外国産のクソ高いマタタビ酒が何本も入っていて、流石お姫様だと息を呑んだ。


「つまみなんも無いじゃん。買ってきて正解だったな……」


 居候してたときはよく俺が料理していたが、古臭い氷を入れるタイプの冷蔵庫は空っぽで。

 イマイチ生活力がないのは変わってないなと頬が緩んだ。

 晩飯の用意を終え、バルコニーで風を浴びてうとうとしながら、めちゃくちゃ風呂が長いザフラを待っていると。

 

「……アル、煙草吸った? 二度と吸うなって言ったわよね?」


 風呂場に置いていた俺のシャツから臭ったのだろう。

 風呂上がりの雌獅子は獣人特有の、唇を引きつらせて半口を開けたなんとも言えない愉快な顔をして、眼光だけは凄まじい迫力で睨みつけてきた。


「すまん。アンナが隣で吸ってた」


「……ならいいわ。あの子も禁煙させようかしら」


「事務所では吸ってないんだから許してやれよ……」


「優しいわねぇ。あんたが言うなら保留にしとく」


 獅子の怒りに平謝りすると、彼女は小さくため息をついて食卓に座り、マタタビ酒を注ぐ。

 二人で乾杯をして、他愛も無い話をしながら食事をして。

 やがて三本ほど瓶を開けたところで、上機嫌のザフラがふらふらと立ち上がり、ごろんとソファに転がった。


「おらっ! アル!! モフれ!!」


 そういえば、居候してた時は毎日モフってたし。


「よっしゃ全力で行くぞ!!」


 こんなに歓迎されたら理性など知らん。

 俺は彼女に飛びついて、久しぶりに最上級のもふもふを堪能した。


 翌朝、事務所に一緒に出勤すると、部内の空気が生暖かった気がする。

 いつものゴスロリに戻っていたアンナに、同じシャンプーの匂いがすると言われたけど。

 これ多分俺がついにプロポーズしたとか思われてんのかな。情けない係長ですまない、みんな。

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