第6話『深まる二人の夜』
優人が入浴を終えてリビングに戻ると、そこに雛の姿はなかった。
これについては予想していたことだ。なにせ雛と入れ替わりで風呂に入ろうとした時、「先に部屋で待ってますね」なんて誘いの言葉を残していったのだから。
とりあえず戸締まりの確認をして、リビングも消灯。続いて雛の部屋に向かい扉をノックする。返事こそないが、今さらそれで止まるわけもないので優人はゆっくりと扉を開いた。
室内は電気を点けておらず、光源となるのは窓から入り込む月明かりだけ。とはいえ今日は終日天気が良く空が澄んでいたのもあって、その青白い光もいつもより強い。
だから優人の目は、ベッドの上で横たわるその存在にすぐ気付くことができた。
全身をすっぽりと毛布で隠したどこかの誰かさん。人一人が横たわっている割に輪郭が少々丸っこく思えるのは、膝を抱えてくるまっているからか。
ノックと扉を開けた時の音で優人が部屋に入ってきたのは分かっているはずだ。それでも隠れたまま姿を現そうとしないということは、優人が毛布を引き剥がすのを待っていると考えていいのだろう。
もしかして、今の雛が着ているのは……。
今日の引っ越しの片付けの際に目撃したトクベツな衣装を思い出し、優人は知らずの内に生唾を飲み込む。
そしてベッドへと近付き、身体の内から沸き上がる興奮で微かに指先を震わせながら、一気に毛布を取り払った。
「……あれ?」
気の抜けた声が出てしまった。というのも毛布の下に隠れていたのが雛ではなく、可愛らしいぬいぐるみたちだったからだ。
雛への最初のプレゼントであるうつ伏せの犬をモチーフにした最古参の『ゆーすけ』(雛命名)を始め、その後もデートや記念日などのタイミングで仲間を増やしていったぬいぐるみたち。そんな彼らが結託し、こうして優人を
しかし、まさかおもちゃが主役の有名映画のように一人でに動き出したわけもないだろう。つまりこれは、雛の――。
「えい」
背後に気配を感じて振り返った瞬間、優人はトンと胸を押されてベッドに仰向けで倒れ込む。押した人物は長い髪を踊らせて優人の上に
誰かだなんて、もちろん決まっている。
「……雛さんや、いきなり何をなさるので?」
「さっきは私が押し倒されてドキドキさせられたので、その仕返しですよ」
楽しそうな笑みを絶やすことなく、雛は至極当然といった風にそう言ってのけた。
恐らく息を殺して扉の陰にでも潜んでいたのだろう。ささやか、と言うには少々大胆なイタズラに優人はお手上げだと肩を竦めると、覆い被さる雛の姿を見た。
すでに何度か目にしたことのある、夏らしい半袖とショートパンツがセットのシルクパジャマ。
…………。
「今、あのベビードールじゃなくて残念とか思ってません?」
サッ。的確な指摘と細くなった金糸雀色の瞳に視線を逸らす優人だが、当然後の祭りである。優人の分かりやす過ぎる反応に雛はぷくぅと両の頬に空気を詰め込んだ。
「まったくもう、どれだけあれが気になってるんですか」
「だってさぁ……雛に似合うだろ、あれ、絶対」
「そう言ってもらえるのは用意した身として嬉しいですけど、秘密兵器だって言いましたよね? 切り札はそう簡単に切ってしまったら意味がありません」
「はい、おっしゃる通りです、はい」
最もな考えに頷く他なかった。マンネリだとかそれに近い事態が自分たちに降りかかることは未だに想像でき難いが、とにもかくにも雛が隠し持っていたベビードールは、もしもの時のカンフル剤のようなものだ。実際、一目見ただけでもこれほど悶々とする優人にとっては効果絶大で間違いないのだから、使うタイミングはしっかりと見極めたいだろう。
とはいえ、発覚からまだ半日も経っていない状態では、口惜しさが抜けるには不十分だというのも優人の本音ではあった。
「それとも……優人さんにとって、今の私は物足りないですか?」
「なわけあるか」
たとえ暗くとも、間近に迫っているだけに些細な表情の変化を見逃すことはない。
ほんの少しだが雛の瞳が不安げに揺れるのが見て取れたから、同じように不安そうな問いかけにほぼ被せる形で優人は即答した。
雛と男女の関係になって数年。身体を重ねた回数なんて両手どころか全身の指を合わせても到底足りないし、この世で優人だけしか知らない雛の
けれど、それだけの経験を経ても優人にとって目の前の恋人は、この世界の誰よりも魅力的な存在だ。
優人の上で四つん這いの姿勢を維持するしなやかな両手足。
それらの根本を辿れば、今度は寝間着の上からでも起伏の分かる魅惑の肢体。
くびれた腰から
状況が状況だけについ性的な部分に目を奪われがちだが、雛の努力の結晶である素肌だってお風呂上がりを差し引いてもしっとりなめらか、溢れんばかりの潤い。月明かりに照らされて青白く輝き、触れることを躊躇ってしまいそうな静謐な美しさを誇っている。
それでも優人は手を伸ばし、白い頬を
優人だけはこうして触れることが、他でもない雛本人に許されている。
それが引き連れてくる背徳感もまた、未だ衰えることのない雛の魅力の一つだ。
「ごめん雛、不安にさせちゃったみたいだな」
「ふふ、即答してくれたので不問にします。と、言いたいところですけど――」
「え?」
「不安にさせた分、優しくしてくださいって言ったら……そうしてくれますか?」
雛はにっこりと口角を持ち上げ、語尾の調子を少し上げた声音で囁いた。
まったく彼女ときたら、大人になって魅力だけでなく、その甘え上手っぷりにも本当に磨きがかかったものだ。
「可愛い恋人の頼みなら断れないなぁ」
優人のその言葉が合図となる。
全身を預けて柔らかさと温もりを押し付けながら唇を差し出す雛を、優人はとびきり優しい口づけで迎え入れてあげた。
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