第5話『新居での初夜』

 今夜のメインであるハンバーグは絶品だった。

 肉汁を逃さずしっかり包み込んでいたことに加え、ハンバーグの中心にはチーズまで詰め込まれた豪華仕様。ソースまでも手作りなのだから優人の箸がハンバーグばかりに向いてしまったのは当然で、「まるで子供みたい」と雛に微笑まれてしまったのは余談だ。


 そうして満足のいく夕食を終えた、その後。


「雛ー、風呂掃除したから沸いたら先に入っていいぞー」


 湯船の給湯スイッチをオンにしてリビングに戻ると、ソファに座っていた雛はほんのりと眉尻を下げた。


「ありがとうございます。すいません、食器洗いも優人さんがしてくれたのに」

「別にいいって。というか俺からしてみれば飯作ってくれる方が――やめよ、こういうの言い出したら終わらなくなりそうだ」

「あはは、それは言えてますね」


 自分たちはお互いがお互いを尊重し合える良い関係を築けていると思う。だから相手のしてくれたことに感謝の念こそ忘れないが、いちいち申し訳なく思っていたらキリがない。

 持ちつ持たれつ。きっとそれでいいんだ。


「優人さん」


 風呂が沸くまでまだしばらく時間がかかる隙間時間、雛がぽんぽんとソファの隣を叩くので優人は腰を下ろすと、彼女はごく自然な動作で優人の方に身を寄せてきた。

 膝の上でお互いの手が指を絡めて繋がり、優人の二の腕には雛の半身が預けられる。さらに優人の肩へとそっと頭を傾けた雛は、息を吸って、吐いて、ふにゃりと緩んだ笑みを口元に浮かべた。


 甘えタイム、ということだろう。それならと空いた手で雛の頭を優しく撫でると、すっかり甘え上手になった可愛い恋人はふふっとくすぐったそうな笑い声を漏らして肩の力を抜いた。


「疲れたか?」


 概ね予定通りに進んだとはいえ、引っ越し作業で今日一日は朝から色々と忙しなかった。労うように雛を撫で続けると、彼女は優人を見上げて笑みを深める。


「それもありますけど、安心したっていう方が大きいかもですね」

「安心?」

「ええ。二人で一緒に暮らすってやっぱりうまくいかないこともあるのかなって、実は少しだけ不安だったんですけど……優人さんとなら大丈夫だなって今しみじみと感じました」

「なら良かったよ。でも不満とか悩みがあったらちゃんと言ってくれな?」

「んー、そうですねぇ……旦那様が素敵過ぎて逆に困っちゃうぐらいなのが悩みでしょうか」

「贅沢な悩みだなぁ」

「だって贅沢な状況にいますもーん。悩みだって贅沢になりますよ」


 雛はそう言って、優人の二の腕にすりすりと頬擦りをしてくる。

 愛くるしいスキンシップについ愛おしさがこみ上げて雛の肩に手を回すと、優人の胸に迎え入れられた彼女は優人をじっと見つめ、白い頬を朱に色づかせた。


「……優人さんのその目、好きです。優しくて、大事にされてるんだなってことが分かる目」


 伸びてきた柔らかな手が優人の頬に触れ、顔を下向かされる。

 至近距離で交わる視線と、お互いの吐息。優人よりも少し熱の混じった雛の吐息が甘い香水のように優人の鼻先をくすぐった。


 雛がそうであるように、優人も雛の目が好きだ。

 薄い黄色を帯びた金糸雀色の綺麗な瞳。普段であれば清楚な輝きをたたえる瞳が、今この時だけはその奥から妖艶さを滲ませている。

 この瞳に見つめられると優人はあっけなくほだされて、吸い寄せられてしまう。途中で雛の瞳がまぶたで隠されてもそれは変わらず、我に返った頃には唇が幸せの感触で満ちていた。


 雰囲気に流されただけのキスだと少し申し訳ないから、ここからちゃんと自分の手綱を握って雛を求める。


「ん……ふ、ぅ……」


 雛の唇は相変わらず柔らかい。小さめで可愛らしいのに、どこかふっくらとした厚みも感じられて、優人の唇を押し当てるだけでも『私も』と言いたげにやわやわと押し返してくる。

 ついばむように口づけを進めればもっと。微かにこぼれるか細い声ごと雛を味わっていると、全身に感じる柔らかさも深みを増した。


 優人が抱き寄せたのか、それとも雛が身体を預けてきたのか。それが分からないほどに二人の動きは重なって、一つに溶け合っていた。

 抱き締める力を少し強くすると、優人の胸に押し当てられていた豊かな膨らみが窮屈そうに形を変え、柔らかい感触の奥から雛の心臓の鼓動が伝わってくる。

 トクン、トクンと思ったよりも緩やかなペースで、ただ唇を重ねるだけでも早鐘を打っていた最初の頃が懐かしく思えてきた。


 それだけ回数を重ねて慣れ親しんだということなのだけれど、得られる多幸感は衰えることを知らないし、むしろ余裕を持てるようになった分、雛の反応を窺いながらより気持ちよくなってもらえるようなキスができる。


 啄んで、ぴったり合わせて、時にはちょっと強く吸い付いたりもして、やがてどちらからともなく唇は離れた。


「はふ……優人さん、またちょっとキスが上手くなりました?」

「そうか?」


 そんなことを言われても、実感できるのは永遠に雛だけなのでどうにも返事に困るのだが。


「そうですよ。優人さんとのキスは、いつも気持ちいいです。幸せで、身体がふわふわしてきて……なんだか力が抜けちゃいます」

「へえ、どれどれ」

「え――きゃっ」


 本当だ。軽く身体を押してみただけで雛はあっさりとソファに倒れ込み、優人が覆い被さるのにまるで抵抗ができていない。

 倒れた拍子にソファに広がった群青色の髪は深い海のように綺麗で、突然のことにぱちくりとしばたたく瞳はさながら海面に映る星々といったところか。

 体勢を理解してさすがに雛の頬も鮮やかな薔薇色に染まり出すが、身体は強張ることもなく、優人のことを受け入れるようにソファに身を沈めた。


「いきなり押し倒してくるなんて……ずいぶんと乱暴ですね」

「心外だな。これでも優しいつもりなんだけど」

「言葉だけならどうとでも言えますよね? 信じて欲しいなら、きちんと証明してくれませんと――行動で」


 そう言って妖艶に笑った雛は、トン、と自らの唇を人差し指で叩いた。

 直前のキスで艶めいた唇は絶妙な色気を漂わせている。再リクエストのサインを受け取った優人は雛の手を取ってソファに押し付けると、もう一度彼女の唇に自身のそれを重ねた。


 証明してと言われたからには、今度はもっと優しく雛を愛することに。

 その一手として雛の首筋につーっと指を滑らせると、敏感な彼女は華奢な身体を震わせ、小さくくぐもった声を内側から溢れさせる。そうして開かれた桜貝の隙間をゆっくりと丁寧に押し広げて入り込んでいけば、雛の中で先端同士が触れ合った。


 軽く挨拶でもするかのようにくすぐったのはほんの束の間、すぐに優人の方から進んで雛に絡みつき、たっぷりの愛情を注いでいく。


 雛は逃げない。優人がすることを余すことなく受け入れて、されるがまま。

 ただ感情と身体の反応はまた別問題らしい。

 優人が雛にまとわりつくたびに細い腰がしきりに揺れるし、雛の喉の奥からこみ上げる熱い吐息は粘ついた水音を伴い、重なった唇同士の隙間からこぼれていく。


 目を閉じて暗くなった視界の外、ソファに押し付けた雛の手が開いては閉じてを繰り返して優人を探すのを感じた。

 指を絡めた繋ぎ方でその求めに答えると、汗ばんだ手の平の感触が伝わってくる。

 唇だけでなく雛の身体中が熱を持ち始めているようだけど、優人だって人のことは言えない。いくら慣れたとはいえ、こういった濃厚なキスをしていれば否応なしに心も身体も昂るというものだ。


 いっそ、このまま――そんな考えが頭の片隅で鎌首をもたげた直後、雰囲気にそぐわない電子音声が聞こえた。


『お風呂が沸きました』


 そういえば、風呂が沸くのを待つ間のちょっとした戯れだったはずだ。

 少しだけ冷静さを取り戻せたところで優人は身体を起こすと、二人の唇を繋ぐ銀色の糸がぷつっと千切れ、雛の口の端を濡らした。


「風呂、入ってくるか?」


 濡れた跡を親指の腹で丁寧に拭いながら尋ねると、雛は瞳に物欲しそうな色を滲ませて、けれどすぐ瞬きでそれを引っ込めて大きく息を吐いた。


「そうですね。今日は引っ越しで汗もかいちゃいましたから、お風呂でさっぱりしてきます」

「了解」


 なら戯れはここまで。そう思って雛の上から退こうとした矢先、不意に細い両腕が優人に伸びてきた。


「優人さん」


 雛の両腕は優人の首を絡め取り、浮かび上がらせようとした優人の身体を今一度彼女の下へと引き寄せる。

 間近に迫った金糸雀色の瞳に浮かぶのは先ほどの物欲しそうな色。さらに男を誘う艶やかさもブレンドさせ、雛は甘ったるい声で囁いた。


「優人さんもお風呂からあがったら……今の続き、しましょ?」


 新居での初夜がけていく。

 一日が終わろうとしているのとは裏腹に、恋人らしい時間はまだ始まったばかりだった。





《後書き》

 作者としてもわりかし突発的に始めた同棲編なだけに今回で早くも書き溜めが無くなりましたが、今後も本編を連載していた頃と同じくらいのペースで更新していこうとは思いますのでよろしくお願いしますm(_ _)m

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