第3話『暴かれた秘密兵器』

 遅い昼休憩を終えた後、ここからはそれぞれ自室の片付けを行おうということで雛とは一旦別作業となった。


「こんなもんかな」


 そして部屋の窓から見える空が茜色に色付く頃、自室の出来具合を確認した優人は腰に両手を当てて息をついた。

 全てとまでは言えないが、一通りの片付けはこれにて完了だ。元々物を多く持つような性質たちではなかったし、引っ越しついでに不要になりそうものを前もって処分していたのが幸いした。


(さて、どうするかな)


 外が暗くなる前に雛と夕飯の買い出しでスーパーに向かう、というのがひとまずの予定となっているのだが、それまでにはまだいくらか時間的余裕がある。

 また適当に一休みして暇を潰してもいいところだが、しばし考えた後、優人は自室を出て隣の雛の部屋へと向かう。


 親しき仲にも礼儀あり。念のため入る前にノックをすると、「どうぞー」と軽やかな声で入室を許可されたので優人は扉を開ける。室内では雛がカーテンの取り付けを行っていた。


「どうしました?」

「俺の部屋は目処がついたから、雛の方はどうかと思って様子見に来た。手が空いたし、何か手伝えることがあったら手伝うぞ?」

「わざわざすいません。なら、ちょっとお言葉に甘えちゃいましょうか」

「はいよ。何手伝ったらいい?」


 室内に足を踏み入れながらそう言ったものの、雛の方も粗方の作業は済んでいるようだ。

 端の方に残っていた段ボール箱を指で示しながら、雛は口を開く。


「それを頼めますか? 中身は肌着類なので、棚の二、三段目に入れてほしいです」

「了解――って、いいのか? 俺がやって」

「何がです?」


 作業を中断して振り返った雛がきょとんと小首を傾げた。


「肌着ってことは、ほら、下着とかも含まれてるんじゃないかって話だよ」

「それならご心配なく。そういったのはもう片付けてありますから」

「そっか。なら大丈夫か」

「ふふ、ご期待に添えずすいません」

「そんな期待してませんー」


 気を遣っただけのつもりなのに、優人をさも変態のように扱ってくるのは心外である。

 ため息をついてわざとらしく不満をアピールすると、雛は楽しげな笑みを深くして作業に戻った。


「ちなみに優人さん、棚の一番上の段は……開けちゃダメですよ?」

「…………」


 今の話の流れで、そんなことをわざわざ忠告してくるということは、つまりその一段目の中身は――。

 実に容易い連想ゲームが優人の頭で行われ、間違いなく正解に行き着いたであろう優人はさすがに雛をじろりと睨んだ。


「おい雛……ひょっとして煽ってるのか?」

「さあ? 私はただ一応の注意をしただけですけど」


 しらばっくれるのならそれで構わないが、ならばせめてもう少し表情を取り繕うぐらいはしたらどうだろうか。

 つり上がった口の端を隠そうともせず、雛は優人に流し目を送っていた。

 楽しそう、というよりは浮かれている感じだ。それだけ優人との新生活にテンションが上がっているのだろうと解釈し、それに免じて優人は、雛の挑発めいた発言を甘んじて受け入れるに留めた。


 まったく、これで本当に開けたら絶対に顔を赤くするくせに。

 だいたい雛は勘違いしている。興味がないとは口が裂けても言えないが、下着単品だけを見てもさほど意味はない。何より雛が着用している姿を見るからこそ、優人だって

大いに興奮を覚えるわけで――……いや、なに真剣に語っているんだ自重しろ。


 何だかんだで雛のからかいに流されていることに気付き、優人は緩く頭を振って雛の指示に従った。

 慎重に開封した段ボール箱の中身は確かに雛の言う通りTシャツなどの肌着類で、綺麗に畳まれた状態を保ちながら棚の中へと収めていく。


 どことなくフローラルな香りがする雛の衣服。これらはすべて洗濯されているもののはずなので、使っている洗剤による匂いなのだろう。


(洗濯とかもどうするかな)


 一緒に住むことになった以上、これからは洗濯も二人まとめて行うことになるだろう。当然お互いの衣服に触れる機会が増えるわけで、そうなると少し問題が出てくる。

 具体的には先ほど話題に上がった下着だ。

 優人のものが雛に触れられることについては、まあ優人的にはあまり気にならない。


 しかしその逆はどうか。優人からしても雛の下着に触れるのはちょっと気まずさがある上、そもそも優人が知らない洗う時の取り扱い方なども色々とあるのだろう。


 なら下着だけは個々に。それとも洗濯は雛に任せるか。


(でもそれだと雛の負担が大きくなるよなあ)


 食事については雛の方から『基本的には私が作りますよ』と申し出てくれている。

 だからと言って毎日毎食任せっきりにするつもりはないけれど、洗濯まで任せたら総合的な家事の負担の割合を比べた時のはかりは間違いなく雛の方に傾く。

 結局、色々と話し合って決めることが盛り沢山ということだ。


 一緒に住むって、結構大変だ。でもそのことに不安以上の期待を感じているのは、それだけ優人も浮かれているからなのだろう。


「っと」


 考え込みながら手だけは動かしていたせいか、気付けば段ボール箱の中身は残りわずかとなっていた。そして最後の一枚を取り出すと、優人は目をすがめた。

 今までのものと違い、黒い不織布の袋に入った一枚。

 だから中身が分からないのだが、持った感じだと軽く、生地も薄いみたいなので同様に肌着類ではあるのだろう。


「なあ雛、これはどうす――」


 扱いを訊くにしても、どんなものかが分からなければ尋ねようがない。そんなわけで雛に声をかけつつ袋から中身を取り出して――瞬間、優人は硬直した。


 だって、これ、もしかして、これって。

 さらさらとして肌触りがよく、淡い水色を基調としたその一着。

 無言のまま動いた優人の両手が折り畳まれたそれを開き、全体像を明らかにしていく。


 一言で言えばワンピースだった。しかし、まずその丈は非常に短く、スタイルの良さはさておき身長自体は平均的な雛であっても、届くのは足の付け根のほんの少し下までだと予想できる。それどころかみぞおちの辺りから切れ目が入って左右に広がる形なので、は完全に見えてしまうはずだ。


 肩回りにしたって大胆にむき出しで、胸元の開きも大きめ。というか緩い。

 肩にかけるストラップさえ外してしまえば脱がすのはたぶん簡単で、豊かなものをお持ちの雛が着た暁にはどれほどの破壊力を誇るのか、想像するだけでも頭がくらりとする。


 このように上も下も危なっかしいのに、しかも、しかもだ。

 ……透けている。いやさすがに胸部分はその限りでないし、所々はレースの刺繍や装飾で隠れていたりはするけれど、逆に言えばそれだけだ。

 通常の衣服が持ちうる素肌を覆い隠すという役目は、もちろん果たせるわけがない。

 むしろ相手に見せつけるぐらいの大胆さと妖艶さを詰め込んだ、この衣服の名は――。


「わ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 あまり聞いたことのない絶叫が響いた。

 甲高い悲鳴を上げた張本人である雛はびっくりするぐらいの素早さで優人から服をひったくると、今度は脱兎の如く俊敏さで距離を取る。

 問題の一着は背中側に隠し、顔中をよくれたトマトに変貌させてはぁ、はぁ、と荒い息を吐く雛。


 なるほど。どうやら優人に知られても構わなかったというわけではなく、うっかり紛れ込んでいたのを失念していたらしい。

 そして、隠れているものは暴きたくなるのが人間のさがだ。よもやここから何食わぬ顔でスルーすることなどできないので、優人は色んな意味でひくつく口元を制御して問いを投げかけた。


「雛……それ、ベビードールってヤツだよな?」


 雛の唇がきゅっと真一文字に引き結べられ、同時に両肩が大きく跳ねる。

 その反応は分かりやすいまでの自白に他ならず、しばしぷるぷると震えていた雛は顔の前で挙手をした。


「発言の……発言の許可を願います」

「……どうぞ」


 なんか裁判じみた問答が始まってしまった。

 被告人かつ弁護人というよく分からない状態の雛は正座に姿勢を切り替えると、訥々とつとつと語り出す。無論、ベビードールは背中に隠したままだ。


「その、ですね……男女が長くお付き合いしていくにあたっての問題の中に……マンネリ、というものがあるじゃないですか」

「まあ、あるな」


 俗に倦怠期と呼ばれるものだろう。

 最初は相手のことが好きで好きでたまらなくて付き合い始めたのに、次第に悪い意味で刺激に慣れてしまい、だんだんと気持ちが色褪せてくるように感じる現象らしい。


 どういったものなのかを知っているだけで、優人にはさっぱり理解できない話だ。

 だがそれを持ち出してきたということは、自分と違って雛には覚えがあるということなのか……!?


 優人のそんな不安が顔に出ていたのか、雛はわたわたと焦った様子で手を横に振った。


「か、勘違いしないでくださいっ。現状優人さんとの関係にそういった不満を抱えているということではないんです、決して! 優人さんのことは今までもこれからもずっと大好きですっ!」

「そ、そっか、よかった。……俺も雛のこと、愛してるよ」

「え、えへへ、愛してるだなんてもう――……いやそうではなくて」


 話がズレかけたところで、雛がこほんと咳払いで軌道修正。


「こうしてお互いが想い合っていることは再確認できましたけれども、これから先、私たちには絶対に起こりえない問題……とまでは言い切れないと思うんです」


 雛の言葉に優人は黙って頷いた。

 優人は雛のことが好きで、雛もそれは同じで、それがこれから先も変わらず続いていくと胸を張れるだけの自信はある。

 しかし、それはあくまで理想だ。

 雛が危惧する通り、その理想のままでいかない可能性は決してゼロではない。これから先の一生を共に過ごしていくというのであれば、愛に浮かれてばかりいないで、ある程度は現実的に物事を考えることが必要だろう。


 だからですね、と雛は太ももの上で両手を重ねた。左右の指がもじもじと、落ち着かなさそうに絡まり合う。


「これは、その、もしものことが起きた時のための……事前準備、と言いますか……奥の手と言いますか……つまり、えっと……………………ひ、秘密兵器、です」


 最終的に蚊の鳴くような声でなんとかそう言い切り、雛は茹で上がるほどに顔を赤くさせた。

 そのいじらしさが、何より雛がそういったものを準備していたという事実が、桃色の弓矢となって優人は胸を打ち貫いた。


 なんということだろう。この世にこんな可愛い兵器があったのか。

 いや、確かに破壊力的には兵器レベルと言っても過言ではないかもしれなく、実際に雛が着たらどれほどのものになるのか。


 優人が頭の中に残るベビードールのイメージと雛の身体を重ね合わせる中、立ち上がった雛はベビードールを袋に詰め直した。


「と、とりあえずこれは仕舞っておきましょう。なんたって秘密兵器ですから、しばらくは封印ですっ」

「えぇぇぇ……」

「そんなあからさまに残念がらないでくれますか!? 優人さんのえっち、すけべ!」

「自分からそんなものを用意してた雛が言えた台詞じゃないと思うけど……」

「それはそれ、これはこれですっ!」


 ぷんぷんと頬を膨らませた雛はベビードールの袋を、例の棚の最上段の奥の方へと押し込んでいく。

 優人がその光景は最後まで残念そうに見つめていたのは、男である以上仕方のない話だったと言えよう。

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