EX2『トリック・オア・トリート?』
「トリック・オア・トリート! お菓子くれなきゃイタズラしちゃいます!」
十月末日、雛の口振りから察せられる通りのハロウィンの夜である。
雛の部屋で頂いた夕食後のまったりタイム中、「ちょっと失礼します」と言って洗面所に姿を消した彼女は、戻ってくるや否や、明るく弾んだ声でお決まりの台詞を口にした。
そんな雛の身を包む衣装と言えばだが、いわゆる着ぐるみパジャマというものに分類されるのだろうか。
モチーフは猫。秋から冬にかけての寝間着としてちょうどよさそうなもこもこ生地が身体を覆い、律義に被ったフードには垂れ気味の猫耳の飾りが付いている。今の状態だと背面までは見えないが、恐らく尻尾も完備されているに違いない。
それにしてもよく似合っている。雛×猫という組み合わせは文化祭の時にも一度目にしたが、やはり最高のコラボレーションと言わざるをえなかった。
思い出したように「にゃあ」と軽く鳴いてポーズをとるのが可愛らしく、自分からやっておいて直後にほんのりと恥ずかしそうに頬を赤らめるのだから、優人としてはなんかもう感無量だった。
『世界よ、これが可愛いだ』と大々的に宣言しても文句なしの完成度。ともすればその魅力に当てられて放心しても仕方ないほどではあったが、洗面所に引っ込む雛が荷物を抱えていたのを目撃していたこと、そして今日がハロウィンであることを知っていた優人にとっては、ある程度は身構えることのできた光景でもあった。
なので見惚れてしまうのもほどほどに、優人は優人ででこっそり用意していたものを取り出した。
「どうぞお納めください」
「え」
気取った言い方で告げ、リボンと透明なラッピング袋で包んだお菓子を献上すると、可愛らしい猫様はぽかんと口を開けた。
この日のために仕込んだかぼちゃのタルト。受け取りを促すように袋を揺らしてやれば、小さな手の平がぎこちなく差し出されるので、そっとタルトを載せてやる。
自ら所望したくせに、実際にお菓子を受け取った雛は呆気にとられた様子でぱちぱちを目を瞬かせていた。
「どうした、それじゃ足りないか?」
「い、いえ、そうではなくて……しっかり用意してあるものがこうもすんなり出てくるとは……」
「今日がハロウィンなのは分かってたしな」
なるほど。反応から察するに雛は優人にお菓子の持ち合わせがないと踏んで、イタズラする気満々だったらしい。
見事に出鼻をくじいてしまった。何も優人とて雛のぷちコスプレ自体を予見していたわけではなく、せっかくのハロウィンにちなんだお菓子をプレゼントしようと思っただけなのだが。
「目論見が外れて残念だったな」
「うぅ……私はまだ優人さんのことを甘く見ていたのかもしれません……」
お菓子を貰えた以上はイタズラなし。
雛はしょぼんと肩を落とし、優人の隣に置いてあったクッションに腰を下ろす。目に見えて意気消沈していた雛ではあったが、袋から取り出したタルトを口にした途端、彼女の金糸雀色の瞳がきらりと輝きを取り戻した。
もっ、もっ、もっ、と小さな口がリズミカルに動く。袋の中には一口大よりやや大きめのタルトが数個入っていて、さっそく一個目を平らげた雛は、さながらこたつに入った猫のように緩んだ笑みで優人を見上げた。
「はあ……優人さんの作るお菓子はやっぱり最高ですね」
「お気に召して何より。気持ち砂糖は多めに入ってるんだけど、甘さはちょうどよかったか?」
「ばっちりです。ふふ、私の好みが完璧に把握されてるみたいで嬉しいですねえ」
「……そうかい」
上向きそうな口の端を優人は手で隠す。
優人なりに雛の好みを理解はしているつもりだが、こうして本人から太鼓判を押してもらえるのは何より光栄なことだ。
頬杖を突いて雛が幸せそうに食べる様子を眺めることしばらく、「ごちそうさまですと」雛が両手を合わせたタイミングで優人はふと気になったことを雛に訊いてみる。
「ところで、もしイタズラだったら俺は何をされてたんだ?」
「……こちょこちょとか?」
言葉のチョイスがいちいち可愛い。
両手合わせて計十指をわきわきとさせる雛はなんだかやる気が有り余ってるみたいだし、恋人からのスキンシップならむしろウェルカムな優人としても気になるところ。じゃあどうぞ、と言葉にする代わりに腕を広げると、雛は「お菓子をあげた意味がなくなってますよ」と小さく笑いながら指摘し、けれどうきうきとした面持ちで優人へ手を伸ばした。
「それっ」
愛らしい掛け声と共に雛が優人のわき腹をくすぐり始めた。金糸雀色の瞳で優人の顔をじっと見つめながら、下から上、上から下、時には横にと縦横無尽に細い指が踊る。
優人の顔色を窺いながら、くすぐったさを感じるポイントを探っているのだろう。生憎と優人のくすぐり耐性はわりかし高いので、こそばゆさこそ感じても、肉体的というよりは雛に触れてもらえることによる精神的な部分が大きかった。
よって多少の声は漏らしつつも笑顔でくすぐられていれば、対する雛は柔らかそうな頬の裏に空気を詰め込んだ。
「うーん、やはり優人さんには効きづらいのでしょうか……」
「どこかの誰かさんに比べたらなー」
「そういうことを言いますか……。いえ、きっと優人さんにだって弱いところはあるはず」
わき腹は望み薄と判断するや、雛の次の狙いは優人の背中へと移った。
ただしわざわざ背後に回り込むのではなく、まさかの正面から抱きついてのくすぐりだ。細い両手が優人の脇の下から背中に回り、またもやしきりに動いてポイントを探す。
これもまたこそばゆい。というか体勢が体勢なだけに、もっと別のことに意識を奪われてしまう。向かい合っての密着状態だけに雛の誇る柔らかさが身体の前面に押し当てられる形となり、もこもこな布地越しでもふくよかな質量を感じる。
優人と雛は、身も心も捧げ合った恋人同士だ。だからこういう大胆なスキンシップだっておかしい話ではないにしても、それと胸が高鳴らないかどうかは別問題である。
子猫がじゃれつく――というには色々と危ういものがある状況に、優人はそっと吐息で熱を逃がし、上半身を少し前に傾けた。
ここまでするなら、こっちにも反撃させろ。
「ふあっ」
雛の身体を両腕で優しく包み、ぎゅっと抱き締める。
突然の抱擁に雛は上擦った声を漏らし、優人の背中をくすぐっていた手もびっくりして動きを止める。けれど、やがて口の中で小さな鈴を転がした雛も、できるだけ手を伸ばして優人を抱き締め返してくれた。
精一杯が伝わってくる愛情表現。お互いの心音が重なり合うような感覚が、このまま眠りに落ちても構わないぐらいに心地良い。
「……まだイタズラは途中でしたのに」
「この状況でこっちから手を出すなってのはさすがに無理だ」
「ふふ、我慢できないなんて仕方のない人ですねえ」
「言ってろ甘えたがり」
軽口を叩きながら、身体を擦り合わせて少しでも密着度を高めると、雛が幸福に彩られたような吐息を漏らした。
顔は見えないけれどとても幸せそうに緩んでいるのだろう。優人と同じで。
いっそこのまま寝転がって雛の温もりをゆたんぽのように味わうのもやぶさかではないが、ここは一つ優人も興じてみようと、ほんのり赤らんだ耳に唇を寄せる。
呟くのは、やはりハロウィンお馴染みのあのフレーズだ。
「――トリック・オア・トリート。お菓子くれなきゃイタズラだ」
「へ?」
「イタズラについてだけど、もちろんくすぐりはアリなんだよな?」
「え、え……や、そ、それはちょっと……っ」
当たり前だが、自分はよくて相手はダメなんて理屈は通させない。
それが分かっているからこそ雛は明らかにあたふたとし始め、しかも優人と違ってくすぐりにめっぽう弱いとくれば、その慌てぶりはかなりのものだ。
ちなみに雛の家の戸棚にはお菓子が入っていることもあるが、今日は空だった。仮にあっても取りに行かせないと言わんばかりに雛をがっちりホールドすれば、彼女はいよいよ優人から逃げられない。恨むなら迂闊に網にかかりにきた自分を恨むといい。
「ゆ、優人さん、少し時間を……!」
「はい十、九、八、七――」
「え、え、えええええっ!?」
カウントダウン開始。いつまでも待ってやるほど、優人改め悪魔は悠長ではないのだ。
カウントがゼロに近付くにつれ優人の手はおもむろにほっそりとしたわき腹に近付き、雛の背中に早くも震えが走る。
どんな風にくすぐってやろう。最初から全力、それとも徐々に強めていくか。
優人が期待に胸を膨らませ、故に一瞬の隙ができた時だった。
「優人さんっ!」
ぐいっと優人の胸を強く押し、すんでのところで拘束から逃れる雛。
赤らんだ顔が優人の目に映し出されるのも束の間、すぐにその鮮やかな薔薇色が視界を埋め尽くし――途方もなく柔らかいものが、優人の唇に蓋をした。
「んっ、ふぅ……」
与えられた口付けは、雛にしては珍しく積極性に溢れたもので、重ねた瞬間からその瑞々しい感触を与えてくる。
触れ合う身体から伝わる雛の体温は温かいけれど、唇から伝わるそれは熱い。
熱に浮かされて曖昧になりそうな思考の中、雛からの控えめなノックを受けてわずかに口を開くと、彼女は道を押し広げるようにして優人の内側に潜り込んだ。
大胆ではあるのに、やっぱりちょっとおずおずと。恥じらいを孕む雛の先端は優人に触れ、ほんの少しだけ動きを止めた後にゆっくりと絡み付いてくる。
柔い感触と、熱と、吐息と、不思議と甘い雛の蜜。その全てを同時に味わうことができた。
いつの間にか膝立ちになった雛は両手で優人の頭を包み、キスがしやすいように優人の唇を上向かせて、よりじっくりと愛情を注いでくれる。
ねちっこい水音と共に流れてきた蜜を吸うと、雛の肩がぴくんと震えた。
雛からのアプローチを受けたことはこれが初めてではない。しかし前触れがなかっただけに優人はほとんどされるがままで、雛による深いキスにただ酔いしれる他なかった。
やがて、ぷはっと息を弾ませて雛の唇が離れる。二人を繋ぐ銀の糸はキスの濃さを証明するもので、雛は半ばでちぎれた糸を隠すように口に手を添えた。
「えっと……雛?」
嬉しいけど、今のは結局どういうわけで。
優人の問いに「えっと、えっと」と泡を食って必死に言葉を探す雛は、きゅっと唇を噛んでから回答を絞り出した。
「こ、恋人からのあまーいキスは、お菓子代わりにはなりませんか……?」
精一杯の虚勢のつもりなのか、微笑みながらわざとらしくこてんと小首を傾げて。
それはそれで様になっている仕草を優人が見つめていると、雛は羞恥でじわじわと頬を炙らせた。ちょっと面白いぐらいに顔が真っ赤だ。
「何か言ってくださいよぅ……」
「……んー、じゃあ」
雛の頑張りに免じてイタズラはなし。代わりにおかわりを要求してみると、「ばか」という囁きの後にとびきり甘いものを貰えたのだった。
≪後書き≫
本日より開始の『第9回カクヨムWeb小説コンテスト』に当作品を応募しております。
読者選考突破のため、読者の皆様方からは☆評価による応援を頂ければ幸いですm(_ _)m
前回応援頂いた方は改めてありがとうございました。もしよろしければお祈りください。
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