最終話『二人で作る場所』

≪前書き≫

 本日は7時にも更新しております。まだの方は一つ前からお読みください。







 とある冬の日のこと。

 高校三年生の彼女は暗鬱あんうつとした様子で肩を落としたまま、ひどく重苦しいため息を吐き出した。


 ため息の原因は今日返却された模試の結果にあり、第一志望の判定がかなり悪かった。

 正直模試当日の時点で手応えは感じられなかったから半ば覚悟の上での結果ではあるし、そもそも現状の自分の学力だと背伸びしているのは分かっているのだが、目に見える形で現実を突きつけられるとさすがに凹む。


 おまけに、


「予報じゃ降らないって言ってたのに……」


 追い討ちをかけるような現在進行形のどしゃ降りの雨である。

 雨雲レーダーで調べるには短時間だけのスコールのようなものらしいが、傘の持ち合わせもなかった自分はその直撃をもろに喰らってしまった。


 どうにかひさしで雨を遮れるこの場所まで避難できたものの、密かな自慢である栗色の髪の毛はすでにぐっしょり。大量の雨粒は防寒用のコートのみならず、その下に着た制服のブレザーまでもを濡らしていた。


「はぁ……」


 またため息を一つこぼす。

 濡れた衣服の感触が気持ち悪い。身体の芯が冷えて寒い。心にぽっかりと穴ができて、そこに冷たい風が吹き込んでくるみたいだ。

 まるで、今の自分を取り巻く全てが敵だと思えてしまうほど。とにかくそれぐらい気分がブルーだ。


「――あの」

「ひゃいっ!?」


 突如、背後からかけられた声に両肩と返事が跳ね上がった。まったくの不意打ちだったとは言え過敏な反応をしてしまい、彼女は慌てて声の主の方へ向き直る。


 そこにいたのは、思わず息を呑んでしまうほどの綺麗な女性ひとだった。

 腰まで伸びる艶やかな群青色の髪に、宝石のような輝きを持つ金糸雀かなりあ色の瞳。顔立ちが抜群に整っていることもさることながら、すらりとした体躯は非常に女性らしい魅力にも溢れている。


 そしてそれに似合う、むしろより魅力を際立たせるような温かい笑顔を女性は浮かべると、小さく頭を下げた。


「すいません、驚かせてしまいましたね」

「あ、いえいえ、こちらこそ……っ! 急に大きな声出しちゃったのは私なんで、気にしないでください」

「ありがとうございます。それで、もし良ければ店内で雨宿りしていきませんか? 暖房が効いて暖かいですし、タオルもお貸しできますよ」

「店内……?」


 そこまで話して、ついでにドアから半身を出してこちらを窺う女性の姿を改めて確認して、ようやく自分が一軒の喫茶店の店先にいたことに気付いた。


「ご、ごめんなさいっ! こんな所に立ってたら邪魔ですよねっ」

「いえいえ、この雨なら仕方ありませんよ。さ、どうぞ中に入ってください。そのままだと風邪を引いちゃいます」


 包容力のある声音や仕草によるものが大きいのか、変わらず笑顔を浮かべたままの女性に促されるまま、つい柔らかな暖気が漂ってくる店内へと足を引き寄せられる。


 濡れネズミ状態だった自分が入れば当然床にぽたぽたと水滴を落としてしまうのに、女性は「すぐに拭きますから大丈夫ですよ」と逆にこちらを気遣い、暖房器具に近い座席まで案内してくれた。


「コートと……ああ、ブレザーもお預かりした方がよさそうですね。ハンガーにかけてストーブの近くで渇かしておきましょう。すぐにタオルも持ってきますから待っててください」


 てきぱきてきぱき、でも決してこちらを急かさない。絶妙なスピードで手を進める女性は指定した衣服を預かると、ほどなくしてタオルとブランケット、おまけに「サービスです」と温かい緑茶までもを用意してくれた。


 砂漠の中にオアシス――大雨の中で辿り着いたわけだから状況的にはむしろ真逆だが、気分はまさにそれだ。


 ひとまずお礼を言ってタオルで髪の水分を拭き取り、緑茶を飲んで一息つかせてもらう。じんわりと、心地よい温かさが内から身体に広がった。


(すごい人だなぁ……)


 ちびちびと緑茶を飲みながら、早速濡れた床をモップで拭き始めた女性の仕事ぶりを眺める。

 なんというか、そう、将来ああいう人になりたい。出会って精々五分かそこらでも素直にそう憧れてしまう魅力が女性にはあった。


 あの人を捕まえた男性はなんて幸せ者だろうと、緑茶を置く時に見えた女性の左薬指の指輪を思い返して目を細めた。


「ふー……」


 髪も粗方拭き終わり、冷えた身体もだいぶ温まった。人心地つけるようになったおかげで周囲に目を配る余裕もできたので、店内の様子を見回す。


 暖色系のあかりに照らされた、落ち着いた雰囲気の店内。

 席数こそチェーン店のように多くはないが、雨が降る前からいたらしいお客さんで座席の半分は埋まっている。その誰も彼もが飲み物のカップを、はたまた器に盛られたデザート類を前に表情を緩めていた。


 時間がゆったりと静かに流れるような感覚。さっきよりは少し勢いの弱まった雨粒の音が、今となっては良いアクセントに思えるぐらいだった。


「身体は温まりましたか?」

「あ、はい」


 掃除を終えて近付いてきた女性の問いかけにぺこりと頭を下げて答える。

 本当に何から何までお世話になりっぱなしだ。色々と必要なものを貸してもらえたばかりか、こうしてお店の一席まで使わせてもらって――……。


 その時、今さらになって気付いたことがあった。


「あ! え、えっと、喫茶店なんですから何か注文しないとですよね!? ごめんなさい私、すっかり忘れてて……!」

「ふふ、ゆっくりで大丈夫ですからお気になさらず。メニューをお持ちしますね」


 女性は慌てるこちらを優しくなだめて手書きのメニュー表を置いていった。

 他の席を確認すると最初からちゃんと備え付けてあるメニュー表が今頃差し出されたのは、もしかしたら注文しなければならないことを意識しないようにと、この席に案内した時にあえて下げてくれたのかもしれない。


 そういう水面下でも気遣いの糸を張り巡らされていたのかと思えば、感謝やら申し訳なさやらでもう胸いっぱいだ。

 せめてその恩に報いるべく、場合によっては今月のお小遣いが切迫してでもお金を落としていこうと、メニュー表を手元に寄せて吟味を始めた。


 ……とは言ったものの。


(……なんか、食欲湧かないな)


 決してメニューが悪いわけではない。パフェとかパンケーキとか、添えられた写真も相まってすごく美味しそうで、普段の自分なら間違いないく飛びついていた。


 でも今は身体の調子こそ持ち直したものの、精神的にはまだまだ落ち込んでブルー状態のまま。お腹は間違いなく減っているはずでも、その空きっ腹に暗く沈んだ感情が居座っているせいでどうにも食べ物が喉を通りそうになかった。


 かと言って、ここまで良くしてくれたお店の売上に何一つ貢献しないのはさすがに……。


「よろしければ当店自慢のホットミルクはいかがですか?」

「え?」


 柔らかな声に導かれ、顔を上げる。

 こちらを見下ろす女性は優しい微笑みを浮かべたまま、ドリンクメニューの一部分を指で示した。


「ホットミルクですか……?」

「ええ。うちのマスター特製の一杯なんですけどね、疲れた時や落ち込んだ時、ほっとして元気が出てくるということでオススメなんですよ」

「へぇ……」


 私もよくお世話になってます、と付け足す女性の笑顔は心の底からのものだった。

 なるほど、ちょっと子供っぽいけどそれぐらいなら喉を通りそうだし、値段はメニューの中では比較的安いから、セールストークで高いものを注文させようということでもないらしい。


「じゃあ、ホットミルクをお願いします」

「かしこまりました。――あなた、ホット一つ」


 紙の伝票にサッとペンを走らせ、女性はカウンターの向こう側へと注文を伝える。

 どうやらそのマスターさんとやらは奥で作業していたらしく、女性の呼びかけに応じてカウンター内に姿を現した。


 すぐに背中を向けてしまったから顔は分からないけど、黒髪の、背の高い男の人だ。

 することもないからしばらくその背中を眺めていると、入り口のドアベルが新たな来客を告げる。入店した二人の顔を見た女性がぱたぱたと早足で歩み寄っていった。


「やっほー雛ちゃん」

「小唄さん! それに葛城さんもいらっしゃいませ! 雨は大丈夫でしたか?」

「二人とも折りたたみの傘を持ってたからなんとかね。でもまだ止みそうにないから、休憩がてらまた寄っちゃった」

「久しぶり空森さん。……なんだかまた綺麗になった?」

「ありがとうございます。そういう葛城さんだって学生時代から結構雰囲気変わりましたよ? 初賀さんとのお付き合いのおかげでしょうか」

「ま、まあそれはあるかなー。でも空森さんたちには――」

「ちょいちょい葛城ちゃん、雛ちゃんもう空森じゃないってば」

「えっ……あ、ごめんっ! つい前の癖が……!」

「あはは、大丈夫ですよ。私もまだ慣れなくて、ちょっとふわふわしてますもん」


 空いている席へと移動しつつ、仲睦まじそうに会話を交わす三人。仲の良い常連さんではなく、以前からの知り合いみたいだ。


 そして、そんな三人の姿を目で追いかけていたから、いつの間にか近付いていたに気付かなかった。


「お待たせしました」


 低く、けれど穏やかな声と共に、乳白色の液体で満たされたマグカップがほとんど音を立てずに置かれる。

 置いた左手、その薬指、あの女性と同じ指輪が微かに光る。


 届けてくれた相手へお礼を言おうとすると、彼の目と視線が交わった。

 形だけを見れば鋭い目つき。

 なのに、どうしてだろう。不思議と怖さは感じない。


 きっと彼の目に、この場所と同じような温かい光が宿っているのが分かったからだ。


「少し熱くなってますから、気を付けて召し上がってください」


 言われてマグカップに両手を添える。

 ほんのりとシナモンの香りがする、特製の一杯だというホットミルク。

 胸につかえていたはずの息苦しさを忘れて、ゆっくりと中身を口に含んだ。


 温かくて、甘くて、まるで作ってくれた人の想いがそのまま溶け込んだような。




 ――とても優しい味だった。





 Fin.







≪後書き≫

 読者の皆様方、ここまでお読みいただき大変ありがとうございます。

 これにて『頑張り屋で甘え下手な後輩が、もっと頑張り屋な甘え上手になるまで』完結となります!

 長い後書きはまた数日後に近況ノートで挙げようかなと思うので、ここでは短めに。


 両片思い好きな私の趣味が高じて始まりました今作ですが、カクヨムでの第1話投稿から約一年と少し、こうして無事完結を迎えることができたのは皆様のおかげです。☆評価やレビュー、応援コメントなどいつもとてもありがたく頂戴しておりました。


 特にカクヨムコンテスト時には応援のおかげもあり、中間選考である読者選考を突破できました。残念ながら受賞こそできませんでしたが、私としては一つの壁を乗り越えられたのでとても嬉しかったです。


 長らく更新が滞っていたノクターンノベルズでの18禁版についてもしっかり完結させるつもりですので、興味があればそちらも覗いてください。本編自体も新作宣伝時などに番外編を投稿しようかとは思います。


 それでは最後に謝辞を。

 読者の皆様方、改めて完結までお付き合いいただきありがとうございました!

 よろしければ最後にも☆評価やレビュー、応援コメントなど頂けると幸いです。

 また新作でお会いすることがありましたら、その時はよろしくお願いします!

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