第209話『始まりは些細な偶然だったとしても』

 文化祭から日が経ち、めぼしい行事も過ぎた学校は普段の日常を取り戻していく。

 暦は十月下旬へと移行し、日々の気温は少しずつ肌寒さを感じるものに。進路という名の、卒業後の自分の身の振り方により本格的に頭を悩ませる、そんなある日の放課後のことだ。


 優人と雛の二人は、家庭科室などを始めとした特別教室が集中する第二校舎の廊下を歩いていた。

 お互いの手には段ボール箱が一箱ずつ。文化祭の飾り付けの残り物が詰まったこれらを、通称『モノオキ』と呼ばれる第二資料室まで運ぶ最中だった。


「相変わらず雛って何かにつけて頼られがちだよな」


 一緒に帰る約束をしていた雛を二年の教室まで迎えに行った際に目撃した彼女と教師の会話を思い返しつつ、優人はため息混じりの苦笑を浮かべる。


「私がと言うよりは、単純に目についた人に頼んだだけだと思いますけどね」

「いーや、絶対雛なら引き受けてくれるだろうっていう色眼鏡はあったと思うぞ」


 当の雛は特に苦にした様子もなく言葉を返すが、優人としては鼻を鳴らすぐらいはしたい気分だった。

 雛の優等生っぷりは周知の事実で、だからという気持ちも分かるには分かるけど、大事な彼女をあまり便利屋扱いしないでもらいたい。


「まあまあ、こういった積み重ねが内申点の足しになると考えたら儲け物ですよ」

「うわ、結構腹黒い発言」

「人聞きが悪いですね。進路の選択肢を少しでも広げるための努力と言ってください」

「はいはい、雛はいつでも頑張り屋だ。昨日作ったプリンを冷蔵庫で冷やしてあるから、ご褒美に今夜のデザートでどうだ?」

「やった、是非いただきますっ。ちなみに、こうして手伝いを申し出てくれた優人さんへのお礼は何がいいですか?」

「え? んー……じゃあ風呂上がりに髪を乾かしてくれ」

「はーい」


 含みのある笑みを浮かべたり、わざとふてくされたり、花が咲くように笑ったりと、優人の前でころころと表情を変える雛。

 どんな顔でも魅力的だなと思いつつ、優人は改めて自分の腕の中の段ボール箱に目を落とした。


 中身である装飾品はモールばかりなので、かさばりこそすれ重さ的には大したことないのだが。


「未だに文化祭の後片付けが残ってるってのもどうなんだよ」


 管理が適当なのかたまたま漏れがあったのかは知らないが、悪態の一つぐらいは出てしまう。

 とはいえ、取るに足らない些細な愚痴。雛からまた宥めの言葉でも来ればそれで終わりだと思っていると、なぜかその返答がない。気付けば雛は足を止めており、振り返った優人はぼんやりと放心して前を見つめる彼女の様子に首を傾げる。


「どうした?」

「あ……いえ、なんだか思い出しちゃって。優人さんと、初めて会った時のこと」


 言われて、優人の頭の中にも同じ記憶がよみがえる。

 ちょうど今と同じ時期、同じ場所、同じように荷物を運んでいた雛を見かねて優人が手を貸したのが、自分たちの関係の始まり。


 あれから丸一年、そう考えると感慨深さも一入ひとしおだった。


「そういえばそうだったなあ」

「ええ。今日と同じように優人さんが手伝ってくれて……あ、でも最初はすれ違ってもスルーしてましたよね? 私のこと」

「あ、あの時は手伝うほどでもないかなって思ったし、俺が声かけても逆に怖がられるかなと思ってだな……! 目の前で転ばれたからさすがに無視できなかったけど」

「うっ……それについては忘れてくれていいのに……」

「無理」


 何せ雛との初めての思い出なのだから。

 即答すると雛は唇の尖りを一層鋭くし、近付いてきて優人への不満を行動で現す。

 具体的には優人の肩口への頭突きという形で。両手が塞がっているからなのは分かるけど、小動物の求愛行動にも似た動きには自然と口角が持ち上がってしまう。優人の視界から隠れている顔は相当赤らんでいるに違いない。


「……雛?」


 雛の頭突き――というにはぽふぽふと可愛らしい擬音が似合いそうな力加減ではあるが――を甘んじて受け入れていると、次第にその動きが止み、少し体勢を変えた彼女の頭が優人の肩に預けられた。


 どこか温もりを求めて甘える仕草。態度の移り変わりが心配になって声をかけると、雛は目を閉じて優人の存在に浸るようなまま、ほんの少し寂しそうに眉尻を下げた。


「あの日、優人さんが私を見つけれてくれなかったら……こういう風になることもなかったんですかね……」


 そっと呟かれた言葉は、ただ純粋に、思い浮かんでしまったことをこぼしただけのものだろう。

 特別悲観的な考えというわけではなく、ありえたかもしれない可能性の一つ。


 初めて言葉を交わした一年前。

 もしも、優人の帰りが少しでもズレていたら。

 もしも、雛が荷物運びを頼まれなかったら。

 もしも、あの時すれ違うことがなかったら。


 あの出会いを無かったことにする要因なんて、たぶん数え出したらキリがない。

 そしてその出会いが無ければ、雛に出来立てのクッキーをあげることもなかっただろうし、家出した彼女を見かねてアパートに連れて帰ることもなかったと思う。


 優人と雛の関係は些細な偶然から始まっただけの、薄氷の上にたまたま成り立つことができただけのものなのかもしれない。


「見つけるよ、必ず」


 けれど優人は真っ向から否定した。

 丸く見開かれて見上げてくる金糸雀色の瞳を見つめ、なお自分の想いを伝える。


 例えば世界中の時間が巻き戻って、自分たちが記してきた物語のページが白紙に戻ったとしても。


「もしかしたらあの日じゃなくて、ちょっと遅れるかもしれないけどさ……俺は絶対に雛のことを見つける。だから大丈夫だ」


 根拠なんてないけど、自信はあった。全身全霊をかけてそう誓えた。偶然だろうと何だろうと知ったことじゃない。


 雛を想うこの溢れんばかりの熱は、絶対に手放しなんてやらないのだから。


 優人を見返してしばらくの間押し黙るだけだった雛は、やがてその瞳を柔らかく緩め、温かなもので潤ませながら「はい」と頷く。

 さらにもう一度、雛はより強く噛み締めるように「はい」と唱えると、幸福が内側からあふれてふやけたような笑顔を優人へ向けた。


「えへへ、優人さんがそう言ってくれるなら安心です。でも長く待つのは嫌ですから、あんまり遅いと私の方から見つかりに行っちゃいますからね?」

「見つかりに行くってなんだよ。俺の目の前でわざと転ぶつもりか?」

「ちがっ、そういう意味じゃ……! もー、優人さんのいじわるっ」

「いたっ、ごめんごめん」


 またもや頭突きを繰り出す雛を笑って宥める。


「ほら、さっさとこれ終わらせて帰ろうぜ」

「ふふ、そうですね」


 どうにか溜飲を下げてくれたらしい雛を促し、優人たちは第二資料室への道を進む。

 相変わらず埃っぽい一室へと辿り着いて適当な位置に運んできた段ボール箱を収めれば、これにてお仕事完了だ。


「……なんだか去年よりも散らかってませんか、ここ」

「同じこと思った」


 二人とも一人暮らしで自主的に部屋の掃除をするのもあり、室内の乱雑さには目がいきがちだ。

 仮に整理整頓するならばかなり大がかりな作業になるだろうなと若干遠い目をしながら優人は室内を見回し、焼け石に水だと分かっていながらもたまたま目に付いた、今にも倒れそうな状態で壁に寄りかかる立て看板の角度を正しておく。


 細長いこれは一体何に使う用なのかとなんとなく気になって、隠されていた表面に書かれた文字を見た矢先、優人の動きはぴたりと止まる。その様子を不思議に思った雛が同じように表面を覗き込むと、得心がいった風に文字を読み上げた。


「卒業式、ですか」


 どうやら去年の卒業式で使われたもののようだ。

 まだ約五ヶ月先の話でも、高校三年生の立場だとどうしても『卒業』の二文字を意識してしまう。


「受験勉強は順調ですか?」

「ああ、おかげさまでな」

「おかげさまって、私は別に勉強を教えてませんけど……?」

「頑張り屋な雛が見てるから自然と身が引き締まるって意味だよ。行きたい大学の目星は付いたし、母さんにも話は通してある」


 結局優人の進路は、大学は通える範囲の専門ではない一般的なところを受験し、製菓関連については安奈の紹介を頼ることに。すでに雛にも話してあり、彼女からも快く背中を押された。


 ――そして、実は最近になって一つの夢が優人の中に生まれていて、それをどう雛に切り出そうかというのが密かな悩みだったりもする。


「そういえば、雛は進路をどうするかって決めてるのか?」


 雛の進路。やりたいこと。雛にとっては色々と悩ましい問題であることは承知の上で、気になったから訊いてしまう。

 幸い表情に暗い影が落ちることはなく、しかし視線をさまよわせて唇をもにょもにょとさせる雛。


「えっと、そのー……」

「すまん、急かすわけじゃないから無理にとは」

「い、いえ、無理とかではなくてですね……どちらにしろ、近い内に優人さんに相談しなきゃとは思ってまして……」

「うん?」


 自分に、相談? ということは優人にも関連することなのだろうか。

 無論、優人でよければいくらでも相談には乗るし力にもなりたいと思う中、雛は二、三度深呼吸をし、意を決した様子で口を開く。


「あの、ですね……実は最近出来たんです、将来やってみたいなって思うこと」

「……うん」

「ただそれが、私一人でってわけじゃなくて……出来れば、その……優人さんと――」

「ストップ」

「はえ?」


 片手を広げて雛に待ったをかける。

 そっちから訊いたくせにと言われても仕方ないが、雛の言葉の先を聞く前にどうしても優人は口を挟みたかった。


 ぽかんとしている雛の顔を見ていると、つい優人の口元には笑みが浮かんでしまう。

 だって……もしそうなら・・・・・・、これほど嬉しいことはないじゃないか。


「え、っと?」

「悪い。たぶんなんだけどさ……俺も最近、雛と同じことを考えてると思うんだ」

「……優人さんも?」

「うん」


 何を、とはお互い明らかにしていない。だから間違ってる可能性もある。

 でも不思議と、考えていることは同じだという確信に近いものが優人にはあった。


「じゃあ、一緒にせーのっで言ってみませんか?」

「分かった、せーのでな」


 目を見つめ合わせて、呼吸を合わせて、同時に声を上げる。


『せーのっ!』


 そして紡がれた二人の言葉ゆめは――ぴたりと重なった。





≪後書き≫

 次回、最終回。

 本日の18時に投稿します。

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