第208話『後夜祭』

 今年の文化祭は無事に終わりを迎えた。

 と、言いたいところだがそれは一般客に向けての催しがという意味であって、生徒たちにとってはまだ大事なイベントが控えていたりする。


 後夜祭だ。文化祭の本格的な撤収日は明日となっているので今日は大まかな後片付けだけで、それを済ませたクラスから続々と校庭に姿を見せ始める。

 すっかり陽の落ちた暗い校庭の中心では伝統のキャンプファイヤーの炎がゆらゆらと揺らめき踊り、昨日今日と思い出を作った生徒たちの記憶に、また一つ新たな思い出の光景を刻みつけていく。


 なんでもキャンプファイヤーの実施には安全面や近隣住民への配慮などで一悶着あったらしいのだが、生徒会や文化祭実行委員会の尽力により、こうして後夜祭の目玉としての伝統を守ることができたそうだ。


 風もなく、天候は穏やか。だからこそその大きな炎はぱちぱちと木々がぜる音を響かせながら上へ上へと伸び、やがて澄んだ夜空に、色鮮やかな赤とオレンジが混ざり合った残影を描いて消えていく。

 誰かはその行く末をじっと眺め、また誰かはそれを背景バックに友人と写真を撮って、思い思いの時間を過ごしている。


 そんな人の輪からは少し外れた場所、膝の高さ程度のコンクリートの塀を椅子代わりに座る優人は、後ろ手をついてキャンプファイヤーを眺めていた。

 爆ぜては消えゆく様に妙に目を引かれる。というのも、その儚さのある光景が文化祭の終わりを強く意識させるからなのかもしれない。


「いよいよ終わっちゃいますね、文化祭」


 隣に座る雛がぽつりと呟いた。優人と同じものを注視していたかは定かでないが、どうやら感じているものは似たり寄ったりらしい。


「だな。感慨深い?」

「そうですね。ほら、出し物とかやるのって二年生までですから、有志でもないかぎり来年は機会がないじゃないですか。それに優人さんも卒業しちゃってますしねえ」

「立場は一般客と同じになるからなあ。今年みたいな手伝いはもうできないだろ」

「です」


 卒業生とは言えども基本的な扱いとしては部外者だ。今回は手が足りないという事情があったし、それを知った雛たちのクラス担任も許可してくれたが、そもそも他学年の優人がクラスの出し物に表立って参加するのだってグレーゾーンだったことだろう。


 差はたった一年。それでも優人は雛よりも一足先にこの学校を去ってしまう。そういったことを考えると、今年の文化祭で雛と共に打ち込むことができたのはかけがえのない経験だ。


「楽しかったか?」

「はい。一時はどうなることかと思いましたけど、とっても」


 横目で盗み見る、キャンプファイヤーの炎で照らされた雛の横顔は満ち足りている。

 寂しさが強いのは同時に充実していたことの裏返しでもあり、雛が来年も何かしらの企画に参加するかどうかはさておき、満足する終わりを迎えられたのは良いことだ。


「優人さんは?」

「ん?」

「優人さんは、楽しかったですか?」

「ああ、楽しかったよ」


 向けられた金糸雀色の瞳がわずかに細まるものだから、気遣うような眼差しを見返して優人は胸の内を明かした。

 自分でもちょっと驚いてしまうぐらい即座に、はっきりと。


 昔、心ない言動で踏み潰された自分の幼い夢。それと同じようなことをしても、現在いまは心の底から楽しかったと断言できる。

 何か目覚ましい進歩があったわけではないし、形に残る成果を手にしたわけでもない。だから、こんな風に捉えるのは大げさかもしれないけど……また一つ、壁を乗り越えられた気がする。


「ふふ」


 確かな満足感に身を浸していると一方の雛はまるで自分のこと嬉しそうな笑い声を奏で、彼女の次の行動を直感的に察知した優人は早めに釘を刺しておくことにした。


「今は別に頭を撫でなくていいからな」

「あれ、それは残念ですね」

「ったく」


 さっきはちょっと泣きそうなのもあったけど今は違うし、この場には多くの生徒がいる。同年代の目がある中で年下の恋人に慰められているような姿を晒すのは、さすがに恥ずかしさが勝るというものだ。


「あ、いたいたお二人さーん」

「おー」


 どこからともなくやって来た小唄にひらりと手を振った。

 クラスの責任者を務める小唄は文化祭終了直後も人より慌ただしかったようだが、それもようやく落ち着いたらしい。


「お疲れ」

「お疲れ様です、小唄さん」

「やーやーお疲れっす。雛ちゃんはもちろんだけど先輩も。昨日のナンパ騒動に引き続き、今日も助けられちゃいましたね」

「俺にとってもいい経験になったから、まあギブアンドテイクみたいなもんだ」

「そっすか? まあクラス的にはお陰様で繁盛しましたから、そう言ってもらえるとありがたいっす」

「メイドの人気はともかく、フードの注文があそこまで混み合うとはなあ。それで、良い結果は残せそうなのか?」

「それについてはこれからっすね」


 そう言って小唄が指で示した先、校庭の朝礼台周辺ではとある準備が着々と進められていた。

 文化祭の企画の表彰式である。当日二日間に渡る生徒及び一般客の投票によって選考が行われ、得票数の多い上位三つまでが今から表彰されるとのことだ。


 雛たちのメイド喫茶はかなり良い線をいってると思うが、果たしてどうなることやら。


「そういえばだけど、二人は後夜祭のキャンプファイヤーにまつわるジンクスって知ってます?」


 発表が始まるまで今しばらく、手持ち無沙汰な待ち時間に小唄が振ってきた話題に優人と雛は耳を傾ける。


「ジンクスですか? 私は知りませんけど……」

「あの炎の前で告白して結ばれたカップルは末長く続く、とかか?」

「あれ、先輩知ってたんすか。意外」

「いや当てずっぽう。学校に伝わるジンクスなんてだいたい恋愛絡みで似たり寄ったりなもんだろ」

「まあ、言われてみたら確かにそんなもんばかりっすねー」


 正確には、恋愛系のジンクスの方が学生に好まれて記憶に残りやすいと言うべきなのだろう。


「小唄さん、何でまた急にそんな話を?」

「いやー、ちらほらとそういう光景を見かけるもんでつい。さっきなんてね、葛城ちゃんと初賀くんがなんかこう良さげな雰囲気でね」

「え、あの二人ってそうなのか?」

「そうなるかならないかの瀬戸際ってところっすかねえ」

「知らなかった……」


 びっくりだ――とはいえ、意外というほどでもないだろうか。

 初賀は調理担当として積極的かつ精力的に動いていたし、葛城にしてもメイドでの不慣れな接客に果敢にも挑戦していた。


 両者とも向上心がたくましいという点は共通していて、そういう意味では気が合うのかもしれない。

 文化祭期間の短い間ではあるが二人の好ましい人柄に触れた優人としても、上手くいってくれるのなら喜ばしいことだ。


「それにしてもジンクスねぇ……」

「どうっすか。先輩と雛ちゃんも一つあやかってみては」

「いや俺と雛はもう付き合ってるからな? 第一ジンクスなんぞに頼らんでも別れるつもりはないし」

「あはは……そ、そうですね」


 はっきり言ってのけると、隣で聞いていた雛がほんのりと頬を色づかせた。

 その表情に浮かぶ微妙な感情の変化を優人が捉える中、「余計なお世話でしたねー」とからかうように笑っていた小唄が視線を持ち上げる。


「あ、始まるみたいっすね」


 釣られて顔を向けると朝礼台の上に文化祭実行委員長が立っており、その背後には布で隠されたボードらしきものが設置されていた。

 いよいよお待ちかねの発表タイムということで朝礼台の方へ歩いていく小唄の背中を見送りつつ、その場に残る優人は一度咳払いを挟んでから口を開く。


「……あのさ雛、さっきのジンクスのことだけど」

「? はい」

「あれって要は、この後夜祭で二人の想いを通じ合わせればってことだよな?」

「まあ、そういう風に解釈できなくはないと思いますけど……」

「うん。じゃあそういうことにしておこう」

「どうしたんですか急に」

「……いや、その……なんつーか、一応あやかっておくか? と思って」


 一度は否定にも似た言葉を口にした手前、しどろもどろに言葉を探しながら雛の顔を窺う。

 優人が口にすることの意味を計りかねてしばしぽかんと小さい口を半開きにしていた雛は、やがてくすっと可笑しそうに微笑み、前のめりに優人を覗き込んで頬をつついてきた。


「何ですかそれ。さっきジンクスなんぞーって言ってたのはこのお口でしたのに」

「それはそれ、これはこれ。雛は雛でなんか興味引かれたような顔してたろ」

「……なんで分かったんですか」

「彼氏を舐めるな」


 半分ぐらいは鎌をかけたつもりだったが、どうやら図星だったらしい。

 言い当てられた途端に雛はぷくーと頬の内側に空気を詰め込むも、すぐにそれを吐き出し「敵いませんね」と吐息混じりに呟いた。


 それから少しだけ開いていた優人との距離を詰めると、整った顔立ちを愛らしい笑みで彩りながら優人に顔を寄せる。


「ではお言葉に甘えまして。――好きですよ、優人さん」

「俺も。雛のことが好きだ」


 まずは言葉で。そして、せっかくだからもう一押し。

 今なら皆の目は発表の方に向いているから、その隙を利用して、今のうちにこっそりと。


 キャンプファイヤーの炎が形作る二人の影は、ある一点ですぐに繋がった。

 これから先も寄り添い続けることを確かめ合うように。





≪後書き≫

 残り二話です。

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