第205話『乗りかかった船』

『それでは、そろそろ私はおもてなしの準備をしてきますね』


 張り切った様子で宣言した雛とは更衣室の近くで別れ、残った優人たち三人はメイド喫茶の列に並んでいた。


「いやはや、私は正直文化祭というものを少し甘く見ていたかもしれない。想像していたよりもずっと盛況じゃないか」

「そうですね。雛のクラスは前評判からして良かったんですけど、昨日からの口コミ効果も加わったんだと思います。割と待つかもしれませんけど……大丈夫ですか?」

「もちろんよ。むしろ私たちはこれを何よりも目当てにしていたんだから。ね、明さん?」

「そういうわけだ。むしろ天見くんこそ大丈夫かい? 昨日も来たみたいだし、これ以上は無理に私たちに付き合う必要はないが」

「まあ、特に予定もないですから」


 予想通りと言えば予想通りなのだが、メイド喫茶の入り口から伸びる列は昨日よりも長い。

 列の先頭を見据えてやや目を丸くしている明たちに、念のためしばらく待たなければならないことを確認するも、二人からは揃って何の苦でもなさそうな笑みを返された。


 我が子を大事にする今の空森夫妻には愚問だったなと思いつつ、優人はふと気になって、自分たちの並ぶ位置から列の前後を観察する。


 長さ、つまるところ人数はさておき、男女比に関しては少々予想から外れている。

 メイド喫茶なんて趣向としては明らかに男向けなので、当然客層は男に偏ると思っていたし、それこそが雛がメイドをやる上での優人の心配事でもあった。


 ただ、実際にその傾向が現れていた昨日と比べると、今日は生徒だったり外部の客だったりと女性の姿もちらほら見かけるようになっていた。

 単純にメイド服が可愛らしいというのはあると思うから、そういった要素に惹かれた女性客が増えた結果かもしれない。ちらほらとパンケーキについての会話も聞こえる。


(俺的にはまあ、ありがたいっちゃありがたいな)


 昨日の今日でないとは思いたいが、ナンパの可能性が減ってくれるならそれに越したことはないのだから。


 ――なお、『あのメイド喫茶でやらかすとヤ○ザが出てくる』というささやかな風の噂を実は耳にしていたのだが、とりあえず客足には影響がなさそうなので一安心である。出した助け船が逆に客を遠ざける要因になろうものなら、申し訳ないとかそれどころじゃなかった。


「おや、メイドの指名やそういったことはできないのか」

「収拾つかなくなりそうだってことでナシになってますね」

「あらそう……じゃあ、雛が来れない可能性もあるのかしら……」

「タイミング次第にはなりますけど、たぶん大丈夫だと思いますよ。昨日俺が行った時も何だかんだ雛に対応してもらえましたし」

「いや、君が相手なら何よりも優先するに決まってると思うのだが」

「それは……そうだったかもしれないですけど……」


 明たちと話をしながら進むメイド喫茶の列。しかし、その進みは遅々ちちとしたもので、先頭に辿り着くにはまだ時間がかかりそうだった。


(というか、ちょっと遅くないか?)


 そんな疑問が頭を掠めたが最後、優人はつい列の先頭へと意識を向け、先頭が呼ばれてから次の組が呼ばれるまでの時間を計ってしまう。

 ――……やっぱり遅いか?


 昨日に比べて何分とか正確な時間差までは分からないにしても、それでも些か遅く感じる。

 ひょっとして何かトラブルでもあったのかと懸念し始めた時、一人の生徒が優人の横を慌ただしく駆け抜けていく。


 メイド喫茶の調理担当の女子だ。パンケーキ講座に参加していた相手なだけに優人は顔を覚えていた。

 恐らく出来上がったフードメニューが入った大きめのタッパーを家庭科室から届けに来た彼女は、教室内のクラスメイトに渡すや否や、すぐに今来たばかりの道を引き返す。すれ違い様の焦りの表情、そして一応顔見知りであるはずの優人にすら目もくれず通り過ぎていく姿からは、忙しさがひしひしと感じ取れた。


 優人の中で、疑念がほぼ確信に近いものに変わる。


「明さん和花さん、俺やっぱちょっと用事ができたみたいなんで行ってきていいですか?」

「え? ああ、別に構わないが……」

「すいません、もし早めに終わったら戻るようにはします。あ、でも順番が来たら俺に気にせず入っちゃっていいですから!」


 申し訳ないと思いつつも矢継ぎ早に言い残し、優人は早足で列から抜け出す。

 向かう先は、無論一つだった。








「あれ、天見先輩っ!?」


 家庭科室でまず優人を出迎えたのは、初賀のそんな一言だった。

 ただ出迎えたと言っても、家庭科室に入っただけでは気付かれず、彼らが作業中のテーブル近くにまで来てようやくといったぐらいだ。つまり、それほどまでに目の前の作業に没頭せざるをえない。初賀も、他の調理担当の生徒たちも。


「何かトラブルでもあったのか?」


 流しに散乱した卵の殻が物語る忙しさを目の端で認めつつ尋ねると、初賀はたった今焼き上げたパンケーキをタッパーに入れ、すぐ次の一枚に取りかかる。


「トラブルってわけじゃないんすけど、なんかすげえパンケーキの注文がひっきりなしで……! 作り置きもなくなっちまっていよいよヤバいんすよ! おまけに材料だって足りなくなりそうで急いで買いに行ってもらってますし!」


 両手を動かしたまま初賀が顎で指すのは、テーブルに置かれた一台のスマホ。教室で承った注文をこちら側に伝えるためのものらしく、表示してあるトークアプリの画面上にはずらずらと注文内容が並んでいる。

 というかまさにこの瞬間にも一つ増えて、初賀の言葉を裏付けるようにパンケーキが含まれていた。


「ここまでたくさん……」

「口コミ効果ってところなんすかね! いやー楽しくなってきましたよマジで!」

「他の時間帯の担当に応援は?」

「声はかけてみましたけど、予定があったりそもそも連絡つかなかったりで捕まんないんです!」


 そう答えた別の調理担当も、ベビーカステラのホットメーカーに生地を流し込みながらの返答だ。パンケーキばかりに注文が集中しないようにと用意したメニューが逆にあだとなっていた。


 初賀にしてもこんな状況ですら笑って手を動かしているが、それは自分たちを鼓舞するための、あえてのものなのは簡単に読み取れた。

 ここまで来たら四の五の言ってられない。


「俺も手伝う。空いてるコンロ借りるぞ!」

「え、いいんすか!? そりゃ天見先輩ならありがたいっすけど……」

「そもそもパンケーキなんて提案したのは俺だからな。乗りかかった船ってやつだ!」


 ブレザーを脱ぎ、ワイシャツの袖を捲って手を洗う。それを済ませてから二口ガスコンロの前に立った優人は、フライパンを置いてコンロのつまみを捻った。

 逸る気持ちはあるが、まずはフライパンの予熱をしっかりと。待ち時間を利用して調理器具を使いやすいように配置すると、頃合いを見計らって優人は生地をフライパンに流し込んだ。

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