第204話『幸せとは』
想像していたよりも、空森家の仲は良い。
そんな第一印象は時間が経っても裏切られることはなく、出し物を回りつつ時々軽食などをつまんでいると、気付けば午前も終わりが見えていた。
屋外に設けられた特設ステージ。有志のライブや漫才などが行われるその場所では現在ペア対抗クイズ大会なんてものが開催されており、飛び入り参加もOKで募られた回答者の中には雛と和花のペアもいる。
だいたいが友人やカップルでペアを組んでいる中、親子で参加というのは少々恥ずかしいものがあるかもしれないが、当人たちは至って楽しそうに数々の問題をこなしていた。
客席の後ろ側から立ち見でその様子を観戦しながら、抑え切れない苦笑を優人は浮かべる。
「首尾はどうだい?」
クイズ大会開始直後にお手洗いへと姿を消していた明が、二本の缶コーヒーを手に戻ってきた。差し出された片方を軽く頭を下げて受け取り、「あんな感じです」と先ほどの自分の苦笑の原因に人差し指を向けた。
「これはまた……」
「ぶっちぎりですよね」
横一列に並ぶ回答者たちの後方、それぞれのペアが獲得した点数を張り出したボードには一目で分かるほどの圧倒的な結果が表示されていた。
雛・和花ペアの点数が飛び抜けて高い。その点差たるや他の回答者がちょっと可哀想に思えてくるほどであり、雛たちのボードを担当する学生スタッフは問題が終わるたびに点数を更新する羽目になって大変そうだ。
学年主席の秀才の雛は言わずもがなだが、どうやら和花も博識さにおいては雛より上らしい。そんな二人がペアを組んでいるのだからある意味当然で、おまけに彼女たちの容姿も相まって会場の人気は一挙に集まっていた。
雛が半ば見せ物になっているのは彼氏として由々しき問題であるが、彼女の浮かべる笑顔を見せられてしまうと何も言えない。ちょうど今も、ペアで呼吸を合わせないといけない問題を見事正解し、雛と和花は小さなハイタッチを交わしたところだ。
心の底から楽しそうな、
「――明さんも和花さんも、思ってたより雛と仲良さそうですね」
「思ってたよりも、か」
「すいません、失言でした……」
「いや、実際そうなのだろうと私も思うよ」
彼らの事情を考えれば、もう少しぎくしゃくするものではないだろうか。優人の言葉の裏にはどうしたってそういった意図が含まれてしまい、それは順調に関係改善へと進んでいる彼らに水を差すことになるだろう。
だから優人は即座に詫びの言葉を口にしたのだが、当の明は大して気にした素振りもなく、むしろ当然だと言わんばかりに肩を竦めて苦笑した。
手にした缶コーヒーを傾ける明に、続いて優人も自分の分に口を付ける。こうして二人で飲み物片手に話をしていると、初めて明と会って話の場を開いた時のことが思い起こされるようだった。
「まさかこんな風にあの子と笑える日が来るなんて、なんだか不思議な気分だよ。今だから白状してしまうけれど、君に会って背中を押してもらった直後は半信半疑だったというか……正直、自信なんてものはほとんどなかった」
同じ記憶に至ったらしい明が自嘲気味に言葉を紡いだ。その静かな声音は、けれど周囲の歓声をすり抜けて優人に届く。
「何せ人の親としてのまともな経験がないどころか、一度は大きく道を誤ってしまった身だ。君に諭されて、何をせずにいるのはただあの子から臆病に逃げているだけだと分かっても、実際に行動に移すとなると……どうにも、ね。大の大人が情けないと思うだろう?」
「いえ、難しい問題だとは思いますから」
「……まったく、君はどんな時でも相手のことを考えてくれるんだな。雛が惹かれるわけだよ」
明は吐く息に、微かな笑みを含ませる。
「それから和花と色々話し合って、ようやく雛と面と向かって話せる決心が、どうにかつけた。そう思って誘ったあの子の誕生日は生憎とタイミングが悪かったが、後に雛の方から夏休みに一度会いたいと相談をくれたよ。雛が来ることになった当日はガチガチに緊張したものだ」
「明さんがガチガチってあまり想像できませんけど……」
「自分でもそう思ってたよ。仕事で大概のプレッシャーには慣れたつもりだったのに……仕事のが何倍もマシだと感じたぐらいさ。――……なあ天見くん、雛が家に来た時、あの子は私たちになんと言ったか分かるかい?」
「……いえ」
「『ただいま』と、そう言ってくれた。こんな私たちがいる場所を、まだ帰る場所だと思ってくれたんだ。嬉しかったよ、本当に」
いつしか明は微かに浮かべていた笑みすら無くし、視線の先の雛を見つめる。
彼の目の奥で、じわりと温かいものが滲むのが見えた。
「たったの一歩だった。言い訳をせずに一歩さえ踏み出せば、それで良かった。気付くのに随分と足踏みをしてしまったよ、私も、和花も」
「明さん……」
「……すまない。せっかくの祭りだというのに、なんだか湿っぽい話をしてしまったね」
今になって自分でも気付いたようだ。明は親指の先で滲んでいたものを拭うと、今度は優人に向き直る。
「もちろんそれもすべて雛の、そして君の優しさがあったからこそなのは理解しているつもりだ。決して忘れない。その上で改めて……君には要らぬ言葉だと思うけれど言わせてくれ。私たちの娘を、今後ともよろしく頼む」
「はい、もちろんです」
「はは、ノータイムの返事とは頼もしいかぎりだな」
それこそ言われるまでもなかった。明を正面に見返しながら頷いて答えると、クイズ大会を終えた雛たちが戻ってくる。優勝者の証として雛と和花の胸にはちょっとした花のブローチが付いていた。
「おかえり。優勝おめでとう」
「ただいまです優人さん。何か二人で話し込んでたみたいですけど、どうしたんですか?」
「いやなに、今後も雛のことをよろしくとお願いしていただけだよ」
「お義父さん、そんなこと……」
「あらあら、それなら私からもお願いしないとね。天見くん、どうか雛のことを幸せにしてあげてください」
「お、お義母さん……っ!?」
「ええ、約束しますよ」
「優人さんまで……もうっ!」
まるで雛との将来までもを見据えたやり取りになったが、優人の気持ちは十分その域に達しているので、気恥ずかしさはあれど返事に迷いはない。
しかし雛は目の前の応酬に羞恥心が限界を越えてしまったのか、一人で先へ行ってしまう。
優人は慌てて追いかけて隣に並ぶと、赤ら顔の雛の頭をぽんぽんと叩いた。
「悪かったって。でもからかってるわけじゃないぞ?」
「分かってますよぅ……。分かるから余計に恥ずかしいんじゃないですか、もう……」
頬をむーと膨らませ、横目で優人をほんのり睨む雛。
赤くなりながら睨まれてもただ可愛いだけなんだよなあと内心で笑っていると、雛はそっと優人の腕を取って、自分のそれを絡ませた。
「一応言っておきますけど、別に私は幸せにしてもらおうなんて思ってませんからね? ――優人さんと二人で、幸せになるんです」
「っ、そうかよ……」
「ふふ、今照れましたね?」
お返しです、なんて囁いてさらに雛が身体を寄せる。
あ、と気付いた時にはもう遅く、しっかり後ろから付いてきた明たちには実に微笑ましそうな目を向けられていた。
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