第203話『文化祭二日目の予定は』

 文化祭二日目。

 前日と違い雛のシフトは午後からだけで、彼女の朝は比較的ゆっくり。優人にしてもいよいよ午前中から登校する理由などないのだが、それに反してまだ太陽が真上に到達しない頃、優人は学校の校門の脇に立っていた。


 隣には制服姿の雛。彼女は優人を見上げると、やや心配そうに眉尻を下げる。


「あの、大丈夫ですか優人さん。そこまで緊張しなくても……っていうのは難しいかもでしょうけど」

「あ、うん、ちょっと厳しい、な……」


 自分でも表情やら声音やらが固くなっているのは分かるが、こればかりは持ち直せそうにない。普段よりきつめに締めたはずの制服のネクタイにそれでも手を伸ばしてしまうと、それを見た雛が苦笑を浮かべて優人の肩を叩く。


「ほら、気になるなら私が直しますから、こっち向いてください」

「……頼む」


 申し出を受け入れて横を向くと、雛は微笑んでネクタイを一度解き、実に慣れた手付きで優人の首回りを整えていった。


 もう一度確認するがここは校門の脇だ。当然人の往来は激しく、しかも今日は日曜日ともあって余計に来場者は多い。

 そんな衆人環視の中で、ただえでさえ人目を引く美少女の雛から甲斐甲斐しく衣服を直してもらうのは注目を集める行為に他ならないが、多少の恥など気にしてられない理由が優人にはあった。


 事の起こりは昨夜に遡る。


『優人さん、実は明日お義父さんたちが文化祭に来てくれるそうなんですけど』

『へえ、たちってことはご両親でってことか。よかったじゃないな』

『はいっ。ただ最初はお昼過ぎからの予定でしたけど、早めに来れるようになったそうで……』

『うん?』

『よかったら優人さんも一緒に文化祭を回れないかと』

『――え』


 というわけで今である。もうまもなくに迫っている約束の時間を前に、優人の背筋は自然と伸びざるをえなかった。


「会うのは初めてだから緊張するのは分かりますが、心配しないでください。優人さんのことはとてもな素敵な男性だと伝えてますから、少なくとも第一印象は問題ないはずです。夏休みには二人での旅行だって許してくれたわけですしね」

「あ、ああ……それは助かるな」


 諸事情から素直に受け取り難い雛のフォローに、優人は少し曖昧な笑みを浮かべて答えた。

 何せ発言から分かる通り、雛は優人が義理の両親と会うのを初めてだと思っているが、実は違う。義父であるあきらとはすでに面識があり、初の顔合わせになるのは義母の方だけだ。


 だからまあ、単純計算で緊張の度合いは本来の半分程度となっているが、それでも決して軽いものではない。あと明と面識があることを悟られないよう、雛の前ではボロを出さないよう気を付けなければという点も地味に気がかりだ。


 ともかく身構えるに越したことはない、そう思った矢先に一台のタクシーが目の前の道路に止まった。

 もしかしてという予想を裏付けるように現れる一組の男女。彼らは走り去るタクシーに会釈した後、優人たちの方へと歩み寄ってくる。まずは雛が一歩前に出た。


「待たせたね雛。前日に予定が変更になってすまなかった」

「いえ、お忙しいのは分かってますから、お義父さん」


 開口一番の明の謝罪に緩く首を振る雛。

 ともすればそれは、雛の境遇を考えると嫌みに聞こえるかもしれない受け答えだけれど、彼女の声音は柔らかく表情にもかげはない。


 こうして直接顔を合わせているのを優人が見るのは初めてだが、お互いの畏まった言葉遣いさえ除けば、親子の雰囲気に近しいものは感じられた。

 雛と二、三言を交わした後、明の目がこちらを向く。


「彼がそうかい?」

「はい。私がお付き合いしている天見優人さんです」

「あー、えっと――」

「雛の義父の空森明だ。よろしく、天見くん」


 明は自然な動作で優人に手を差し出し、雛からは見えない角度でこっそりとウインク。どう反応したものかと困り気味だった身にとってはありがたい先導に、優人はぎこちないながらも笑顔で「よろしくお願いします」手を握り返した。


「君とは以前、旅行の前に電話で話したぐらいだね? 今日は誘いに応じてくれてありがとう。会えて嬉しいよ」

「え、ええ、俺もです……」


 よくもまあ、こんなスラスラと話せるものだ。

 さすが仕事のできる大人の男性。シャツにジャケットというカジュアルな私服でもどことなくオーラのある明に、優人がただ感服するしかないでいると、次に明の背後にいた女性が歩み出る。


「どうも初めまして。私たちのことはこの子から聞いているのよね? 義理の母の空森和花のどかです。いつも雛がお世話になっています」

「初めまして、雛の彼氏の天見優人です。こちらこそ雛には色々とお世話になってます」


 お互いに会釈を交わす。

 顔を上げにこりと柔和な笑みを浮かべる和花は、名前通り穏やかな雰囲気を持つ女性だった。


 年は明と同じぐらいだろうか。彼女も私服で、落ち着いた配色のティアードスカートとブラウスのコーデ。ゆったりとウェーブのかかった髪は腰まで伸びており、雛に負けず劣らず手入れが行き届いている。


 前に雛から聞いた話では、明と同様に仕事で成功を収めているということらしいが、明と違っていかにも仕事人間然とした印象はない。

 正直に言うと少し拍子抜けにも似た感覚を覚えていると、和花は優人を見てまたにこりと笑った。


「あの、なにか……?」

「いえね、あなたがどんな人なのかは雛から色々と聞いていたのだけれど、なかなかどうして良い人そうじゃないかと思って」

「む、そう・・じゃなくて、優人さんは事実良い人なんですけど」

「ああ、ごめんなさいっ。そういう意味で言ったんじゃなくて……!」


 雛からの指摘が入ると途端に和花は慌てて手を振る。一方雛も軽い冗談のつもりだったらしく、わざとらしくつんとした顔で和花を横目に見ていた。


 ――思っていたよりも空森家の仲は良好だ。

 そんな第一印象に、優人の口元は知らず知らずのうちに弧を描いていた。

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