第201話『一日目の終わり』

 文化祭一日目終了の放送を優人が聞いたのは、適当な本を片手にうつらうつらとしていた時だった。

 手芸部を出て、それから少しして午後のシフトに向かう雛を見送った後、一人になった優人は図書室を訪れていた。


 文化祭に合わせて一般への解放自体はされているものの、校内・外ともに出し物やイベントが目白押しの中、わざわざ物静かなこの場所に来る物好きは少なかったらしい。おかげで喧噪から外れてゆっくりできたので、優人としてはありがたいかぎりだった。


 椅子に座りっぱなしで凝り固まった肩や腰を解しつつ、しばしの間読みかけだった本の残りを片付ける。図書室の窓から覗く空色がオレンジを越えて薄闇になりつつある頃、スマホに届いた一通のメッセージを見た優人は荷物をまとめて腰を上げた。


 教室まで迎えに行くつもりだったのだが、どうにも立場が逆になってしまったらしい。図書室を出てそう歩きもしない内に見えてきた姿に優人は歩を早めた。


「お疲れさん」

「はい。優人さんってば結局最後まで学校にいましたね」


 小走りで駆け寄り、苦笑混じりに表情を綻ばせる制服姿の雛。

 先に帰ってもよかったのに、というニュアンスを含ませたであろう言葉に優人は肩を竦めると、目線だけで空の色を指し示した。


「ぼちぼち暗くなるのが早くなってくる時期だからな。まあ、念のためだよ」


 常日頃からあまり寄り道をせず早く帰宅する雛だが、文化祭期間ともなれば準備や後片付けでそうもいかない。どうせ学校に来ているのならば一緒に帰った方が優人の精神衛生上は楽だというだけの話だ。今日は図書室にいたが、暇を潰すものなら学校中にいくらでもあるのだから、待つのも大して苦にはならないし。


「ふふ、私の彼氏さんはつくづく心配性ですねえ」

「ただでさえメイドさんにちょっかい出されて心配したんだから、これぐらいは勘弁してくれ」

「勘弁だなんて、まさかまさか。愛されてるなあって実感できるので嬉しいかぎりですよ」

「どういたしまして。荷物持とうか?」


 会話を交えつつ、まだちらほら作業中の様子が見受けられる屋外を通り過ぎて校門をくぐる。

 メイド服の管理は着用する個々人に任されているらしく、軽く手入れするつもりの雛は持ち帰りを選んだようだ。そのせいでかさばり気味な雛の荷物に優人がからの手を差し出すと、雛はくすりと鈴の音を転がした。


「では半分だけ」と慎ましい言葉で雛が渡してきたのは、メイド服の入った大きめの、けれど軽い手提げの紙袋だけ。もう一つの荷物である学生鞄は肩からかけたままだ。


「全部持つぞ? 疲れてるだろ」

「そうですね。接客なんて初めてでしたから何だかんだで疲れたと思います」

「だったら」

「なので早急に癒しを所望します」


 紙袋を受け取ってもなお空きがある優人の手。そこに触れたのは鞄の持ち手でなく、柔らかな雛の手。それどころか腕まで組んで身を寄せてくるのだから、優人としては驚くやら嬉しいやらだ。


 すでに学校からは離れている。だからこそ雛の行動も少し大胆で、赤信号の横断歩道で立ち止まると優人の肩に頭を預けた。


「はあ……やっぱり優人さんの温もりを感じるのが一番の癒しになりますね」

「なーんか充電器扱いされてる気分になってくるな」

「む、確かに色々とを補給させてもらってますが、物扱いなんてしてませんよ」

「いたっ、分かった、分かったからわき腹はやめろ」


 今や荷物と雛で両手が塞がって抵抗できないのをいいことに、雛のなんちゃって貫手ぬきてが優人のわき腹を襲う。条件反射で痛みを訴えはしたが、単純にくすぐったさの方が強かった。


「悪かったって。帰ったらマッサージでもするからそれで許してくれ」

「いいですね。それで手を打ちましょう」


 今日は立ち仕事をしていたわけだし、と咄嗟に提案すれば、雛は想像以上の食いつきを見せて手を止めた。

 これは責任重大だ。明日の二日目に向けて雛の疲れを残さないためにも、提案した以上はしかと役目を果たすとしよう。


「あ、そうだ優人さん。ちょっとこれ見てください」

「ん? ――今日の売り上げか?」

「はい。小唄さんがまとめたのを撮らせてもらったんですけどね」


 恐らく文化祭実行委員に提出するために集計したものなのだろう。雛が見せるスマホの画面にはそのための用紙が写っていて、どの商品が何個売れて、どれだけの売り上げになったかが簡潔にまとめられていた。


 雛の指が画面を滑り、その一部分が拡大表示される。


「ここ、パンケーキの売り上げ数を見てくださいよ」

「どれどれ――……これって、結構売れてるのか?」


 そもそもの判断基準が分からないので体感ではあるが、集計されたパンケーキの売り上げ数は優人の想像よりも上の結果を残している。

 そしてその感想を裏付けるように、ほんのりと興奮気味な雛が「はいっ」と頷きを返した。


「そうなんですよ。飲み物だけの注文もOKでしたからね、食べてくれた人からの評判はともかく、午前中はそこまで売れてるというほどではなくて。でも口コミで広まったんでしょうか。午後からは注文する人が増えてきたんです」

「へえ。というか、なんか上機嫌だな」

「だってこれ、優人さんが認められたみたいで嬉しいじゃないですか」

「おいおい、俺はあくまでレシピの提供と指導まで。本番で実際に作ってるのは羽賀たちなんだから、褒められるべきはそっちだろ」

「それは分かってます。でも力を貸してくれたわけなんですから、優人さんだって賞賛を受けるに値すると思いますけど?」

「それはまあ……」


 なんとも複雑なところだ。

 当日は直接手を出しているわけではない以上、賞賛の言葉を素直に受け取りづらいのだが、まったく関係ないからと突っぱねるのも確かに違うだろう。


 というよりは雛の輝く笑顔を見せられると、何も言えなくなってしまうというのが正しいか。

 まるで自分のことのように喜んでくれる彼女に胸を温めながら、優人は面映ゆい気持ちで帰路を進んだ。






≪後書き≫

 いつもご覧頂きありがとうございます。

 予告というか予定になりますが、前々からお伝えした通り今の第4章が今作の最終章となります。

 恐らく第210~220話辺りで終わるかなーと思いますので、完結まであともう少しお付き合いお願いしますm(_ _)m

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