第200話『可愛さ is 正義』

 ひどい目にあった。

 執事服を脱いで元の制服姿に戻る頃にはそんな感想が優人の胸中には広がっていたものの、不思議と充足感もある。

 何だかんだで初のコスプレを楽しんだ部分もあるかもしれないが、要因としてはスマホを両手にほくほくとした笑顔を浮かべている雛の存在が大きいだろう。


 実際のところ自分のコスプレ写真にどれほどの価値があるかはさておき、雛が喜んでいるのなら本望。多少の恥も必要経費として割り切れる。


 ――とはいえ、だ。もちろんやられっぱなしでは問屋が卸せないので、雛にも前払いした報酬分の働きはしてもらおう。


「ありがとうございました皆さん。おかげで良いものが頂けました」

「そりゃ良かった。じゃあ次は雛の番な」

「え」


 金糸雀色の瞳がぱちくりとしばたたく。


「わ、私はもうメイドやってますし」

「クラスの出し物だからだろ。それはそれ、これはこれだ。任せたエリス」

「心得た」


 攻守交代。優人の呼びかけに頷いたエリスは雛の手首を掴むと、ずるずると着替えブースの方へ連れて行く。


「ひ、姫之川先輩、どうかお手柔らかに……」

「雛という素材の味を活かした究極で完璧なコーディネートをお届けする」

「な、なんだかさっきよりやる気増してませんか……!?」


 優人の時と似たような台詞を残し、エリスたちはブースの中へと引っ込んだ。

 やる気の増加云々については、やはりこんな目つきの悪い男より、綺麗で可愛い女の子を着飾る方が楽しいからだろう。


 視界が遮られているとはいえ着替え中の近くにいるのも気が引けるので、優人はブースから距離を置くと壁によりかかるようにして背中を預けた。


「空森ちゃん喜んでたな。よっ、色男」

「うるせえ」


 一緒になってあれやこれやと注文をつけてきやがって、と優人は同じように壁によりかかる一騎を半目で見て、唇を尖らせた。

 元を正せばこの場所に連れてきたのは一騎で、雛を喜ばせる思い出ができたことに関しては立役者の一人と言えなくもないが、これみよがしなニヤニヤ笑いを向けられては礼を言う気も削がれる。


 優人のぞんざいな一言に気を悪くした様子もなく、新撰組の格好をした親友は手持ち無沙汰に羽織の襟を正した。


「にしても、空森ちゃんのクラスはメイド喫茶か。人気出るんだろうな」

「午前中に雛がシフト入ってたから行ってきたけど、まあ盛況だったよ」


 出るというかもう出ている。この分なら伝聞での情報拡散も合わさって、明日はさらに盛況になることだろう。

 準備に携わった身としては喜ばしいことであるが、来店する客という分母が増えるほど、今日のような迷惑客という分子も増えかねないことには危惧を覚える。


 それが顔に出てしまったのか、こちらの顔を一瞥した一騎に軽く肘で小突かれた。


「彼氏としては複雑だな」

「……まあな」


 応援と心配の板挟みに、優人はがしがしと頭を掻いて嘆息した。

 まあナンパの件は小唄の口から学校側に報告されたらしく、それによって先生方の見回りの強化や、校内放送での定期的な注意の呼びかけもあるそうなので、あまり過保護になりすぎてもよくないだろう。


「お待たせ」


 思ったより短い時間でエリスが戻ってきた。しかし言葉の割には彼女だけで、雛の姿が見えないことに優人は眉をひそめる。


「雛は? まだ着替え中か?」

「ううん、もう終わった。けど恥ずかしくて優人にしか見せたくないらしいから。というわけで優人カモン」


 くいくいと手招きされるということは、直接ブースの中に入れということか。


「お前、なんかいかがわしかったり露出が多い服を着せたんじゃないだろうな……?」


 メイド姿で人前に立てる雛をしてそう言わしめるのだから、可能性としては否定できない。そんな姿を見せられるとこっちだって色々と危ういことだらけなので牽制をすると、エリスは心外だと言いたげに首を横に振った。


「極めて常識的な範疇。まさか学校でそんな格好をさせるわけがない。……まあ、私と違って雛のスタイルなら似合うと思うけど」


 ぽそりと付け足されて薄い胸に手を当てられても反応に困るのだが。

 なのでエリスの対応は恋人である一騎に任せ、常識的という彼女の言葉を信じた優人はゆっくりとブースの中に足を踏み入れる。


 エリスにはああ言ったものの、少し考えてみれば手芸部や演劇部の持ち物の中に危うい衣装があるわけもないのだから、変に身構える必要もないはずだ。


 ――そんな風に気を緩めてしまったが故に、優人は自身を待ち構えていた光景がもたらす破壊力を、もろに喰らってしまった。


 なるほど、雛がジャージの下に着ていたメイド服のワンピースはそのまま転用したようで、コスプレのコンセプト自体はメイドのまま。ただベルトか安全ピンかで調整したのか、せいぜいふくらはぎが見える程度だった丈が膝丈にまで詰められている。


 加えて新たに付け足されたエプロンやヘッドドレスは、フリルやらリボンやらを山盛りのホイップクリームかのようにこれでもかとあしらっており、全体的に、なんかこう、すごいふりふりふわふわだった。


 しかし、優人が固まったことにそれらはさして関係なく、直接的な要因はもっと別にある。


 雛の頭と、それから腰の少し下。

 引っげた追加装備に相応しいポーズを雛は取る。

 すなわち、ふんわりと握った二つの拳を地面と水平に、顔のすぐ横で構え、上半身は少し前に倒して上目遣い。白磁の肌を、それはもう恥ずかしそうに赤くしながら――彼女は鳴いた・・・


「ど、どうですかにゃー」


 にゃー。

 にゃぁー……。

 にゃあー…………。


 衝撃が優人を貫いた後、猫を真似た雛の語尾が耳の奥でリフレインする。

 そう、猫だ。今の雛にはネコ耳としっぽが付いている。つまりネコ耳メイドが爆誕していた。


 目の当たりにする前の自分が聞けば「いくらなんでもあざとすぎだろ」と顔をしかめたであろう、その姿。

 あざとい? うるせえ可愛いは正義だろと言わんばかりに優人を殴りつけ、流れ込む圧倒的情報量に思考が止まる。正確には可愛いという一点だけで染まり、結果的にそこで停滞する。


 優人は何も言えず、黙って雛を見つめてしまう。


「……やっぱりダメでしたか」

「や、ちが」


 しゅんと肩、連動してネコ耳までしょげそうな勢いの雛を前に、ようやく優人の口は回り出した。


「単純に驚いたというか……すごく似合ってて、可愛くて、逆にびっくりしたというかだな」

「……本当ですか? あからさまで狙いすぎとか思ったりしてません?」

「全然。ほんと、最高なぐらいよく似合ってる……」


 ネコ耳メイドなんて字面から想像するだけならそうなのだろうけど、少なくとも目の前の彼女からは感じない。不安そうにこてん、とわずかに首を傾げる姿もまたたまらなく、見ているだけで心が和む。というかニヤける。


「とりあえず頭でも撫でていいか?」

「何がとりあえずなんですか、もう……」


 耳まで(ネコ耳ではなく本物の方)真っ赤にして瞳を伏せつつも、雛は素直に近寄って頭を差し出す。

 絹糸のような群青色の髪の上から頭を撫でて、ふと思い付いて雛の顎にそっと指先を滑らせる。それこそ子猫を相手にそうするかのように、顎の下を指で優しく掻くように撫でてみる。


 最初はぴくん、とくすぐったさに震えた雛も次第に柳眉りゅうびを下げ、優人の手付きに身を委ねてくれた。むしろ恥ずかしさよりも気持ちよさの方が勝ってきたらしく、試しに指の動きを止めると、すりすりと頬擦りをしてくるほどだ。


 スカートの下から伸びてめくり上げない程度にカーブを描くしっぽは、恐らく針金で形を作っているから動くことはないが、仮に本物だったら左右に振れて喜びを露わにしていたことだろう。


「似合う……本当によく似合ってるなあ……」

「そ、そう何度も言わなくても」

「いやそうなんだけどさ、雛ってなんか動物系が似合うよなって。ほら、あのがおーとか」

「それ忘れてくださいって言ったじゃないですかっ」


 学校での雛は基本的に落ち着いて大人びたイメージで通っていると思うが、優人の前でだけ見せる姿はどこか小動物を彷彿とさせるが多い。

 スキンシップを求めて甘える姿は子犬のようだし、あーんをすると雛鳥のように食べるし、優人が口にしたいつぞやのがおー(あれは一応ライオンの真似だったが)も秀逸だった。


 たぶん雛なら、猫以外だって抜群に似合うだろう。例えば犬とか、狐とか――。


「……ん?」


 たまたま雛の背後のハンガーラックに掛かっていた一着の衣装が目に留まった。

 いや待てなんでそんなもんまであるんだとツッコみたくなるほどの、ともすれば水着程度の布面積しかなさそうなそれは――バニーガール。


『私と違って雛のスタイルなら似合うと思うけど』


 直前のエリスの言葉がよみがえり、瞬く間に優人の脳内では刺激的なウサギに扮した雛の艶姿が想像される。


 優人の表情を不思議に思ったらしい雛が視線を辿り、やがて同じ想像に至ったのだろう。優人のわき腹にぼふんと猫パンチが叩き込まれるのは、すぐ後のことだった。

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