第198話『例のチャレンジ』
着替えるから待っててくださいと控え室の外に連れて行かれ――半ば追い出された気もするが――、数分後。
ひとまず頬の赤みも治まった雛と共に、優人は飲食系の出し物が立ち並ぶ屋外へと繰り出す。
着替えるとは言ったものの、午後にも短い時間ではあるがシフトに入るらしい雛は、完全にメイド服を脱いだわけではなかった。
脱いだのはホワイトブリムやエプロンなどを始めとする装飾品類で、ワンピースの部分はそのままに上からジャージの上着だけを羽織った形だ。ちなみにメイド服を目立たなくする&保護する意味合いで大きめのサイズを必要としたので、そのジャージは雛ではなく優人の持ち物だったりする。
もちろん昨日の夜に貸す前にちゃんと洗濯は済ませたのだが、ぶかぶかの袖を鼻先に押し当ててふにゃふにゃと笑う雛の姿は心臓に悪い。
上は悪く言えば芋っぽいジャージ、下は華やかなメイド服のスカート。どう考えてもミスマッチなくせに妙に様になっているのは何故だ。
「さてと、まずは腹ごしらえでいいんだよな?」
「はい、もうお腹ぺこぺこですよ」
ソースやら醤油やらの香ばしい匂いが漂ってくるのも空腹感の後押しに一役買っているのだろう。
すんすんと鼻を鳴らしながら両手でお腹をさする雛に優人は頷き、時間帯も相まって多くの人が行き交う屋台の群を見渡した。
「めぼしいものは大体あると思うぞ。焼きそば、フランクフルト……あとあっちに焼きおにぎりなんかもあったな」
「あ、焼きおにぎりいいですね、食べたいです。……それにしてもずいぶんと詳しいですね?」
「午前中に軽く見回ったんだよ。こういう時に雛を案内できるようにな」
「ふふ、お気遣いありがとうございます」
次のシフトまでの時間は十分確保されているとはいえ、適当にうろうろとするのは時間がもったいないし、雛の場合はその容姿で人目を引きやすいところもあるのだから、人混みの中を歩き回るのも一苦労だろう。
先ほどのメイド喫茶での一件もあったことだし、改めてナンパにも気を付けたい。
などと思っていると、優人の腕に絡みつく柔らかな感触が。
隣を見れば優人の腕に抱きつくように身を寄せる雛と視線が合い、彼女は優人を見上げてにこりと微笑む。
そのまま何をせずにじっとしているのは、エスコートをお願いしますという
望むところだと雛の頭を一撫でし、まずは彼女が希望した焼きおにぎりの屋台へと歩き出した。
目当ての焼きおにぎり、そしてそれだけだと足りなさそうだし、せっかくの文化祭なのだからと他にも適当に何品か購入して腹を満たす。
それらが食べ終わり、あとはデザート代わりに何か甘い系でもと考えた時、雛がタピオカドリンクの屋台に興味を示す。
優人はタピオカコーラ、雛はタピオカミルクティーをそれぞれ購入し、人の流れから少し外れたところにあるベンチに腰を下ろした。
「タピオカって何年か前に流行したけど、意外と飲む機会なかったんだよなあ」
「実は私もなんです。だからちょっと興味があって……ごめんなさい、なんだか付き合わせる形になってしまって」
「いやいや、俺も興味あったし。――お、結構歯応えがあるな」
タピオカ用の口径が大きいストローに口をつけて吸い上げると、冷えた炭酸の刺激の中に、タピオカのもちもちとした食感が混ざり合う。黒い粒からはほんのりと甘味も感じられ、柔らかいグミでも食べてるような感覚に近かった。
今まで手を出すことはなかったが、こうして味わってみると悪くない。
優人の隣では、両手でプラスチックの透明なカップを持つ雛が中身を吸い、物珍しそうに目を閉じて小さな口を動かしている。やがてその口の端が上向くところを見ると、初めてのタピオカドリンクは彼女の口にも合ったようだ。
……ちなみに、何でもタピオカの主成分はでんぷん――つまり炭水化物に分類されるので、甘い飲み物を合わせると結構なカロリーモンスターらしいのだが、それを口にするのは無粋だろう。
「雛が頼んだのはミルクティーだっけ?」
「はい。よかったらいりますか?」
「それじゃ一口――ん、ありがとう。雛もこっち飲んでみるか……って、そういや炭酸大丈夫なんだっけ?」
「普通ですね。苦手というわけではないですけど、好んで飲むこともほとんどないです」
「そっか。まあ、別にいらないならそれでいいけど」
「いただきます」
微妙に食い気味な返事をした雛は、優人が彼女の方へと傾けていたストローを
「えへへ、優人さんと一緒の味ですね」
(……ほんと、もう)
可愛らしいというか、いじらしいというか。
事あるごとにこちらの男心を突いてくる恋人の笑顔に優人は内心で嬉しい悲鳴をあげ、少し甘さの増した気がするコーラで喉を潤す。雛のミルクティーももう少し念入りに味わえばよかった。
――バシャッ。
急に液体が勢いよく飛び散る音が聴こえた。
ストローを咥えたまま音のした方を見ると、優人たちから少し離れたところに母と娘らしい親子がいて、中学生ぐらいの娘の足下には優人たちが持つものと同じプラスチックカップが転がっている。
「あらあら、何やってるのこの子は」
「だってー、タピオカチャレンジできるかなって思ったんだもんー」
流れてきた親子の会話に危うくむせそうになった。
タピオカチャレンジ――タピオカと同様、何年か前にSNSなどで話題になったワードで、胸の上にタピオカドリンクのカップを乗せて手放しで飲めるかに挑戦するものだったと記憶している。
可能とするには胸だけでカップを支える必要があり、つまりできるということは、女性として豊かなものをお持ちであることの証明になるというわけだ。それがよもや、中学生の女の子の口から飛び出すとは。
あんたにはまだ早いわよ、と辛辣だがごもっともな評価を下す母親と、母の言葉にふてくされながらも一緒になってこぼしたタピオカを片付ける娘。
優人がそんな二人から視線を外した矢先、雛が口を開く。
「たぴおかちゃれんじって何なんでしょう?」
固まる。
「…………雛は知らないのか?」
「ええ……いえ、以前に名前だけならうっすら聞いたことはありますけど、内容までは知らなくて。優人さんは知ってるんですか?」
「……まあ、一応」
「どんなチャレンジですか?」
……男の口から説明しろと言うのか。
いや知らない以上は仕方ないと思うが、たとえ恋人相手と言えど、セクハラ案件かもしれない内容をバカ正直に説明するのはキツいものがある。
「あ、もしかして早食い的なアレですか? タピオカは歯応えがありますから、それをいかに早くみたいな」
「あー、えーっと……」
言い淀む優人をよそに見当違いな推測をする雛。
ある意味で純粋な考え方をする彼女にどう説明したものかと悩んだ結果、優人はありのままを伝えることにした。
ただし、その役目はスマホという文明の利器に肩代わりしてもらうが。
検索サイトの検索欄に『タピオカチャレンジ』と入力し、表示された結果を無言で雛に押し付ける。
不可解そうに首を傾げながらも優人のスマホを受け取った雛は、しばらく画面に目を通し……やがて白い頬を淡く色づかせていった。正しく理解してくれたようで何よりである。
「……だ、誰がこういうのを考えるんですか……っ!?」
「俺に聞くな」
流行はいつの間にか始まっていつの間にか終わるものだ。
何はともあれこの話はこれで終わりだ。
軽くランニングした後のように脈打つ鼓動を落ち着かせようと、優人は再びコーラを口に含む。
「――……できるかな?」
「ごふッ!?」
小さく、けれどすぐ隣からだけにばっちり聞こえてしまった呟きに、今度は完全にむせた。
「げほっ、げほっ……分かってる思うけどやるんじゃないぞ!?」
「そ、それぐらい分かってます! こんな人前でやるわけないじゃないですか……!」
なら人の目さえなかったらやるんかい、とは思うだけで口には出さない。
危うく雛のその部分に向かいそうになった視線をどうにか制し、そっぽを向いた優人はベンチの肘掛けにもたれ、やけに重いため息をつくのだった。
後日、雛が自宅で一人の時にタピオカチャレンジに挑戦したことはまた別のお話である。
成否については、彼女のみが知るところだ。
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