第197話『乙女のときめき』

 厄介な客には穏便・・にお帰り頂いた後、注文したものを食べ切った天見家一同もほどなくしてメイド喫茶から退店した。

 両親からこの後の予定を聞かれたので、シフト上がりの雛と文化祭を回るつもりだと答えれば、「恋人の時間までは邪魔できないわね」と微笑ましそうに言い残して優人とは別れた。


 一通りの用件も済んだので、あとはもう少し文化祭をぶらついてから帰るとのことだ。

 メイド喫茶で奢ってもらったお礼、それと午前中に散策して見繕った面白そうな出し物を両親に伝えると、優人は足先をとある場所へと向ける。


 実は少し前に、小唄から『ちょっと控え室の方に来てもらえます?』とメッセージが送られていたのだ。元より雛を迎えに行くつもりだったので素直に向かうと、辿り着いた先で待っていた小唄が軽く手を振った。


「先輩、こっちこっち」


 手招きする小唄に連れられて控え室の中へ。

 一応部外者ではあるのだが責任者が許可するのならいいのだろうと中に入ると、室内にはさらに雛と、最初にナンパされていた例のメイドもいた。

 おさげ姿の大人しそうな印象の彼女はパイプ椅子に座り、その隣に立つ雛が優しく肩をさすっている。見たところ表情にまだ固さは残っているようだが、大事には至ってないようだ。


「さっきは出過ぎた真似で騒ぎにして悪かった」


 わざわざ呼ばれた理由は間違いなく先ほどの一件絡みだろうから先んじて謝ると、小唄は「いえいえー」と手をひらひら横に振った。


「あたしの方こそ気付くのが遅れてすいません。正直かなり助かったんで、先輩のパパさんにもありがとうございましたって伝えといてください。雛ちゃんもフォローありがとねー」

「どういたしまして。まあ、私も結局助けられる形になっちゃいましたけ、ど……」


 そう言って優人に目を向けた雛は、なぜかさっと顔を赤らめて視線を戻した。

 ……?


 不可解な反応に優人が首を傾げる中、おさげの少女は慌ただしく立ち上がって優人に向き直る。


「あ、あの、さっきはありがとうございました! 本当なら私がもっときっぱり断ればよかった話なのに、天見先輩の手まで借りしてしまって……」

「いいよ別に。そもそもああいう手合いがしつこかっただけだ」

「そうですよ。葛城かつらぎさんが悪いわけじゃないんですから、気にしないでください」

「うぅ……空森さんもごめんね。私ってばこの通り内気だから、少しでも自分を変えるきっかけになればと思ってメイド役に立候補したけど……なんだか逆に迷惑かけちゃって……」

「いやいや、葛城ちゃん含めてみんなよくやってるし、おかげでメイド喫茶の評判も上々なんだよ? 今回だって相手が悪いだけで断ってはいたんだから、十分立派だって立派」

「ほ、ほんと? あはは……ならちょっとは自信になりそうかな」


 小唄からぽんぽんと背中を叩かれ、おさげの少女――葛城は照れくさそうなはにかみを浮かべた。

 六人姉妹の長女だけあり、こういう時の小唄には相手を落ち着かせる雰囲気があった。


「雛は大丈夫だったか?」


 葛城は大丈夫そうなので、改めて雛の様子も確認する。

 ナンパといった手合いには人より慣れているかもしれないが、今回に関しては優人が割って入ったことで未遂に終わったとはいえ、物理的な接触まで図られたのだ。


 その辺りはしっかり気を配っておいた方が……と思って声をかけたのだが。


「い、いえ、はいっ……おかげさまで、だいじょぶです……っ」


 先ほどと同様、なぜか顔を赤くしてしどろもどろになる雛。

 目を泳がせて優人から一、二歩後ずさる姿に地味なダメージを喰らう。


「……ひょっとして、さっきの俺怖かったか?」


 顔が赤い理由はさておき、こうも狼狽うろたえられるのはそういうことではないだろうか。予想通りなら結構なダメージ案件なのだが、実際優人の人生においてもトップクラスに目が鋭くなった自覚はあるので仕方ないのかもしれない。


 しかし、そうして優人が少し肩を落とした瞬間、雛はこれまでが嘘のようにずいっと距離を詰めてきた。


「違います違いますっ! そんなことは絶対にありえませんっ!」

「な、ならいいんだけど……じゃあどうしたんだ?」

「それは、その、あう……」

「……雛?」

「先輩先輩、これたぶんあれっす。さっきの先輩の『俺の女に手ぇ出すんじゃねえムーブ』にときめいちゃった的な」

「こ、ここここ小唄さん!?」


 小唄があっけらかんと告げた指摘に雛が慌てて叫んだ。

 今のはあくまで小唄の推測に過ぎないが、雛の反応がその真偽を雄弁に物語っていた。


 なんでバラしちゃうんですか……! 言葉にこそしなくとも、そう言ってるのとほぼ同義である。


『…………』

「あぅぅ……」


 その場にいる自分以外の全員から見られ、ぷしゅーと煙が出そうな感じで真っ赤になって俯く雛。

 かく言う優人も自分の行動を蒸し返されると大概気恥ずかしいのだが、雛がそれ以上なおかげでまだ平静さを保てる。


「わあ、空森さん顔真っ赤……」

「あはは、雛ちゃんってば乙女だねー」

「うぅ……だ、だって、あんな頼もしい背中を見せつけられたら……。優人さんは単純に助けてくれただけですから、そういったつもりではなかったでしょうけど……」

「いやあったけど」

「あったんですか!?」

「うん」


 そこに関しては断言せざるをえない。

 最初にナンパ被害にあった葛城を脇に置くようで悪いが、あの時の優人の行動は雛を守ることに比重が置かれていたのだから。


 当の本人からはっきりと『俺の女に手ぇ出すんじゃねえムーブ』を肯定され、雛の口が余計にぱくぱくあわあわと上下を繰り返す。

 結局また縮こまってしまう雛にどうしたものかと思っていると、葛城がくすっと小さく、どこか羨ましそうな笑みをこぼした。


「空森さんが天見先輩を好きになった理由、なんだか分かった気がします」

「どうも……? 褒め言葉として受け取とればいいのか?」

「はい。私も付き合うなら天見先輩みたいな人がいいかなあ……」

「わ、渡しませんよっ」


 恥ずかしがっている状況下でもその発言は聞き逃せなかったらしく、雛は優人の腕を取ってぎゅっと抱きついた。


「あはは、空森さん相手に奪える気しないよ。それに天見先輩だって、仮にどんなに魅力的な人が現れても空森さん以外になびかないですもんね?」

「当然だ。第一、俺にとって雛が一番魅力的だってこと自体揺るがないしな」

「せんぱーい、はっきり言うのは男らしくていいと思うんすけど、隣の雛ちゃんがもう限界っぽいんでほどほどに」


 あ、と思った時にはもう遅い。

 抱きついたままの雛の額が、頭突きのように優人の腕にぶつけられるのだった。

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